第2話 潜入捜査決定

 的場には、持論があった。それは物語の世界にもし入れるとしたら、主人公よりも悪役になるべきだというものだ。大抵の人間は、主人公に憧れて主人公になろうとしてしまう。しかし主人公というのは、その物語の中心であるが故に、どんなピンチの時にもその渦中にいなければならないという宿命を背負っている。その上、物語上必要だからと、不必要に凄惨な過去を作られたりする。つまり主人公になった時点で、人生が苛酷になることは目に見えているのだ。

 一方で悪役は、クライマックスまでは大抵企みが成功する。そうして主人公が追い詰められて、最後に逆境を跳ね返して勝利するからこそ、観客はカタルシスを得られるのだ。つまり悪役なら、物語の中で過ごすほとんどの時間を充実感を持って過ごせるということだ。その上、バッドエンドと呼ばれる物語では、あまつさえ最後まで勝ち続けることまでできてしまう。

 だから的場は、自分が物語の世界に入るなら悪役がいいと、小学生の頃から思っていた。しかし、今自分の境遇を改めて振り返ってみると、自分は明らかに主人公としての人生を歩んでいると感じられた。

 中学生の頃、両親が離婚した。原因は、母親の不貞行為だ。だから的場は、多感な時期に恋人の一人も、いや女友達の一人も作ることができなかった。そんな状態で高校に進学したからだろうか、ほとんどのクラスメイトからいじめられることになった。成績がクラスで最下位の的場は、担任教師からも見捨てられた。そうして自分のことを馬鹿にした全員を見返してやりたいという思いと、自分のように教師から見捨てられて辛い思いをする生徒を救いたいという思いから、教師を志した。

 根っからの体育会系だった的場は、根性だけで教職課程や教育実習を乗り越えることができた。勉強の方は相変わらずだったが、誰よりも寝ずに勉強するという体力頼りの作戦と愛嬌の良さで、何とか教師になることができた。だが配属されたのは、トラウマしかないこの母校だった。それでも必死に足搔き、何とか職務を全うした。そんな時、的場がよく知る女生徒が目の前で屋上から落下した。そのことが発端となり、教師を辞めた。

 こうして地元に呪われていると感じた的場は、そこから離れたい一心で、警察学校に入校した。体力以外の取り柄が無い自分は警察官にあっているような気がしたし、警察署は日本国内に無数にある。だから、地元から離れられる可能性が高い。そう思って根性で警察官になったが、配属されたのは地元にある豊延警察署だった。そこから三年ほど経ったが、未だに移動の辞令は出ていない。

 そして今、再び母校に凱旋した的場は、そこでこれから起こるであろう事件に巻き込まれようとしていた。これが主人公の軌跡じゃないというなら、なんだというのか。的場は、脅迫状に目を通したことを後悔した。この状況を切り抜けなければ、自分は主人公としてこの先も試練に追われ、息つく暇もない荒波に揉まれるに違いない。的場は、そう直感した。

「ご相談いただいて大変ありがたいのですが、校長、これはただの悪戯だと思いますが」

「的場くん、君は五年前の警察と同じことを言うのですか。その結果どうなったのか、間近で見届けたはずですが」

 校長のせいで、再び五年前のことが思い起こされた。五年前、この天縣高等学校では二件の殺人事件と一件の転落事故が同日に発生した。

 殺人事件は放課後、それぞれ理科室と校舎東端の畑で起こった。理科室では、一人の生徒めがけてアルコールランプが投げつけられ、それが火炎瓶の如く燃え上がり被害者を死に至らしめた。畑の事件はもっとシンプルで、生徒一人が刺殺されて畑に左半身を埋められた。そのどちらの事件も、加害者が犯行後すぐにそれぞれの担任に自白したことで事態が明らかとなった。幸いにして、その日の部活動の都合上、事件が生徒の目に触れることはなかった。

 しかし、最後に起こった転落事故は違った。これは生徒の目に触れ、学校全体をパニック状態に陥れた。的場としては、一番忘れたい記憶である。――こちらは殺人事件と同日、似たようなタイミングで起こったというだけで、実際はただの事故だと結論付けられている。

 だが、公立高校で起こったそんな大事件をマスコミが放っておくことなどなく、全国紙で大々的に取り上げられた。中には三日前から怪文書が出回るなど事件の予兆があったのに何も対応しなかったとして、学校や豊延警察署を責めるような記事もあった。

 そんなことがあったので、当時の校長や教職員たちは大変な目に遭った。この一件のせいで精神を病み、休職に追い詰められた教師もいた。そのことを考えれば、今もその校長という役職を死守している目の前の男が、とんでもなくやり手に思えてくる。

「なあ的場、俺も十年間豊延署にいるから事件についてはよく知っている。しかし当時からよく分からなかったんだが、この黄昏の祈禱師ってやつは何なんだ」

 波佐間に問いかけられた的場は、一呼吸おいてから、渾身の低音ボイスで語り始めた。

「何かに思い悩む生徒は、夕日が差し込んでいる時に教室の中に居てはいけない。黄昏の祈禱師は夕日の光と共に教室に現れ、祝詞という名の犯罪計画を授けてくるだろう。それを聞いた者は、何があってもそれを実行してしまう。例えそれが……誰かを殺す計画でも」

「突然なんだ」

「まあ、今のが黄昏の祈禱師を語る際の決まり文句みたいなものです。ほら、どの学校にも七不思議みたいな、オカルト系の話があったでしょ。ここでは、それが黄昏の祈禱師なんです。言葉で生徒を誘惑し、犯罪の道へ招き入れる怪異。五年前の事件では、加害者が実際に黄昏の祈禱師に会ったと証言したことで、精神鑑定にもつれ込みましたね」

「結果は振るわず、二人とも少年院に行くことになったがな。なるほど、そんなオカルト系の話だったのか」

 波佐間が唸るような声を上げて何かを考え始めると、校長が少し声を潜めて的場に尋ねた。

「あのことは、もう関係ありませんよね」

「……あれは、もう終わったことですから」

 的場も声を潜めて返答すると、波佐間がとんでもない眼力でこちらを睨みつけてきた。今のやり取りで、何か怪しまれたのかもしれない。

 五年前の転落事故。あれにはまだ、隠されている裏事情がある。だが、その五年前の転落事故の真相だけは、何としても隠し通さなければならない。そう思い、的場は波佐間に向かって微笑んでみた。

 すると、意外にも波佐間も微笑み返してきた。何とか誤魔化せるかもしれないと的場が安堵したのも束の間、波佐間の口から全く予想できない言葉が飛び出した。

「的場。これからこの学校は、未曾有の危機に瀕するようだ。そこで、お前に潜入捜査を命じる。生徒のフリをして、この学校に通え」

 波佐間の言っていることが、的場には理解できなかった。ただ、この状況がまずいということだけはすぐに分かった。波佐間はよく、思い付きで飛んでもない行動を取ることがある。違法捜査も平然とやってのけるので、よく署長からお叱りを受けていた。

 そんな波佐間の暴走を止めるのは、いつも後輩の莉子の役目だった。だが、今莉子は山田を連行しているので居ない。このままだと、波佐間のふざけた思い付きがまかり通ってしまう。なんとかして、自力でそれを阻止するしかない。

「待ってください、波佐間さん。こんな本当に起こるか分からない事件のために潜入捜査なんて、どうかしています」

「駄目。もう決めたことだから、君に拒否権無いよ。それに、五年前それで大変な目に遭ったんでしょ。学ぼうよ、同じ失敗しないようにさ」

 波佐間は、的場を一瞥することもなく言った。

「じゃ、じゃあせめて、教師として潜入させてください。さすがにもう三十二歳になるオジサンが高校生のふりをするのは、無理があります」

「まあ、見た目は髭を剃ればなんとかなるでしょ。それに、頭の中は中学生並みだから大丈夫」

「待ってください、それは聞き捨てなりません。仮にも元教師ですから、それなりの学力はあります。馬鹿にしないでください」

「じゃあ、こうしよう。俺が今から常識問題を出すから、それに正解出来たら潜入捜査は無し。不正解なら、潜入捜査決定。どうだ」

「いいでしょう、受けて立ちます」

「じゃあ、問題。その壁にかかっている白地図の中で、東京を指さしてくれ」

 波佐間は、的場の後ろにある壁に貼られた日本の白地図を手で示しながら言った。的場は安堵した。高校地理の教員免許を取得している自分にとって、こんな問題は簡単すぎると思ったからだ。ましてや、出題されているのが日本の首都である東京だ。間違えるわけがない。

 白地図に正対した的場は、古い記憶を必死に遡った。東京は日本の首都。首都とは、即ち中心であるということ。つまり、東京は日本の中心にあるのだから、指し示すべき場所は――。

「ここが東京です」

「そこは岐阜県だ。どうせ、東京は首都で日本の中心だから、中心を答えたんだろう」

「ははは。今のは、ほんの冗談ですよ。本当はここですね」

「そこは北海道。首都だからって、一番でかい場所なわけじゃねえから」

「ああ、なんでしょう。この人がかつてこの学校で授業していたと思うと、無性に心配になってきたのですが」

「校長、安心してください。的場は勉強は苦手ですが、体力はあります。護衛として潜入させるにはうってつけの人材です。かつてのように、あいつの面倒を見てやってください」

 焦る的場。様々な考えが頭をよぎる。このままだと、三十二歳にもなって高校生として登校する羽目になる。何故そんな惨めなことをしなければいけないのか。そうか、この場で制服を着た姿を波佐間に見せればいいのだ。そうすればさすがに無理がある設定だと分かり、波佐間も目を覚ますに違いない。最後に、その可能性に賭けるしかない。

「お、似合うじゃないか的場。じゃあ、明日から潜入よろしく」

 ああ、駄目だった。波佐間どころか、自分でも違和感がないほどに制服が馴染んでしまった。

 的場はすべてを諦め、潜入捜査を引き受けることにした。

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