終章その2 祝宴
──「つまり、新しくできる町を通じて取引をすれば、万一作物が不足した時も他の村の蓄えを融通することもしやすくなる。彼らの造る町が、我が領土の物、人の動きの中心となる」
ジャンヌ様がデュールさんを見上げた後、改めて目の前の村長に語りかける。
「それは遠い将来にわたってもこの地に大きな利をもたらすと私は信じる」
工兵の中心となるデュールさんたちと、私たちの訪れるこの村の住民たちとが集まる村の集会所で話を終えたジャンヌ様はじっと村長の方を見た。
表向き平静を保っているが、内心の不安が横顔ににじみ出ていた。
私は、ジャンヌ様の手に自分の手を重ねたくなるのを、ぐっとこらえた。
「……それはジャンヌ様の治世の続く限り、という意味でしょうか?」
やがて年老いた狼の獣人種の村長が、静かに問い質した。
ジャンヌ様は一瞬、意表を突かれたように拳を握ったが、すぐに口を開いた。
「そうだ。私の目が行き届く限り、我が領土に今日と同じ平穏な明日が訪れるよう力を尽くすことを誓おう」
ジャンヌ様は最後まで、そばに控える私やゲルデさんに助けを求めることなく、そう言って締めくくった。
テーブルを挟んだ向かい側でまぶたを閉じていた村長が、目を見開いて私たちをゆぅくりと見渡した。
「ジャンヌ様がそうおっしゃるのであれば、わたしたちもその明日を描く手助け、しないわけに参りませんな」
〇
私たちが交渉に訪れた村は、その夜、村人総出の宴が催された。
同行してきた工兵たち、ゲルデさんたちジャンヌ様の家臣の者も宴に加わり、村の中央の広場の焚火の周りで集い、食べて、飲んで、歌い、踊って、この一夜の宴を楽しんでいる。
私も、片手に注がれたエールのジョッキを持って村長や、村人たちと談笑した後、改めて広場の周りを見渡した。
宴も盛りを過ぎて、家路につく村人たちの姿も目に付き始めた頃から、ジャンヌ様の姿が見えなくなっていたのだ。
ジャンヌ様に心配など、この領内にいる限りは無用のものだけど、どこかで酔いつぶれている可能性はなきにしもあらず、だ。
私が焚火の火の光から離れて、暗がりの中をきょろきょろと視線をめぐらせていると、不意に闇の中から静かな声が聞こえた。
「ここだ、ここ」
声のした方に目を向けると、私の顔の前に二本のほっそりした足が揺れていた。
「ひやっ」思いもよらぬ光景に思わず悲鳴を上げると、木の上からジャンヌ様の愉快そうな笑い声が降ってきた。
「なんだその声?幽霊かなにかとでも思ったか?」
顔を上げると、ジャンヌ様が広場の脇に生えた木の枝に腰かけ夜風を浴びていた。
私が胸に手を当て高鳴った鼓動を収めていると、ジャンヌ様が私に向かって手を差し出した。
「酔い覚ましに風に当たるのにちょうどいいぞ。お前も来い」
ジャンヌ様の手を取って、私も木によじ登る。
どっしりと根を生やし、太い枝を張り巡らせた木の上は、私とジャンヌ様が隣り合い腰を下ろしてもしっかりと支えてくれた。
「……村の者に衣装を借りたのか?」
ジャンヌ様は果実酒の入っているらしいゴブレットを片手に、私を横目に見る。
私は今は、普段の巫女の装束の代わりに村の女性たちから借りた、鮮やかな刺繍の施された素朴な衣服に身を包んでいる。
「せっかくですから、今日位は気分を変えてみようと……」
「ふーん」
ジャンヌ様はドレスの裾を夜風になびかせ、一口、果実酒を口に運んだ。
「……そういう気分になれるようになったんなら、なによりだ」
一言そうつぶやくように言うジャンヌ様に、私は小さくうなずいた。
──ラクシャラ様の影が私と一体化して、ジャンヌ様が私ごとラクシャラ様のお力を自分の魔力の一部として取り込んだあの朝から、はや一月が過ぎようとしていた。
豊穣の女神ラクシャラと呼ばれた存在は、おそらくもうこの世界にはいない。
私ももはや、ラクシャラ様の巫女ではなくなったのだ。
おそらく女神ラクシャラはこれから、人間たちの間では、豊穣の女神などでなく魔族に己が力を与えた邪神として語り継がれるようになる。私は、その邪神に仕え、魔族に与する邪悪な祭司、ということになるのだろう。
──そんな私にもう〈人界領〉に居場所などどこにもない。
ほんの一時、何もかもなくしたような喪失感を覚えて、私はぼんやりとしていた。
でも──そうしていると、ふと空っぽに思えた自分の中に、新たな力が芽生えているのに気付いたのだ。
私は夜風の中に手を掲げて、そっと指先で風の流れをなでる。
すると、そこにほんの小さな虹色に輝く蝶が顕れ、しばらく夜風の中をひらひらと舞った後、小さな光の粒になって消えた。
ジャンヌ様はその様子を黙って眺めた後、小さく息を吐いた。
「……私の眷属、とはいっても元は人間だし、今はそれ位が精一杯か」
「はい。でも、ジャンヌ様のお力に似ていて、私はとても気に入っています」
「純粋な人間とは言えなくなったのに、随分とまあ前向きだな」
呆れた様子のジャンヌ様の言葉に、私はくすりと小さく笑った。
きっと──ラクシャラ様と一体となり、そこからジャンヌ様の力の一部となり繋がった経験で、私も人間とは言えない存在になったのだ。
人間でも、ラクシャラの巫女でもなくなった私が今、やるべきこと──
私が心の底から願うこと──
「ジャンヌ様、私はあなたのお力の一部です。あなたの傍に、あなたのお力になれるようにラクシャラ様と共に仕えさせてください」
私の言葉を聞いて、ジャンヌ様はしばし無言で村の広場を眺めていた。
そこには、ジャンヌ様が愛する領民──村の人々、デュールさんたち元はタルレス様の工兵だった人たち、ゲルデさんたち家臣、彼らの笑いさざめく顔があり、その喜びに満ちた歓声が聞こえてくる。
ジャンヌ様の領土、〈魔族領〉を形作る人々の姿。
私も、彼らと共にジャンヌ様の描く明日を支えたいのだ。
「ジャンヌ様……」
「……どう長く見積もっても、百年と少しか」
私が呼ぶと、ジャンヌ様が木の枝から垂れ下がった自分の足を見詰めてつぶやく。
「もしかしたら、この場合、もう少し長いかもしれんがな」
それが何を意味する年月の長さか、私は悟って口をつぐむ。
だが、ジャンヌ様はおもむろに私を振り向くと、にっと悪戯っぽく笑ってみせる。
「ま、せいぜいその程度ならラクシャラとまとめて面倒を見てやるさ」
互いの呼吸さえ感じられる距離で、闇の中、私とジャンヌ様は互いの顔を見た。
ジャンヌ様はふと、私の頬に触れてじっと私の目を覗き込む。
「名前は?」
「えっ」
「名前、あるんだろう。神殿に拾われる前に、ラクシャラの巫女でなく」
それはもう遠い記憶の波に洗われて、かすかになってしまった記憶。
でも、確かに私はその名を憶えていた。
私がその名を告げると、ジャンヌ様はかすかに眉根を寄せた。
「なんだ、案外普通じゃないか。せっかくからかってやろうと思ったのにな」
「そんなことの為に、私の名前を聞き出そうとしたんですか?」
私が唇をとがらせると、ジャンヌ様は笑ってゴブレットに注がれた酒を飲み干した。私は悪びれた様子のないその姿に、視線を逸らす。
だが、その途端、ぐいと力強く抱き寄せられた。
「そんなわけないだろ」
ジャンヌ様の黒い瞳が、私をまっすぐ見ていた。私は、しばらく彼女と見詰め合った後、息を吐いて彼女の胸に顔をうずめ、後はジャンヌ様が力を込めて抱き寄せる腕に身を任せた。
私と、私の内にある元は女神と呼ばれた、ジャンヌ様とつながるよすがとなった存在を、彼女に委ねた。
私は、私の愛する苦労性の魔族の領主が、私の名を呼ぶその声を、優しく私を包む闇の中で聞いた。
※追放巫女と苦労性魔族【長期連載版】 新章投稿開始のお知らせ
こちらの、追放巫女と苦労性魔族【読み切り版】の後、【長期連載版】の方も現在投稿しております。
そちらがこの【読み切り版】の書き直しである『無貌の女神編』の投稿を終え、新章となる『西方魔族領革命編』の投稿を開始したことをこちらでもお知らせしておきます。
これより後のジャンヌとラクシャラたちの物語に興味を持っていただいた方はよければ【長期連載版】もどうぞ。
つたない作品ではありますが、納得のいく形になるよう投稿を心がけていきますので、よろしくお願いします。
追放巫女と苦労性魔族の辺境改革【読み切り版】 りょーめん @ryoume
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