第8話 不審な手紙と二人の対立2

 今日から部活動が再開される。

 そんな状況だからか、どこか生徒の気持ちが浮ついてるように感じられた。的場と天麗は、そんな生徒とは対照的に沈みきった心持ちで下駄箱に来ていた。まもなく朝のホームルームが始まる。ほとんどの生徒は、下駄箱での用事を急いで済ませ、廊下を爆走している。

「あ、また変な手紙入ってた。気持ち悪い」

 天麗がそう言い、以前にも届いたあの怪文書を、汚物でも扱うかのように指先でつまんでいる。手紙の投函主の気持ちはいつ届くのだろうか、そんなことを思いながら的場が下駄箱を開けると、上靴の上に何も書かれていない白い封筒が置いてあるのが目に付いた。

「俺の分もあるのか。はあ、中山の野郎、懲りずにまた果たし状でも送ってきたか。それとも、花京院からのラブレターか。どちらにしても、速攻でごみ箱行きだな」

 そう言いながらも、的場はこの手紙に、殺伐とした空気を緩和してくれることを期待していた。事件に何の関係もない、他愛ない手紙で、心が和むだろうと考えていた。

 だから何の警戒もせず、封を開けてしまった。

 しかしそこに書かれた文字を見て、すぐに手紙を封筒に押し戻した。すぐに捨てよう。そう思った的場だったが、天麗がニヤケながらこちらを見ている。まずい。確実に手紙に興味を持っている。

「なんて書いてあったの」

「いや、何も書いてなかった」

「噓つくな」

 そう言って、天麗が手紙に手を伸ばしてきた。これを見られたらまずい。的場はそう思い、天麗のことを右手で制しながら、左手で手紙を遠くに逃した。天麗はそれでも諦めようとせず、必死に両手を手紙に向けて伸ばしている。

 その時、的場の背後から完全に状況を勘違いしている莉子の声が聞こえてきた。

「あの、朝からイチャつくの止めてもらっていいですか」

 的場は莉子にも加勢してもらおうと思いそちらを振り返ると、その手に茶封筒が握られているのが目に入った。その中身について的場はすぐに思い当たらず、何か頼んでいたことがあったかと思いを馳せた。

 だが、それがまずかった。一瞬天麗から気が逸れてしまったことで、天麗の無邪気に振り払ったその腕が、手紙に僅かに届いてしまった。手紙は無様に宙を舞い、その中身を吐き出した。

『五年前、お前は生徒を殺そうとした。お前がしたことを、すべて知っているぞ』


 的場、莉子、天麗の三人は、会議室へと場所を移していた。一時限目の始まる時刻であったが、天麗は的場を睨みつけたまま会議室についてきた。

「あの手紙について、何か心当たりはありますか」

 会議室について早々、天麗が冷たくそう言い放った。普段が無邪気でフランクな口調なぶん、その敬語の違和感がより強調されていた。暴走しそうな感情を、無理やり抑え込んでいる。的場には、そんな風に見えた。

「心当たりとかは、何もない。俺にも、あの手紙が何を言いたいのかさっぱり分からない」

「嘘をつかないでください。五年前、あなたはここで教師をしていた。その時に、こうして五年も経った後でも脅迫するのに十分な、何か大きな罪を犯した。そうですよね」

「だから、そんなことない。これは単なる悪戯の手紙だ」

「次に嘘をついた場合は、私が勝手に五年前のことについて調べます。慎重に考えて、返事を考えてください。あの手紙が指す内容は何か、正直に答えてください」

「だから、何も知らないって言ってるだろ」

 的場が少し語気を強めてそう言うと、天麗がとてつもない力で机を叩きつけた。野生動物が逃げ出すだろうと思えるほどのその音は、天麗が冷静さを失っていることを如実に表していた。

「あなたは他の大人とは違うと思っていた。他の大人とは違って、人のために自分を犠牲にできる人だって。でも、それは嘘だったんだ。じゃあ、私を捜査チームの一員って言ってくれたことも嘘だったんだ。私のことを誰よりも優しいって言ってくれたことも、私のことを信じるって言ってくれたことも、全部全部、大人の汚い嘘だったんだ」

「違う、どれも嘘じゃな――」

「じゃあどうして、どうして何も話してくれないの! このタイミングで脅迫状が来たんだから、今回の事件に関係していることは間違いないでしょ。話さないと、また犠牲者が出るかもしれない。あなただって、それは分かってるでしょ。それなのに、どうして話さないの」

「五年前のことと今回の事件は関係ない。今回の事件は、小夏さんの暴行事件の加害者が狙われているんだ。その事件について調べれば、自ずと真相は明らかになるだろう」

「それだけなら、どうして事件が起きる前に脅迫状なんて届いたりしたの。あの脅迫状が有っても無くても、小夏の事件には辿り着く。犯人の目的がその事件の復讐なら、あんな、むしろ殺しにくくなるような脅迫状は必要ない」

「じゃあ、なんだって言うんだよ。小夏さんの事件じゃないなら、犯人の目的は何なんだよ」

「……犯人の最初の目的は、綾子先生だった」

 突然の天麗の一言に、的場の頭は真っ白になった。

「どうして綾子の名前が出てくる」

「今回の犯行がもし五年前の何かに起因するなら、犯人は五年前の出来事に関連する人物を巻き込もうとするはず。でも、あんな脅迫状一つで的場さんが潜入捜査に来ることなんて、誰も予想できない。だから、最初のターゲットは別の人間だった。そう、あの脅迫状の時点で確実にこの学校に来ることが分かっていた……教育実習生のどちらか。そう考えれば、昨日の黒井先生の発言にも納得がいく」

「違う、綾子は関係ない。あいつは五年前の転落事故の記憶を失っている。時折古傷で左足が痛むが、それでも何も思い出していない」

「へえ、綾子先生はこの学校で転落事故に遭ったんだ」

 天麗が片側の口角を上げ、いやらしい笑みを浮かべた。的場は口元を抑え、いつも余計なことまで話してしまう自分の口を呪った。

「ここからは、別行動だね」

 天麗はそう言うと、会議室を後にした。単独で、五年前の捜査に乗り出しのだろう。的場は頭を抱え、これからどうすればいいのかと考えた。

 そこで莉子がもっていた茶封筒を思い出し、まずはその報告を聞くことから始めた。天麗にこれ以上余計なことをされないためにも、自分が先に今回の事件を解決してしまえばいいと、そう考えたからだ。

「莉子。俺に何か、報告することがあるんじゃないのか」

「はい。確か潜入したての頃に頼まれたと思うんですけど、天麗さんの過去を調べてきました」

 莉子がそう言うと、的場の中に潜入捜査を始めた頃のことが思い出された。天麗が異様なまでに捜査に首を突っ込もうとするので、過去に何かあったんじゃないかと不審に思い、莉子に調査を頼んでいたのだった。

「天麗さんの叔父さんに話を聞いたところ、すべてを教えてくれました。世間に知れ渡っていることも、いないことも」

「世間に知れ渡っていること? あいつ、そんな有名人だったのか」

「多分、的場さんも知っていると思いますよ。ほら、法的に父親を抹消されたなんて、可哀そうな題名でニュースになっていたそうじゃないですか」

 莉子の言葉を聞き、的場の中にあった古い記憶が蘇った。それは的場が中学三年生の多感な時期、連日ニュース番組や新聞を賑わせた言葉だ。

 十七年前、とある訴訟が起こされた。内容はこうだ。

 とある夫妻の夫が、突然病死してしまう。あまりに突然のことだった奥さんは悲しみに暮れるが、夫の生前に精子を冷凍保存していたことを思い出す。そしてそれを使い、夫の死後に、体外受精によってその子どもを身籠ったのだ。

 この裁判で焦点になったのは、この子どもの父親は誰かということだ。当然奥さんは、死んだ夫が父親であると主張した。しかし裁判所は、それを認めなかった。懐妊の時に既に夫が死亡していたことから、夫にはその子どもの未来への責任を果たすことができない。それを親権者として認めるわけにはいかない、というのが判決の理由だった。

 こうしてその子どもは、法的に父親がいないと決定付けられてしまった。そしてそのことが世間の注目を集めてしまったことで、マスコミはその子供の成長を追いかけようと執拗に取材を続けた。毎年毎年、誕生日と敗訴した日には、ご丁寧にこれまでのすべての経緯をまとめた映像とともに、成長したその子の姿を写し続けた。

 行き過ぎた取材に言及する声も年々増えていたが、それでもすべてのマスコミが手を引くまでに七年ほどの歳月を要したように思う。

 そうして大人の悪意に晒され続けた幼少期を送ったのが、何を隠そう遠坂天麗だったのだ。

「大人は、自分の利益になるなら平気で他人の人生を踏みにじる。天麗さんはよく、そう言っていたそうです」

 的場の胸に、その言葉が重たくのしかかる。

「それで、世間に知られていない話っているのは」

「天麗さんのお父さんは、とある財閥一族の一人息子でした。だからその跡取り欲しさに、祖母が無理やり母親に体外受精をさせたそうです。叔父さんも具体的な方法は知らないそうですが、祖母は生前警察を異様に恐れていたと言っていたので、相当なことをしたんでしょうね」

「なるほど。だから天麗は、俺を助けるような邪魔するような、よく分からない動きをしていたのか。大人に復讐するために」

「いえ、更に天麗さんを追い詰めた出来事があります」

「これ以上があるっていうのか」

「祖母の生前、天麗さんは何かと口うるさくて口に合わない薄味の料理を作り続ける母親ではなく、欲しいと言ったらいつでもお菓子を買い与えてくれる祖母を慕っていたそうです。毎日のように祖母の家に入り浸り、好き勝手過ごしていたと。しかし、実は天麗さんは一型糖尿病だったんです。生まれつきの糖尿病だから、治ることはない。だから母親は、娘の口に合わないと分かっていながら、薄味で栄養価の高いご飯を作り続けたんです」

「じゃあ、祖母は自分の都合で天麗を身籠らせた挙句、甘いお菓子を与え続けることで病気を悪化させようとした。殺そうとした……っていうのか」

 的場の問いかけに、莉子は静かに頷いた。

「これらの事実を、天麗さんは祖母の死後に全て知ることになりました。ここからは想像ですが、天麗さんはもう、頭では理解していると思うんです。母親こそ、天麗さんの求める利他的な大人の姿であることに。でも、どうしても幼少期の記憶が邪魔してしまう。だから何の先入観もない的場さんを通して、利他的な大人もいると、心から分かりたかったんだと思います。だから、さっきもあんなに怒って……」

 莉子はそこで言葉を止め、会議室を出た。

 的場は頭を抱え、呆然とすることしかできなかった。

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