死にたい男と助けたい女

第1話 犯人、アラサー刑事に呼びだされる

 的場から電話を受けてから一時間後、犯人は予定通り呼びだされたプールへとやって来た。倉庫に繋がる扉が開け放たれていたので、そこからプールサイドへ入る。

 時刻は、午後五時。傾いた日の光が、プールの水面を彩る。もう、お天道様の下を歩くことはできない。そう考えている犯人にとって、それはあまりに眩しい光景だった。思わず目を閉じ、手を額の辺りに構えて影を作る。

 再び目を開くと、そこにはスーツ姿の的場が飛び込み台に座り込んでいる姿があった。周囲の景色なども相まって、その姿からは哀愁が漂っている。辺りを見渡すと、そこには八人ほどの人影があった。犯人からすれば、どの人物も呼ばれた理由に心当たりがある人物ばかりだった。

「お時間になりましたので、まだ揃っていない人もいますが始めましょうか」

 そう言って、的場は飛び込み台から立ち上がった。その足元に目を向けると、立派に黒光りする靴が目に付いた。他の人も見てみると、全員何かしらの靴を履いている。本来、プールサイドは土足厳禁である。それなのに、その場にいる全員が靴を履いている。

 もし何も言われなかったら、事情を知らない警察関係者ならともかく、土足厳禁だと知っている教職員は靴を脱いでプールサイドに入るはずだ。しかし、今の状況は違う。まるで、犯人が暴れてもすぐに逃げられるように準備しているようだった。

 そうだとすれば、プールサイドに入る際何も言われなかった自分のことを、的場は犯人だと確信しているということだ。それを裏付けるように、厳しい視線が犯人に注がれている。

「今回お集まり頂いたのは、他でもありません。この学校で起きた二件の殺人事件に関して、真相を皆さんにお伝えしたいと考えたからです」

 その場にいる全員に目を配りながら、ただし犯人である自分に対してだけはとても険しい目で見ながら、的場は語り始めた。いよいよ、真相解明の時間となったようだ。

「まず、今回の事件について改めて振り返りましょう。最初の事件は、波風篤人くんがプールに浮かんだ状態で発見されるというものでした。この事件は、被害者の首に紐状の物で絞められた跡があったため、事故ではなく、事件として捜査が開始されました。しかし、調べていく内にいくつかの不審点が浮かび上がりました」

 的場は人差し指を突き立て、集まった人たちの眼前を練り歩き始めた。

「一つ目は、被害者がいつプールへ遺棄されたのか、ということです。先生方の証言やセキュリティ会社に残った赤外線センサーの解除記録から、プールに誰かが入ったのは一時間目と三時間目、そして死体発見時の三回だということが分かりました。しかし、もし一時間目に入った何者かが死体を遺棄していた場合、三時間目に入ったと証言した田辺先生がどうして気付かなかったのかという疑問が残ります。かといって田辺先生が三時間目に被害を遺棄したのなら、自分が不利になる証言を自らする理由はない。これは、明らかな矛盾です」

 次に的場は中指を突き立て、ある人物の前で立ち止まった。そしてその人物の顔を覗き込み、問いかけた。

「二つ目は、稲森先生と田辺先生の証言が食い違っていたことです。稲森先生は田辺先生に塩素の補充を終えたことを伝えたといったが、田辺先生はそんなもの聞いていないと証言した。田辺先生、今でもその証言を変える気はありませんか」

「ありませんよ。私は、噓なんてついていませんからね。噓をついているのは、稲森先生です。だからきっと、犯人は稲森先生なんですよ」

「どうしてそう思われるんですか」

「だって、犯人じゃなかったら偽証する必要なんてないでしょう。それとも、的場さんは私が偽証したと仰りたいのですか」

 田辺の語気がどんどん強く、大きくなっていく。犯人からは後ろ姿からしか見えないが、その言葉遣いでどれほど苛立っているのかは簡単に分かった。おそらく、自分が犯人だと疑われていると思っているのだろう。

 的場は的場で、そんな田辺のことを更に煽りたいのか。あるいは、犯人を知施院的に追い詰めたいと考えているのか。その立場を明確にしようとはしない。誰を疑っているのかには言及せず、長々と事実確認が続く。

「稲森先生は、田辺先生へ連絡したという証言を訂正しますか」

「――はい、訂正します。私は、緑山先生にしか連絡していません」

 唐突な稲森の証言。しかし、犯人にとってそれは予定調和だった。こんな状況になった以上、稲森から証拠品となり得る鍵が的場の手に渡っているはずである。当然、その指紋を調べて誰のものなのかも特定済みだろう。

 犯人がそんなことを考えていると、突然怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら噓をついた稲森に対して、苦言を呈しているらしい。

 正直、どうでもいい。田辺は事件に一切関係していないのだから、もう黙っていてほしい。

 犯人は心の中でそう思っていたが、田辺の怒りは留まることを知らなかった。稲森の胸倉を掴み、すぐ目の前で唾を飛ばしながら叫んでいる。稲森はただそれに黙って耐え、的場も近くで見守るだけである。

「田辺先生、そのあたりにしておいてください。これ以上手を出すようなら、私どもも黙って見ているわけにはいきませんよ」

  そう言って、的場の後輩刑事である莉子が、警察手帳を示しながら田辺を制止した。的場とは違い、どんな時でも規律を重んじるような堅物のようである。その隣にいる無精髭が汚い男も、身なりや立ち位置からして警察官であろう。

 だが二人とも、犯人の方へはあまり視線を向けない。むしろ、稲森の方へ視線を向けているように思える。的場はまだ、同僚にも何も伝えていないらしい。

「田辺先生、私はあなたを疑っているわけではありません。ただ、あなたの行動には、犯人が付け入る隙があった。それだけのことです」

「なにを言っているのか、全くもって理解できませんね。それじゃあまるで、私が犯人のことを見逃したみたいな言い方じゃないですか」

 言葉遣いこそ丁寧だが、田辺はあからさまに不機嫌だ。的場はそんな田辺には大した興味を示さず、腕時計に目を落としていた。

「おいあんた、聞いてるのか! あんたは、俺が犯人を見逃したって言いたいのかって訊いてんだよ」

「悪く言えば、そうなります。だって、あなたが三時間目に塩素を補充しに来た時には、既に被害者がプールへ遺棄されていたんですから」

 的場の言葉で、場の空気感が一変した。先ほどまで興奮していた田辺も、生唾を呑む。ある程度のことを予測していた犯人にとっても、この一言は心に刺さった。まさか、トリックに関してもすべて看破されているとは思わなかったからだ。

「そんなわけねえだろ。俺が来た時、プールには何もなかった。俺は、なにも見逃してない」

「そう思うのなら、少し協力してください。なに、あの日の行動を再現するだけで結構ですよ」

 的場が微笑を浮かべながらそう言うと、引くに引けなくなった田辺は二つ返事で了承し、倉庫に姿を消した。そして倉庫とプールサイドを繋ぐ扉を閉め、「それじゃあ、今から再現するからな」と大声で叫んだ。――全く、社会人なんだからもう少し自分の感情をコントロールしてほしいものだ。

 犯人がそんなことを思っていると、田辺の再現が始まった。

 田辺は倉庫からプールサイドへ出て、すぐに隣にあるポンプ室の鍵を開けて中に入った。そして扉を開けたまま中で塩素を交換するフリを行い、しばらくしてからプールサイドに出てきた。

「これでいいですか」

「いえ、プールから出るところまでお願いします」

 的場が促すと、田辺はうんざりした顔をしながらそのまま倉庫に姿を消した。そして一度プールから出た後、再度プールサイドに戻ってきた。

「これで満足ですかね。さて、私の行動のどこが問題だったというのでしょうか。一体、何を見逃したというのでしょうか」

 田辺が的場の方に凄みながら近づいていったその瞬間、プールからなにやら物音が聞こえた。気泡が水面で割れる音だ。その音は、どんどん激しさを増す。

「な、何の音だよ、これ」

「あなたが見逃したものの音ですよ。無論、本物ではありませんが」

 的場がそう言って、視線を田辺からプールの方へ移した。それに倣い、集められた人たちもプールの方へ顔を向けた。少し離れた位置にいた犯人も、プールの方へ近づく。気泡の破裂する音はさらに激しさを増し、遂には水面に何かが飛び出してきた。それは、天縣高等学校の制服を着せられた人形だった。

「これが、あの事件の時に行われたことです」

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