第二章 近づく二人

第1話 水泳部の顧問たちと不穏な噂

 的場は、水泳部の顧問が全員集められているという校長室に入った。水泳部の顧問は、全員で三人いる。的場の同僚である稲森、三年前に赴任してからずっと顧問をしている緑山静子みどりやま しずこ、そして今年度から赴任した新卒の田上征四郎たがみ せいしろうだ。

 静子は見た目からして年齢は三十代前半程度で、控えめな印象受ける女性だった。的場や波佐間のことを何度も横目で見るあたり、とても緊張していることが分かる。田上は新卒ということもあってか、とてもフレッシュな雰囲気だ。スポーツ刈りの頭とボディラインを――正確には屈強な筋肉を目立たせようとする小さめのポロシャツが印象的だ。尋ねるまでもなく、体育教師だと分かる風貌だった。

「君、授業はどうしたんだ」

 校長室に入ってきた的場の姿を見て、田上が慌てた様子で尋ねた。まだ生徒に知らされていないはずなのに、制服姿の的場が入ってきたから驚いたのだろう。的場がどう説明しようかと思案していると、稲森が間に割って入って、田上と静子の二人に事情を説明した。

 二人は当然驚いたが、的場が警察手帳や運転免許証を見せたことで、状況を無理やり飲み込んだようだ。

「先ほど病院から連絡があり、波風さんの死亡が確認されたそうです」

 波佐間がそう言うと、校長室の中は静寂に包まれた。水泳部の顧問三人は、全員苦虫を噛み潰したような面持ちだった。

「それでは、皆さんお話を聞かせて頂けますか」

 波佐間はそう言って、顧問たちと対面する位置のソファに座った。的場と莉子が順に続き、警察官三人と水泳部の顧問三人が相対する形となった。

「まずは、あのプールの警備システムに関して教えて頂けますか」

 波佐間が尋ねると、静子は自分のポケットからパスケースを取り出して、目の前のローテーブルに置いた。波佐間がそれに顔を近づけると、静子は何度か声を裏返しながら説明を始める。

「あの、それがカードキーです。プールの中にはいくつかの赤外線センサーが取り付けられていて、そのカードでセンサーを解除しないでプールに入ると、センサーが作動して警備会社に連絡がいくようになっています」

「このカードを持っている人は?」

「教職員なら、全員持っています。プール以外にも、このカードを使うところはあるので」

「なるほど。では、教職員なら誰でもプールに入ることができたわけですね」

「はい。でも、倉庫や更衣室なんかの鍵は、私たちが個人個人で管理しているものと、職員室で一括管理されている物しかありません」

「つまり、あなた方顧問の方が、プールに出入りしやすいというわけですか」

 静子は、下を向きながら頷いた。その両手は、両膝の間に開いた小さなスペースに窮屈に収められ、力の込められた両足で強く挟み込まれていた。声を何度も裏返していることからも、強い緊張が伺える。

 的場は他の二人にも目を向けたが、静子の言う事を否定する様子は無かった。セキュリティに関する説明にも間違いはないし、水泳部の顧問の方がプールに出入りしやすいことも事実なのだ。そのことは、この学校で二年間だけ教師をした的場も知っていた。

「では、皆さんの直近の行動をお聞かせください」

 波佐間がそう言うと、先陣を切って質問に答えたのは稲森だった。

「私は理科室で、次の授業で行う実験の準備をしていました。そこに校長から内線があって、プールのセンサーが反応したらしいと聞いたので、実験の準備を終えてからプールに向かいました。その後のことは、そこの制服姿のオジサンから聞いていると思います」

 稲森が的場の方を見て嫌味たらしく証言を終えると、次は静子が、相変わらず緊張した様子のまま話し始めた。

「わ、私は美術室に籠って、今度の期末試験の問題作りをしていました」

「期末試験の問題作りですか。私も教師の経験があるからその苦労は分かりますが、作り始めるにはまだ少し早いような気もしますが」

「あ、すいません。私よく言われるんですけど、滅茶苦茶心配性みたいなんです。だから、今ぐらいから問題を作っていないと不安で」

 静子はさらに緊張を強めたのか、的場からの質問に答える際は、両肩が最大限上にあげられていた。

「私は、体育教官室で生徒の提出したレポートの採点を行っていました。途中、プールに行って塩素の補充をしましたが、その時はプールに誰もいませんでした」

「プールに行ったんですか? それは何時ごろの話ですか」

「三限目の終り頃だったと思いますが、具体的な時間までは覚えていません」

 田上がそう言うと、稲森が何度か首を傾げるような仕草をしていることに的場は気付いた。腕を組み、何かを考えこんでいるように見える。

「稲森先生、何か気になることでもありますか」

「……いや、違和感があるのは私だけじゃないと思います」

 的場に尋ねられた稲森は、そう言って静子の方に目線を向けた。静子は稲森のことを一瞥した後、恥ずかしそうに目を背けてから何度も頷いた。

「詳しく教えてください」

「プールの塩素補充は、通常午後に行うことが多いんです。時間が経って塩素濃度が薄まってしまえば、不衛生なプールで生徒を泳がせることになりますから。でも今日は時間割の変更があったため、ここにいる全員が午後にプールへ向かう時間が無くなったんです。この時間は空いていても、授業の準備がありますからね。そこで仕方なく、一時間目の時間に私が塩素を補充したんです。それなのに、どうして田上先生はプールに行ったのかと思いまして」

「え、そんなこと聞いてませんよ。私は何の連絡も無いから、今日もいつも通り私が入れるんだろうと思って、都合のいい時間にプールに行っただけです」

「連絡はしたはずですが」

 稲森がそう言うと、静子も同意した。

「確かに一時間目の時間、今日は僕が塩素を補充しますと、稲森先生から内線を頂きました」

「ちょっと待ってください。私はそんなこと聞いてませんよ」

 田上は取り乱し、的場たちや校長に向かって必死に身の潔白を主張し始めた。的場がなんと田上を宥めると、突然稲森が校長に向かって話し始めた。

「被害者の波風には、女生徒に性的暴行を加えた疑いがあると噂で聞きましたが、それは本当のことなんですか、校長」

「ただの噂ですよ」

 校長は、微笑を浮かべながら答えた。的場は、その顔に見覚えがあった。校長が、自分にとって不都合なことを隠す時に使う顔だ。的場がそう考えていると、稲森もそう思ったのか、さらに追及した。

「本当でしょうかね。あなたは以前にも、生徒が起こした事件を警察に通報せず、内々で処理したという疑惑を教育委員会にかけられたことがありますよね。また同じことをしたんじゃありませんか」

「その件は、教育委員会の調査を受けて、そんな事実は無かったと認められました。それに今回だって、そんな事実はありません」

「今の言葉、被害者の北風小夏さんの前でも言えますか」

 稲森がそう言うと、校長は押し黙った。机に肘をついて指を組み、口元を隠すようにして構える。校長は、明らかに何かを隠していた。それどころか、今稲森が言ったことが真実だと、態度で物語っているようだった。

「その沈黙、暴行事件は事実だと考えていいんですか」

「――私は何も言っていません」

「答えないことで、答えているんですよ……これではっきりしました。今回の事件は、自分の性欲もコントロールできない出来損ないの犯罪者が殺されただけです」

「なんですか今の発言は! 出来損ないだろうと犯罪者だろうと、この学校の生徒であることに変わりはありません。あなた、それでも教師ですか」

「考えてもみてください、校長。アスリートがルールを無視してドーピングをしたら、どうなりますか。そう、選手として認められなくなるんです。であれば、犯罪者だって同じことです。人間界のルールである法律を守れなかったのだから、人間とは認められません。そして人間じゃない時点で、当然この学校に通う資格だってありません。よって、私は彼のことを生徒だと認めません」

 稲森の主張は、あまりにも過激だった。その理屈なら、犯罪者を殺害することが正当化されてしまいかねない。的場がそのことに関して反論しようとしたが、そこで五限目の終了を告げるチャイムが鳴った。

 チャイムが鳴り終わって少しすると稲森は、次の授業があるからと言って的場の制止を振り切って校長室を後にした。残りの顧問二人も、それに続いて校長室を出る。

「プールのことは詳しく調べたいですし、この事実を知らせた時の生徒への影響もあります。今日の部活動は禁止とし、早急に家に帰るよう生徒に知らせてください。よろしいですね、校長」

「ええ、そのように対応します」

 波佐間が放課後の対応を口約束で取り付けると、校長はおもむろに立ち上がり、波風の件を教育委員会に直接報告に行くと言って、的場たちを追い出した。

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