第2話 少女は鋭く切り込む
五限目の授業を終えると、教室内は授業中に聞こえた救急車のサイレンで話題がもちきりになった。教室内の生徒たちが面白半分で口々に何か言っているが、天麗だけは、これがただ事ではないと感じていた。
天麗はお昼休みに姿を消してから教室に戻ってこなかった的場の姿を求め、職員室に向かった。何か事件が起きたのなら、先生を巻き込んで話し合いを行っているだろうと考えたからだ。
「次の授業があるので、これで失礼します」
「おい、待てよ。今のはなにがなんでもおかしいだろ」
天麗が校長室の前を通り過ぎようとした時、中から稲森と的場の声が聞こえてきた。天麗が聞き耳を立てようと校長室に近づくと、校長室から出てきた稲森と鉢合わせになった。
「……遠坂天麗さん、だったかな。いつからそこにいたの」
「あ、えっと、今です。市場くんのことを探していたら中から声が聞こえたので、ノックしようかと思っていました」
「そうですか。でも、今は止めておいた方がいいと思いますよ。彼は、気が立っていますから」
稲森は冷たい笑顔でそう言うと、天麗に背を向けて理科室の方へ歩を進めた。しばらくしてから田上と静子も出てきて、その少し後に的場や波佐間、莉子が出てきた。的場は天麗の存在に気付くと、気まずそうに目線を外した。
「なにかあったんでしょ」
「いや、なにもなかった」
「嘘つかないで。さっきの授業中に聞こえた救急車のサイレンと、今校長室から出てきたメンバーを見たら、大体想像は付くよ。プールで何かあったんでしょ」
「あったとしても、お前に教える義理はない。これは本物の殺人事件なんだ。お前のふざけた探偵ごっこに付き合っている場合じゃない」
「殺人事件って……誰か死んじゃったの?」
的場は口元を手で押さえ、目を左右に泳がせた。天麗はそれを見て、事態の深刻さに気付いた。そして授業中のことを振り返り、犠牲者が誰かと考え始めた。
「まさか小夏ちゃん? さっきの時間、教室にいなくて天津川先生が滅茶苦茶心配してた」
「あの、俺もいなかったんだけど……」
「それは全く心配してなかった」
「男女格差!」
「いや、天津川先生は正体知ってるから、秘密裏に捜査してるとでも思ったんでしょ……じゃなくて、誤魔化さないでくれる? 小夏ちゃんじゃないよね」
「私がどうかしたの」
的場に詰め寄ろうとすると、背後から声が聞こえた。天麗が振り返ると、そこには小夏の姿があった。女子受けの悪い天麗にとって、貴重な同性の話し相手である小夏が無事だと分かり、天麗は胸を撫で下ろした。
「で、どうしたの」
「あ、いや、その、あの」
「あ、小夏さん、ごめんね。天麗が浮気を疑ってさ、さっきの時間誰と過ごしてたのか、ってうるさいのよ。で、さっきの授業中教室にいなかった小夏さんが相手だろうって、怒っちゃって」
「なるほど。天麗、友達としてアドバイスしておくけど、あんまり束縛すると早く別れることになるよ。私といっくんは、そんな関係じゃないから」
真剣な表情でそう語る小夏に、些か苛立ちを感じた天麗だったが、一先ずは聞き流すことにした。天麗が素知らぬ顔で的場の方を見ていると、小夏は呆れたように溜息をついた後、通る必要が微塵もないのに天麗と的場の間を通り抜けた。
「小夏さん、ヤキモチ焼いてるのかな」
的場が冗談めかしてそう言い、こちらに目を向けてきた。いつもの天麗なら罵詈雑言を浴びせるところだが、今はそれどころではなかった。それよりも、事件の被害者について確認したくて仕方がなかった。
「まさか、被害者は波風じゃないよね」
的場からの返答は、無かった。
六時間目が終わり終礼の時間になると、教室の中では同じ部活動の生徒同士が今日の練習メニューの予想をし始める。三年二組の生徒は全員が部活動に所属しており、皆引退試合に向けて懸命な努力を続けている。だが生徒の大半は、楽で大して身にもならない遊びのような部活動を望んでいた。
そんな時、秋穂と綾子が神妙な面持ちで教室に入ってきた。そして全員を着席させた後、波風の一件について、さすがに殺人事件だと説明するわけにはいかないと判断されたのか、プールで溺れたと説明された。教室は騒然とし、生徒の中には涙を流す生徒もいた。その中には、小夏も含まれていた。
「あっちゃん……どうして」
小夏がそう呟いた声を、天麗は聞き逃さなかった。
放課後。天麗はまた姿を消した的場のことを探そうと思ったが、どこを探しても見つからなかった。捜査に協力させるつもりがないのは、本当かもしれない。
肩を落とす天麗、このままもう帰宅しようかとも考えた。そんな時、背後から聞き覚えのある声で呼び止められたので振り返った。声の主は、莉子だった。
「あ、羽衣さん。何か用ですか」
「ええ、波佐間さんから頼まれたの。天麗さんに捜査協力を頼めって」
「え。私に、ですか」
「そう、あなたに。まあ、こちらもいろいろと事情があってね。ちょっと、的場さん一人には任せられなくなってきたの」
「どうしてですか」
「詳しいことは話せない。でも、協力してほしいという気持ちは本当だよ」
「……分かりました。協力します」
天麗が捜査協力を引き受けると、羽衣は天麗を会議室に案内した。そこには既に的場が座って待っていたが、天麗の姿を見るなり怒鳴り声をあげて立ち上がった。莉子が捜査協力の依頼をしたことを説明したが、それでも的場は天麗に、今すぐ帰れと怒鳴った。
「どうしてそんなに拒むんですか」
「一般人を巻き込むのに賛成する方がどうかしているだろ。天麗が事件に関わっている可能性があるのならともかく、今回の事件に関わっている可能性は低い。逆に、天麗を捜査に加えたほうがいい理由を教えてほしいくらいだ」
「的場さんが五年前のことをひた隠しにするからでしょ! そんなあなたに、同じ捜査員である私たちにも隠し事をするあなたに、真相解明を任せておけると思いますか」
莉子がそう叫ぶと、的場は口を真一文字に結んで椅子に座り直した。突然怒号の飛び交う空間に居合わせたことで戸惑っていた天麗は、莉子に促されるまま的場とは少し離れた位置にある椅子に座った。そして、波風の件に関するあらましを莉子から説明された。
「じゃあ、今一番怪しいのはその田辺先生ってことですか」
「さあ、それも何とも言えない。鑑識からの結果報告では、確かにプールの塩素濃度は通常の倍以上あったらしいの。それにセキュリティ会社に問い合わせたところ、プールの赤外線は死体発見時以外、一時間目と三時間目に解除された記録が残っている。だから、証言自体は本当なんだと思う。それに田辺先生が犯人なら、そんな証言をわざわざ自分からする意味も分からない」
「でも田辺先生が犯人じゃなかったら、犯人はいつ波風くんをプールに? 一限目に稲森先生が運んだのなら、田辺先生がプールに行った時に気づくだろうし」
「まあ、犯人捜しは後だ。それより莉子、鑑識からの報告内容はそれだけか」
「いえ、あと二つあります。プールの水に塩素を入れるための機械があるんですが、そこに三人の顧問のものとは一致しない指紋がいくつか発見されたそうです。ここは生徒が入れない場所ですし、教職員も限られた人間しか入る用はありません。この人物を特定すれば、あるいは犯人に結び付くかもしれません」
「なるほど。もう一つは」
「プールサイドに置いてあったブルーシートの上にあった水分は、ただの水だったということです。塩素も検出されませんでしたし、プールの水とは不純物が一致しませんでしたので、誰かが水を持ち込んだ可能性があると」
莉子が報告を終えると、天麗の耳に大きな笑い声が聞こえた。何事かと思い振り返ると、いつの間にか立ち上がっていた的場が、同じ場所を歩き回りながら大きな笑い声をあげていた。
「どうしたんですか、的場さん。遂に頭がおかしくなったんですか。まあ、北関東を勝手に独立国にする人ですから、最初から頭がおかしいとは思っていましたが」
「天麗さん、その話詳しくお聞きしてもいいですか」
「お前ら、黙ってろ。今から俺が、完璧な推理でこの事件の真相を暴いてやる」
的場は自信満々といった様子で胸を叩き、その後壁際に除けられていたホワイトボードを天麗と莉子の目の前に持っていき、ホワイトボードマーカーで何かを書き始めた。
「いいか、これは単純な話だ。犯人は稲森で、一時間目の時間に波風を殺し、プールに沈めておいたんだ。沈めてあったから、田辺先生は気付かなかった。それだけだ」
そんな、話せば大体の人が一秒で理解できることを、的場は懇切丁寧にホワイトボードに書いた。わざわざ赤のマーカーも使い、稲森の名前を強調までして。
「でも、どうやって沈めたんですか」
「いい質問だね、天麗ちゃん。簡単な話さ。死体に巨大な氷を結び付け、それを重りに沈めたんだ。そうすれば、やがて氷が溶けて死体が浮かんでくる。それに、ブルーシートの上にも氷を置いたんだ。そうして、時間が経って氷が溶ければ、ブルーシートが風に舞い上がって赤外線センサーに触れる。これで学校に連絡が入って、時間差で遺体が発見されるというわけだ。どうだ?」
的場は、「どうだ、俺の天才っぷりはすごいだろ」とでも言いたげな表情で推理ショーを終えた。天麗の中には、尊敬のような呆れのような、よく分からない感情が湧いていた。
「えっと、なんでしょう。すべてを否定する気はありませんが、取り敢えず一つだけ質問してもいいですか」
「ふふふ、よかろう。この的場様が大人の凄さを――」
「氷って水に浮かぶんですけど、どうしてそれを結びつけると死体が沈むんですか」
「……」
的場は無言のまま、会議室を後にした。
残された天麗と莉子の間には、気まずい時間が流れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます