第十九章 愛は謀略のために
ふと、誰かに呼ばれた気がして私は夕闇に包まれる空を振りあおいだ。
町の建設予定ととなったなだらかな丘陵地帯に元工兵たちが仮の拠点となる居留地を建てたその場所に、私はたたずんでいた。
何かとても大事なことのような気がして、ぼんやりと暮れゆく東の空を眺めていると、不意に大きな人影が私のそばに立った。
「何をしているんだ?巫女どの」
振り返ると、工兵長の〈
行動を共にするようになった間も、デュールさんや工兵たちも随分と雰囲気が変わってきて、デュールさんも今では随分と落ち着いた態度に見える。
「いえ、その……誰かに呼ばれたような気がしただけです」
「空から、あの魔族の姫様があんたを呼んでいるのではないか」
「そういうことも、あるかもしれませんね」
私は曖昧に微笑んで受け流す。
本当は今、ジャンヌ様がわざわざ飛んできて、私を呼んで会いに来るなんてことは考えられないのだけど。
そのまま離れていこうとしたら、デュールさんが少しもの問いたげな視線を向けてきた。変化といえば、私の方も〈魔族領〉に暮らすようになって、こういった人間以外の種族の表情の機微がなんとなく分かるようになっていた。
あくまで、ジャンヌ様の魔力の影響下にあるこの地に住む人だけ、ではあるのかもしれないのだが。
「なんでしょう?」
「……人間だというのに、あんたは俺たちによくしてくれた。あの魔族の姫と橋渡しをしてくれて、町を造る案も、実際にその段取りを整えてくれた」
デュールさんはしみじみと語って、工兵たちの居留地を顧みた。
それは、まだ町を形作るという段階ですらない、建造を始める前準備の、その足がかりができたばかりの状態でしかない。
「私は私のやれることで……あの人の役に立ちたいと思っただけです」
炊事の煙が上がり始める夕闇の空。確かにそこに根付き始めた営みの形を眺めながら、私はデュールさんに語りかける。
「そうか」
デュールさんはうなずき、それからしばらく間を置いて私を横目に見た。
「俺にも、何かあんたの為にやれることが、あるだろうか?」
あまりに朴訥で、素直な問いに私は思わずデュールさんを振り返り、目を瞬いた。
「えっ?」
夕闇の中、デュールさんは腕を組み、かすかにうつむく。
「ここの所のあんたは、何か……元気がなくて、悩んでいるように見えるから」
「……そうかもしれませんね」
私はうなずき、デュールさんに真正面から向き直った。デュールさんの方も、かすかに息を吐いた後、私の方へと向き直った。
デュールさんは本来、こういう繊細で穏やかな気質が元々そなわっていたのかもしれないと、彼のこちらを気遣う表情を見上げて思った。
「ありがとうございます。……でも、平気です。私は、もう一度、あの人の傍にいられるようになるまで、頑張るだけですから」
「そうか」
もう一度うなずいて、デュールさんはこちらへ大きな背中を向けた。
「強い女だな、あんたは」
そう言って立ち去る彼の背中を、私は夕闇の中、見送った。
〇
デュールさんと語らった後、私は私の為に建てられた天幕へと向かった。
周囲にはゲルデさんの部下の〈
人間のあなたは〈魔族領〉でいくら警戒してもしすぎることはない、とか、あなたが万一いなくなった後のジャンヌ様を想像なさい、と言われて、結局受け入れることになったのだけど。
工兵たちの居留地からは賑やかな夕餉の雰囲気が漂ってくる。
私もそろそろ夕飯をとらなければならないが、昨日、あれだけ荒れていたジャンヌ様はきちんとご飯を食べられるだろうか……。
そんな事を考えて、夜空を見上げた時だった。
夜空を覆う雲の隙間から、矢のように地面めがけて黒い影が飛び降りてきた。
ふわりと私の目の前で漆黒の外套がひるがえり、宙に消えたその下からドレスを身に纏うすらりとしなやかな、美しい女性の姿が現れる。
「ジャンヌ様……」
唐突に目の前に舞い降りた彼女の姿に、私は呆然とその名を呟いた。
ジャンヌ様は夕闇の中、私の顔を何故かまじまじと見詰めた後、安堵したように大きく息を吐いた。
「無事、なんだな?」
「はい。ジャンヌ様、私……何も問題ありません」
ちぐはぐなやり取りを終えた後で、ジャンヌ様は一度、何かを見透かすように遠くを見た後、ちっ、と短く舌打ちをした。
「……ノートルクアたちでは、止められないか。私が直接、こいつを守るしか」
「ジャンヌ様……?」
何事か呟いた後、状況の呑み込めない私の前で、ジャンヌ様は突然「うがああああああっ!」と叫び出して頭を抱えた。
「ラクシャラの巫女のくそばばあー--っ!私の感情を計画の内に入れやがったなあー---っ‼」
ジャンヌ様は、ひどく激昂しておられるようだった。
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