第7話 田上への聞き込み

 昼休み。稲森の次は田上に話を聞こうと、的場と天麗の二人は体育教官室を訪れていた。二人が自己紹介を終えると、田上は訝しそうな目を的場に向けた。

「念のために言っておきますが、そういう趣味があるわけじゃありませんよ。彼女は、私の協力者です」

「協力者、ですか。本当かな」

「本当ですよ。だから私は、田上先生が今一番疑われていることを知っています」

 さも当然かの如くとんでもないことを口走った天麗に、的場も田上も目を丸くした。天麗の方はその反応が予想外だったのか、的場と田上のことを呆然と見つめている。

「え、俺一番疑われてるの」

「はい、当然ですよね。死体発見の前に最後にプールに入ったのは、田上先生なわけですから」

「おい、捜査情報を漏らすな」

「そういう風に注意するということは、この子の言う事は本当だということですね」

 的場はまた余計なことを話してしまったと自分の口元を抑え、横にいた天麗のことを睨みつけた。天麗は、満面の笑顔でこちらを向いている。普段なら可愛らしいと大人の余裕を持って対応できるところだが、今の的場にとっては感情を逆撫でされる以外の効能が無かった。

 そうして的場が眉間に皺を寄せて天麗の方へ顔を近づけていると、田上が教官室の中に入るよう、二人に声をかけた。教官室の戸口は、昼休みで人通りの多いレンガ道とグラウンドの入り口に面している。このまま外で話すのは、あまりに不用意だった。

 体育教官室の中に入ると、そこが想像していたよりも広いことに驚いた。中には事務机が一つ、三人掛けのソファーが二脚向かい合わせに置かれていて、その間にはローテーブルが置かれている。更には設置目的が皆目見当もつかない、キッチン設備まで備え付けられている。勿論、冷蔵庫も完備である。

「教官室の中って、こんなに設備整ってたんだ」

「まあ、生徒が怪我をする可能性が高い場所に面していますから、それなりの事態に対応できるようになっていますよ。子どもの頃に体育館で捻挫した時、どこからともなく教師が氷を持ってきたことありませんか」

「保健室から持ってきていたんじゃなかったのか」

「まあ、学校にもよりますけどね」

 田上は二人に座るよう促すと、キッチンでコーヒーを入れ始めた。

「天麗さんは、コーヒー飲めるのかな」

「はい」

「砂糖はいくついる?」

「砂糖はいりません。ブラックでお願いします」

「了解。的場さんはどうしますか」

「角砂糖とミルクを一つずつお願いします」

 そう言うと、田上は純喫茶でしか見たことが無いような専用の道具でコーヒーを入れ始めた。その姿は様になっていて、教師になる前にそう言った職業についていたことがすぐに分かった。

「まだ少し時間がかかりますから、このままでよければ先にお話を伺いますよ」

 お湯の温度を手の感覚で確認しながら、田上が言った。的場と天麗は少し顔を見合わせた後、的場から話を切り出した。

「田上先生。どうしてあなたは、プールへ塩素を補充しに行ったんですか」

「ああ、そのことですか。二人とも知っていると思いますが、稲森先生は基本的に部活動指導の場に姿を現すことがありません。それに緑山先生は美術教師という立場から、非常に忙しい。一方で私はそこそこ空き時間があるし、新任とはいえ体育教師ですから、プールの塩素濃度を調整する知識もあります。結果的に、私が塩素を補充する役割をよくやっていました。だから連絡が無ければ、私が塩素を補充するものだと思ってしまうというわけです」

「なるほど。では、塩素を補充した時のことを詳しく教えて頂けますか」

 的場がそう質問するのと同時に、田上は両手にコーヒーカップを持って二人と対面する位置のソファに腰かけた。そして静かに、カップを二人へ差し出した。天麗は田上に礼を言ってから一口、的場はミルクと砂糖をコーヒーに入れてから一口飲んだ。

「おいしい」

「ホントだ、これうまいな」

「そう言って頂けて何よりです。大学生の頃は昔ながらの純喫茶でアルバイトしていましたから、お客さんから美味しいと言われたくて必死に勉強しました。コーヒーにも淹れ方というものがありまして、その淹れ方によって味が大きく変化してしまうんです。ブレンドする豆の割合が少し変化するだけで、全く違った味わいを見せますしね」

「なるほど、知は力なり。そういうことですね」

「ええ。的場さんの方にはミルクが入りますから、ほんの少しだけ苦みを調整して、よりマイルドに感じられるようにしています。本来なら二つを飲み比べてほしいのですが……まあ、年頃の女の子にオジサンと間接キスしろというのは酷なので止めておきます」

 田上の言葉に動揺した的場は、コーヒーを誤嚥しかけた。喉がむせ、多量に咳込む。そんな的場の姿を見て、田上と天麗は大きな笑い声をあげていた。

「やっぱり私のこと意識してたんだ。でもごめんね、流石にアラサーのおじさんは恋愛対象外なの」

「うるせえ。お前のことを異性として意識したことなんて、これまでもこれからも一度たりともありはしねえよ。それより田上先生、あなたがプールを訪れた際に何か気になったことは?」

「ああ、そうでしたね、失礼。そうですね、強いて気になったと言えば、ブルーシートがプールサイトに出ていたことでしょうか」

「どうしてそれが気になるんですか」

「ほら、プールには赤外線センサーが付いているでしょ。ブルーシートを置きっぱなしにしておくと、風で舞い上がったブルーシートにセンサーが反応することがあるんですよ。だから、あまり天日干しにはしないんです」

「それなら、どうして片付けなかったんですか」

「まあ、稲森先生への嫌がらせかな。校長はプールのセンサーが反応するとすぐに稲森先生に内線をかけるし、校長から言われたとあってはさすがの稲森先生も行動するから、プールにやってくる。顧問なんだから、少しくらいそうして関わってほしいですからね」

 田上は片側だけ口角を上げ、的場の方に笑いかけた。その笑顔には、無邪気ながらも悪意が込められているように感じられた。その時、五限目が始まる五分前になる予鈴が聞こえてきた。的場はミルクが沈殿し始めていたコーヒーを慌てて飲み干し、田上に再度礼を言ってから教官室を後にした。天麗もその後に続こうとしたようだが、慌てて飲みすぎたせいか、むせて少し吐き出していた。

「あ、ごめんなさい」

「ああ、いいよいいよ、気にしないで。それより、早くしないと授業始まっちゃうよ」

 天麗は何度も田上に頭を下げた後、戸の前で待っていた的場と共に体育教官室を出た。


 その日の放課後、的場と天麗は校舎の南側四階の廊下にいた。ここは特別教室が並ぶ場所で、部活動の無い今は、放課後に立ち寄る生徒がほとんどいない。その上見晴らしもいいため、二人で人に聞かれるのはまずい事件の話をするには丁度いい場所だった。

「どう思う」

「……やっぱり、小夏はこの事件に関係していると思う。小夏が波風を殺して、その偽装工作を先生の誰かが手伝った」

「その共犯者の先生というのは?」

「今のところ、質問の答えを濁した稲森先生が怪しい。でも、それは私の感覚的な問題だと思うから、確信はない」

「稲森が何らかの事情を知っているが、誰かを庇うためにそれを言わないという可能性もある。まあ、どちらにしても、稲森がこの事件の鍵を握っていることには変わりないが」

 そんなことを話していると、階段の方から足音が聞こえてきた。二人が話題を他愛ない雑談に切り替えて様子を窺っていると、階段から黒井星が姿を現した。

「おっと、これが禁断の恋というやつですか。お邪魔してすいません」

「勝手に話を盛り上げるな。何しに来た」

「嫌だな、あなたは今生徒なんですよ。僕に偉そうな口をきかないでほしいものです。それに、別にあなた方に用があるわけではありませんから」

 そう言うと黒井は、二人の間を通り抜け、その先にあった音楽室の扉に手をかけた。しかし開ける直前で手を止め、扉の方を見つめたまま口を開いた。先ほどまでのお道化たものとは違い、その声色は真剣だった。

「的場先生。今回の件に、五年前のことは関係ないんですよね。俺や綾子さんが教育実習としてくるときに脅迫状が来たことも、その差出人が黄昏の祈禱師だってことも、事件が実際に起こったって言う事も、すべて偶然なんですよね」

「ああ、当然だ。それに、あの一件は五年前に決着がついたじゃないか」

「――俺は、あの殺人事件が五年前に終わったなんて、全く思ってませんから」

 そう言うと黒井は、音楽室の中に姿を消した。

 的場の頭の中には、五年前の綾子の姿が再び呼び起こされていた。

 もう、忘れさせてくれ。

 そう願う的場の言葉は、誰の耳にも届かなかった。

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