第7話 自白する二人の教員

 潜入捜査を初めてから、何度ここに来ただろうか。そう思った的場だったが、よくよく思い出すと、教師として働いていた時にも何度なく訪れていたことに気付いた。

 ドアをノックすると、向こうから気のない返事が聞こえる。以前天麗と訪れた時は向こうが扉を開けてくれたような気がするが、今度は待っていても一向に開かない。意を決して扉を開くと、お目当ての人物である稲森は、理科室の真ん中に座ってなにやら実験器具を操作している。ガスバーナーの火が、怪しく稲森の顔を照らす。

「何の御用ですか。今は予備実験の最中なので、できれば話しかけてほしくないのですが」

「ああ、終わるまで待ちますよ」

「……あなたからそんな言葉が聞けるとは思いませんでした。あなたはいつも私に喧嘩腰で、こちらの都合などお構いなしでしたからね」

 そう言うと稲森は、ガスバーナーを操作した後に元栓を閉めた。そして目を保護するためのゴーグルを外し、机の上に置いた。

「それはこっちのセリフだ。あんたが実験を中断して人と話そうとする姿なんて、初めて見たよ」

「一応、あなた以外にはそういう態度で接していたんですよ」

「嫌味なところは変わらないんですね」

「それは、お互い様というものでしょう」

 稲森の口角が上がる。それにつられて、的場の口角も上がった。

 教師の時から、稲森とは馬が合わないと思っていた。話せばいつも喧嘩していたし、職員会議で的場が意見したことはすべて稲森の反対にあって、頓挫したものが多かった。正反対の性質、まさに磁石のN極とS極。自分は生徒想いで、稲森は生徒よりも自分の方が大事だと考えている。

 だが、潜入捜査を行う内にその考えが間違っていることが分かった。稲森だって、生徒のことを考えている。ただ自分とは優先するものと、得意としていることが違うだけだった。

「藤浪から聞きましたよ。稲森が先生が部活にあまり顔を出さないのは、不登校の生徒とビデオ通話で話しているからだって。だからそれを疎ましく思う人はいても、止める人はいなかったんですね。ひょっとしたら、僕がここにいた時も?」

「不登校というのは、今に始まった問題ではありませんからね」

 稲森が、優しく微笑みかける。初めて、お互いを分かり合えた気がした。

「それで、話というのは何でしょうか。まさか、そんな世間話をしに来たわけじゃないでしょう」

「勿論です。でも、それは切り出すまでもなく、分かっているんじゃないですか」

 そう言うと的場は、ポケットから鍵束を取り出して稲森の目の前に置いた。それは、中山と一緒に塩素剤をプールへ運ぶ際に稲森から預かった鍵だった。

「あなたが何も気付かずにその鍵を返して来たら、すべてを闇に葬り去ろうかと思っていました」

「やはり、犯人が分かっていたんですね。いつからですか」

「校長室で警察の方々に話を聞かれた時、もしかしたら、と考えました。だって、そうでないと田上先生があまりに間抜けでしたからね」

 稲森は頭の後ろで指を組み、そのまま頭の重さを手に預けるようにして天を仰いだ。

「やっぱり、普段どれほど善い行いをしていたとしても、悪行は明るみに出てしまうんですよね」

「……出そうとする人か、本人が出したいと思えば、それは時間の問題ですね」

 そう言うと的場は立ち上がり、鍵束を持ち上げて稲森に示した。

「この鍵を鑑識に回します。構いませんね」

 的場が言うと、稲森は無言のまま首を縦に振った。それを確認すると、的場は鍵をポケットにしまって、再度稲森の目を真っ直ぐ見つめて言った。

「念のため、証言もお願いします。あなたが貸したこの鍵を使って、事件当日の一限目にプール内へ入ったのは、誰ですか」


 向こうに呼びだされてきたことは何度もあったが、自分から改めて入ることはあまりなかったかもしれない。そんなことを考えながら、的場は校長室の扉を開けた。そこには、ソファに座って茶を啜る高田校長の姿があった。

「そろそろ、来る頃かと思っていました」

 そう言って、校長は脇に除けてあったもう一つの茶碗をローテーブルの真ん中に進めた。的場は校長の斜向かいに座り、その茶碗を受け取って半分ほど飲んだ。熱い。淹れたてのようだ。的場は茶碗を置き、中を見る。濃い黄緑色をしたそれは、普段教職員に振舞われるものとは一線を画していた。それは校長が、来客や謝罪の必要がある保護者が尋ね来た際に淹れる高級茶だった。

「……これで手打ちにしてほしい、なんて言わないですよね」

「勿論です。そんなことで許されるわけがない。私の犯した罪は、それほどまでに大きい」

 校長はそう言い、再び茶を啜った。物静かな態度ではあるが、それは落ち着いているというよりもすべてを諦めているかのようだった。的場がここにくるまでに、覚悟を決めたのだろう。

「私も鬼ではありません。その雰囲気からして、ここで改めて問いただすようなことはする必要がないですよね」

「ええ、勿論です。私の覚悟は、これを見て頂ければご理解いただけると思います」

 そう言って校長は、退職届と書かれた封書をローテーブルの上に置いた。

「逮捕される前に、これだけは教育委員会に自分の手で提出したいのですが、よろしいでしょうか。できれば、自分一人で行きたいのです」

「それが可能かどうかは、私の質問に校長がどう答えるかで決まります。答え次第では、その願いは叶いません」

 的場がそう言うと、校長は深呼吸を始めた。一回、二回、三回――一回一回の呼吸がかなり深く、息が長い。そして五回ほど深呼吸を終えた後、校長は目を見開いて的場の方を見た。的場は自分の膝に肘を置き、前のめりな姿勢となった。

「校長。自らの罪を認めて、警察署ですべてを供述してくれますか」

「はい、勿論です。ただ、五年前のことに関しては、私一人だけで決めることはできません。的場くん、本当にすべてを話していいんですね」

 首を縦に振る的場。それを見た校長は徐に立ち上がり、掛けてあったスーツのジャケットに袖を通した。

「それでは、先に教育委員会へ行ってまいります」

「校長、どうしてこんなことをしたんですか」

「的場くん、五年前のことで痛いほど分かったはずです。日本は減点主義の国。何か問題が起こればそれがどれだけ小さく影響がないものでも、事前対策が不可能だったとしても、致命傷を個人の経歴に与えます。――私は、これ以上自分の教員人生に傷がつくことに、耐えられなかったんですよ」

 そう言うと、校長は扉に静かに手をかけた。

「最後に一つだけ、校長に確認したいことがあります」

「なんでしょうか」

「私が潜入捜査を行っている期間中、この校長室にマスターキーを借りに来た人はいますか」

「いえ、誰もいませんでしたよ」

「念のため、調べさせていただいてもよろしいですか」

「構いません。それでは、教育委員会に辞表を提出後、豊延署の方へ出頭しますので、私はこれで」

 校長を見送った後、的場はマスターキーを回収して職員室に向かった。

「藤浪先生はいますか」

「はい……あ、えっと、的場さんでいいんですよね」

「はあ。やっぱり俺には、学生服の方が似合うのかな」

「ああ、いやそういう事じゃないですよ」

「まあ、いいや。それより、頼みたいことが二つあるんだ。一つは、校長がカギを開けたまま教育委員会に行っちゃったみたいだから、校長室の鍵を閉めておいてほしい」

「へえ、珍しい」

「そうだな。で、もう一つは、北風小夏に電話してほしいんだ」

 そう言うと的場は、近くにあった裏紙に伝言内容をメモした。秋穂は的場の書くメモを覗き見て、目を丸くした。

「これを、伝えてほしい」

「これって……じゃあ、今から」

「ああ、すべて終わらせる。黄昏の祈禱師は、今日ここで俺が逮捕する」

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