第4話 五年前の悲劇、再び

 的場が犯人として名指しした天津川栄作は、取り乱すでも否定するでもなく、静かにその事実を受け入れるように頷くだけだった。

「天津川先生、何か釈明や反論があればお伺いしますよ」

「――いいえ、ありません。すべて、あなたが仰ったとおりです」

 天津川は微笑を浮かべながら、優しい口調でそう答えた。その目には、迷いと葛藤、そして覚悟の色が入り混じっているように、的場には見えた。

 このまま、一筋縄では終わらない。

 そんな気がした。

「すべて、認めるんですか」

「はい。だって、もう言い逃れできないくらい調べてあるでしょ。倉庫にはマスターキーで入ったんだって言われても大丈夫なように、既にマスターキーについても調べてある。違う?」

 的場は何も答えなかった。

「そういうところ、職業が変わっても人間は変わらないよね。的場先生のことは、同僚時代にかなり理解しているつもりだよ。君なら、僕のことを名指しする前に完璧に調べ上げて、袋小路に追い詰める。そういう男だ。今回だって、すぐに呼び出さずに集合時間を指定したのは、プールのアリバイ工作を実演するためだったんだろう? 内線をもらった時に少し覚悟はしていたけど、いやまさか、そこまで分かっているとは思ってもみなかったよ。完敗だ」

 あっけらかんと言う天津川。その振る舞いや雰囲気などは、確かに的場の知る天津川の姿そのものだった。だが、もう的場の知る天津川はいない。

 目の前にいるのは生徒のことを第一に考える教師の鑑ではなく、大切な生徒を殺した殺人犯なのである。以前までの的場なら天津川に同情して見逃していたところだろうが、過去を受け入れた今の的場には、そんな考えは微塵も浮かばなかった。

「私も、天津川先生のことは理解しているつもりです。あなたはいつも、生徒を第一に考えて行動していた。すべての生徒を平等に扱い、大切に思っていた。……でも、変わってしまったんですね。あなたは、もう生徒すべてを平等には――」

「ところで的場先生、天麗さんがずいぶん遅いとは思いませんか」

 的場の言葉を遮ってまで伝えてきたその天津川の言葉は、的場の心の中に一抹の不安を生じさせた。その不安は、目の前にいる天津川の口角が上がることに比例して、どんどん大きくなる。堪らなくなった的場は、直接天津川に確認することにした。

「天麗さんに、何かしたんですか」

「まあ、先ほど私はこう言いました。すべて、あなたが仰ったとおりです、と」

 天津川はそこで言葉を止め、首を横に振る。

「これは、噓です。的場先生、あなたは一つだけ間違えたことがあります」

 そう言うと天津川は、的場の胸倉を掴んで叫んだ。

「五年前の事件とは、何の関連も無いと言ったことだ! ……でも、残念だったな。今回の事件と五年前の事件は、確実にリンクしている」

「天津川先生、もう無理です。これ以上、無茶な噓のために罪を重ねちゃ駄目だ」

「うるさい、黙れ! さあ、今度はお前が懺悔する番だ。五年前、お前が何をしたのか。今や妹となったあの時の被害者、あそこにいる綾子さんに洗いざらい喋ってもらおうか」

 天津川は波佐間の隣に陣取っていた綾子の方を指さし、更に激昂した。的場にとってそれは、初めて見る天津川の顔だった。それが、天津川がなにかとんでもないことを考えていると、ひしひしと伝えてきているようだった。

「天麗は、どこにいる」

 逆上した的場も、天津川の胸倉を掴み返す。

「まだ分からないのか。お前が! 懺悔するのに一番ふさわしい場所だよ」

 その言葉を聞いた的場は、すぐに走り出した。倉庫を抜け、プールから出て、校舎の方へ走り出す。閉められていた校舎への入り口を開け、土足のまま校舎内に侵入。そのまま走る。階段を昇る最中、何度も何度も蹴躓き、何度も何度も膝を打ち付けた。

 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。階段を駆け上がり続けた。二階から三階に上がる途中、下から自分を呼ぶ声が聞こえることに気が付いた。莉子の声だ。心配で来てくれたのだろう。だが、今はその声に耳を傾けている場合ではない。

 天津川は言った。天麗のいる場所は、的場が懺悔するのにふさわしい場所だと。的場が懺悔するべきなのは、当然綾子の一件である。であれば、その懺悔にふさわしい場所というのも自ずと決まってくる。

 屋上だ。

 おそらく天麗は、屋上で五年前の綾子と同じ状況になっている可能性が高い。だとすれば、すべての事情を知る自分が一番最初に現場に付かないと、また悲劇が繰り返されることになってしまう。駄目だ。それだけは駄目だ。

 一心不乱に階段を駆け上がる的場。やがて、重い鉄製扉にぶつかった。扉の上半分を閉める磨りガラスから、外の光が差し込んでいる。扉のノブに手をかける。感触からして、鍵がかかっている様子はない。しかし、重い。異様なまでに、ノブが重い。

 五年前の時もそうだった。異様なまでに重いドアノブ。綾子を助けたい一心で、肩にあざを作りながらその扉へ体当たりした。そして無理やり押し開けたその先に見た光景は――。

「あ、やっと追いついた。大丈夫ですか、的場さん」

「いや、大丈夫じゃない。多分この先に、天麗がいる」

「なるほど、簡単に助けられないように扉に細工がしてあるってわけか。的場、俺たちで力を合わせればこんな扉、簡単にこじ開けて――」

「そんなことしちゃ駄目だ! 天麗が死ぬ」

 当然大声を上げた的場に、意気揚々と肩を回しながら扉に近づいていた波佐間が、驚いて猫のように飛び上がった。なんとも形容しがたい、間抜けで気の抜けた声を上げながら。

 冷静さを取り戻した波佐間がこちらの方を睨みつけてくるが、今の的場にとってはどうでもいいことだった。それよりも、早く天麗を助け出す打開策を見つける必要があった。このまま扉を開けず、天麗を助ける方法を。

 そこで思い出した。屋上には、この扉の脇にある梯子を昇っても辿り着けるということに。ここから入れば、天麗のことを安全に助けられるかもしれない。

 そう考えた的場だったが、梯子を見上げて絶望した。梯子の上にある跳ね上げ扉の鍵穴には、何か粘土のようなものが詰め込まれていた。これでは、鍵を持ってきたところで屋上に出ることができない。

 万事休す。

 そう思ったその時、的場の目の前に金槌が差し出された。差し出してきた手の方に目を向けると、そこには綾子の姿があった。

「綾子、やっぱりお前……」

「そのことは後。さあ、早く天麗さんを助けてあげて」

「……ああ」

 的場は綾子から受け取った金槌を使い、屋上に繋がる扉の上半分を閉める磨りガラス部分を叩き割り始めた。最初は大胆に、徐々に慎重に。特に付け根部分に関しては、入念にガラスを割った。磨りガラスの下半分がきれいに割れた頃、的場はそこから屋上の方へ手を伸ばした。

 確かな感触。ロープだ。屋上側にあるドアノブへ引っかけられている。的場はそのピンと張ったロープをドアノブから外れないように慎重に引っ張り、同時に叫んだ。

「天麗、聞こえるか。俺がこのロープを持っておく。絶対にお前を落としたりしないから、安心してこっちに戻ってこい」

 的場が何度も呼びかけていると、やがてロープの針が弱まった。磨りガラスが割れた部分から覗き込み、安全を確認してからロープをドアノブから外し、ノブを押し下げて扉を開け、屋上へ出た。

 雲一つない青空の下には、胴体をぐるりと一周ロープで巻かれ、屋上の柵の外に放り出された天麗の姿があった。その口に貼ってあったガムテープを剝がし、胴体のロープも解くと、天麗はすぐに策の上を跨いで安全な方へ戻ってきた。

「ちょっと、助けに来るの遅くない?」

「助けてくれた恩人に対して、一番最初に言うのが文句ですか」

「……ありがとう」

「いや、俺の方こそ悪かった。せめて犯人のことだけは、お前に伝えておくべきだった。そうすれば、こんなことにはならなかったのに」

「ううん、大丈夫。助けてくれるって、信じてたから」

「え、なんで」

「相棒は、お互いを絶対に信用するんでしょ」

 そう言って天麗は的場に向かって微笑み、強がって見せた。

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