第3話 不審な手紙と二人の対立
的場の馬鹿げた推理を聞いた翌日。天麗はいつも通り通学し、校門を潜るところだった。昨日の一件があったから学校は休みになるかもと期待していたが、残念ながら普段と何も変わらない日常が続くこととなった。部活動に関しては、明後日から再開されることとなった。
「日常って、なんでこんなに代わり映えしないんだろう。人が死んでも変わらないなんて、もう一生何も変わらないままなんじゃないかな」
独り言だがなにかと物騒なことを口走ってしまった天麗は、思わず辺りを見回した。運良く近くに人はおらず、誰かに聞かれた可能性は低かった。
ホッと胸を撫で下ろした天麗はそのまま下駄箱へ向かい、そこで的場の姿を発見した。何やら神妙な面持ちである。無理もない。犯罪を未然に防ぐ目的で無理して潜入捜査までしているのに、無残にも生徒が一人殺されてしまったのだ。責任が重くのしかかるのだろう。そう思った天麗は、多少無理しながら、元気よく的場の肩を叩いた。
「おっはよう。そんな辛気臭い顔して、朝から何考えてんの」
「ああ。天麗、丁度いいとこに来た。今日、また事件が起こりそうだ」
「え、また……」
天麗は眉間に皺を寄せたが、ほんの数日前のことを思い出した。昨日殺人事件があったから今の的場の発言を真剣に受け止めようとしたが、的場は以前も綾子の授業があるというだけで事件だと言っていたじゃないか。そして、今日はまた世界史の授業がある。おそらくは、そのことを言っているんだろう。そう思い直し、動揺する心を落ち着けた。
「ああ、どうせまた綾子さんの授業のことを言ってるんでしょ」
「いや、さすがの俺も、この状況でそんな冗談は言わない。これを見てくれ」
そう言うと的場は、こちらに何やら手紙らしきものを差し出した。そこには、筆ペンで書かれた大きな“果たし状”の文字があった。内容は、今日の放課後に体育館裏で待つ、というものだった。
「……誰かの悪戯じゃないの」
「その可能性もあるが、タイミングがタイミングだ。俺の正体を知る何者かが犯人で、俺に挑戦状を叩きつけてきている可能性もある。言いつけ通り行ったら、新たな被害者を発見してしまうなんて可能性もある」
「でも、それなら差出人書くんじゃない? あの脅迫状と一緒で、黄昏の祈禱師って」
天麗が冷静にそう言うと、的場は納得したように数回頷いた。そして、両肩が僅かに下がった気がした。やはり、昨日の一件で責任を強く感じているようだ。そんな的場を横目に見ながら、天麗も下駄箱を開けた。
「え、噓でしょ」
天麗の下駄箱の中にも、何やら白い封筒に入った手紙のようなものがあった。先ほど的場が言っていた通り、もし的場の正体を知るものが犯人なら、当然天麗が捜査協力していることも知っている。だとしたら、この不審な手紙は脅迫状の可能性がある。
天麗は震える両手で封筒に手を伸ばし、それを的場に見せた。こちらの怯える表情を見て察したのか、的場は封筒を受け取って先に中を見た。そしてしばらく手紙の上に視線を走らせた後、文面の方を上に向けてこちらに突き返してきた。
「脅迫状とかじゃない?」
「ああ、これはお前が読むべき手紙だったよ」
的場の答えを聞いて少し安心した天麗は、手紙を受け取り、内容を黙読しながら教室へと向かった。手紙には、奇妙奇天烈な言葉の数々が並んでいる。君は一番星だというあまりにも科学的事実を無視した言葉や、輝きすぎていて君のことを直視できないという書き手の目に病気があるのではないかと心配になる言葉。更には、ずっと僕の横にいてほしいなどという、奴隷になるよう命令してくるような文章で締めくくられていた。
「なにこれ、意味わかんない」
「え、意味わからないの」
「うん。脅迫状ではなかったけど、これじゃあただの怪文書じゃん。これのどこが、私が読むべき手紙だって言うの。嫌がらせ? いつも振り回してくる私への嫌がらせでしょ」
「俺は今、二つの感情を抱いている。一つはお前に対する怒りの感情、もう一つはその手紙を書いたやつに向けられた同情だ」
そう言って的場は、こちらに背を向けた。その後は何度呼び掛けても、一向に返事がなかった。
そして的場から返事が来ない状況は、昼休みまで続いた。本当は事件のことに関して的場と話したい天麗だったが、的場の態度を見てそれは諦め、小夏と話すことにした。
「小夏、今暇? ちょっと相談したことがあるんだけど」
「さては、いっくんとうまくいってないんでしょ。あ、もしかして私のせい? ごめんね、恋のライバルとして登場しちゃって」
「はっ倒すよ」
「ごめんごめん。でも、天麗が私に相談事なんて珍しいね。じゃあ、あの場所行こうか」
そう言うと小夏は鞄から鍵を取り出し、はにかみながらこちらに示してきた。その鍵は、聴覚過敏という特性を持った天麗のために特別に使用を許されたカウンセリングルームの鍵であった。その部屋の性質上、防音設備が完璧で、中に入れば外の音は一切聞こえなかった。当然、中の音は外に一切聞こえない。本来は疲れた小夏が落ち着くための場所だったが、二年生の頃に鍵を持たされてからは、小夏は私的な目的でも利用していた。もちろん、その時はほとんど天麗も同席していたが。
天麗が小夏の提案を受け入れて頷くと、小夏は立ち上がって教室を出た。天麗もそれに続き、二人はカウンセリングルームに入る。カウンセリングルームは一階にあり、窓を開ければ体育館やプールがある校舎南側に出ることができる。中には柔らかい絨毯が引かれていて、寝心地も実に良い。普段ならここで横になってのんびりと時間過ごす天麗だが、今日はそんな気分になれなかった。
天麗が沈んだ気持ちで部屋に立ち尽くしていると、部屋の真ん中に置いてある椅子に腰かけた小夏が、優しく声をかけてきた。
「それで、相談したいことって何」
小夏のその問いかけに、天麗はなにを聞こうかと迷った。昨日の放課後に莉子から聞いた話では、波風は小夏に性的暴行を加えた可能性があるということだった。しかし、それは被害届が出されていない。つまり、それを確認するにはこうして小夏と直接話すしかなかった。
だが、寸でのところで天麗に迷いが生じた。そんなことを聞いてもいいのだろうか。いくら自分が親友だと思っているからといって、相手から親友だと言われているからといって、土足で心に踏み入っていいものだろうか。小夏にとっては、生涯引きずることが決定づけられたようなトラウマかもしれないのに。
そんなことを考えて天麗が話し始めるのを躊躇していると、小夏が遠い過去を見るような目をしながら、独り言のように語り始めた。
「聴覚過敏なんていう人と違ったことがあるとさ、なにかと人から嫌みを言われることがあるんだよね。そんな時にさ、隠し事をせずに何でも話せる、心を許せるような人がいたら、素敵だと思うな。私はそういう人がいたから……あっちゃんがいたから、今まで生きてこられた。天麗にとって、私がそんな存在になれるといいな」
話し終わると同時にこちらに目を向けた小夏は、少し目を潤ませていた。それを見た天麗は、意を決して話を切り出すことにした。
「……小夏にとって、私はそういう人じゃないんだよね。だって、小夏は私に隠し事をしてる。そうだよね」
「ええ。親友だからって、すべてを話せるわけじゃない。でも、それは天麗も同じでしょ」
「なんのことか、分からないんだけど」
「ふ~ん、そうやって誤魔化すんだ。知らないと思うから教えてあげるけど、あなた噓つくときに髪の毛を触る癖があるから、気を付けたほうがいいよ」
そう言って小夏はおもむろに立ち上がり、天麗の眼前に迫った。緊張。二人の間には、張り詰めた緊張の糸が走っていた。親友だと思っていた、なんでも本音を話せる相手だと。でも、どうやらお互いに隠し事があったらしい。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいんじゃないかな」
「……じゃあ聞くけど、波風を殺したのは小夏だよね。襲われた復讐で」
「ふふっ、本当に単刀直入に聞くんだね。でも、どうしてそう思うの。根拠は」
「今、波風が殺されたって言っても驚かなかった。事故死だって説明を受けていたはずなのに、どうして驚かなかったの」
「あら、一本取られちゃったね。でも、その理屈はあなたにも当てはまるんじゃない? 事故死だと説明があったのに、どうして殺されたって断言できるの。まるで、警察のお友達でもいるみたい」
小夏の問いかけに、天麗は答えることができなかった。そして、これ以上会話することもできそうになかった。天麗は小夏に背を向けて歩き出し、カウンセリングルームの扉に手をかけた。
「あなたが敵になるなんて思わなかった。あなただけは、絶対私の味方になってくれると思っていた。でも、そうして背を向けて行っちゃうんだね」
去り際に背中から聞こえてきた小夏のその声は、涙声だった。
「本当は、全部否定してほしかった。襲われたことも、殺したことも、全部笑い飛ばしてほしかった。そんなわけないって」
「どっちも本当――って言ったらどうする?」
「……間違った道に進みそうになったのを止めるのも、親友の仕事だからね」
それに返答した天麗の声もまた、震えていた。
天麗は震える手で扉を開き、カウンセリングルームの外に出た。
親友の二人の間を、固く重い鉄の扉が隔てた。
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