終章その1 小さき野望の果て

 復旧を続ける〈魔族領〉の半島の根元にある古城。

 父の代から〈人界領〉からの防波堤となっていたその城の、未だ復旧の跡も生々しい東の城壁からジャンヌは外へ出た。


 正確にはここは魔族が足を踏み入れてはならない〈人界領〉に属している土地だが、ほんの二、三歩くらい、越えてしまったところでただちに人間の軍がかけつけて来る、などということはない。


 ここから先はガルディノ領となっている。しかし、大部分が人の住まわぬ緩衝地帯だ。この人家の見えぬ荒地をずんずん無頓着に進んでいったりすれば、後の保障はできないが──


 無論、そんな無意味な挑発行為などが目的ではないジャンヌは、断崖の傍に停められた馬車に目をとめて、そこへ大股に近づいていった。


 そこは、地をはう灌木や丈の低い草が花をつける、ささやかな彩りをこの寂しい荒地にそえる花畑だ。白いドレスを着た少女が、服が汚れるのも構わず幼い童女のように無造作な仕草で地面に腹ばいになって花をめでていた。


 ジャンヌは一瞬その場に立ち止まったが、こちらの気配を感じて振り向いた少女がくるりと目を見開くのに、緊迫した表情を押し隠した。


 「やあ、こんにちは」

 「こんにちは。あなたはだぁれ?じいやのおともだち?」


 傍に控える従者が無表情にこちらを見ているのをちらりと盗み見て、ジャンヌはかぶりを振った。

 「いや、違うよ。君に会いに来たんだ。君とは前にも一度会ったことがあるけど、私のこと、覚えているかい?」


 少女は立ち上がって不思議そうに首を傾げ、ジャンヌを見上げる。

 ドレスの裾が泥と草の切れ端で汚れている。ガラス玉のように含みのない青い瞳が自分を覗き込むのに、ジャンヌは思わず目をそらしてしまいそうになる。


 「……ううん、ごめんなさい。おぼえてないわ。会いにきてくれたのに、ほんとうにごめんなさい」


 ガルディノ領主の血を引く、今となっては最後の一人。

 ルクシア・ガルディノは困ったように、ジャンヌに向けて頭を下げた。


 〇


 「覚えてないなら、改めてお互い自己紹介しようか。私はジャンヌ・アスタルテ。〈魔族領〉の姫だ」

 ジャンヌは花畑の傍に腰を下ろして、ルクシアにそう名乗った。


 「まぞく……」

 ジャンヌが名乗ると、ルクシアが目を丸くしてジャンヌを見た。

 「まぞくは羽を生やして、大きな角があって、人をたべるかいぶつなんだってきいていたわ」

 「私がそんな野蛮な怪物に見えるかい?」

 少し考えた後で、ルクシアは首を左右に振った。

 「ジャンヌさまはまぞくでも、とびきりステキなまぞくのひめだと思うわ」

 「ありがとう。……でも、その気になれば羽を生やすし、角を生やすこともあるかもしれない。あるいは、必要だったら人間だって食べるかもな」

 ジャンヌが冗談めかして肩をすくめると、ルクシアはくすくすと無邪気に笑った。


 「ジャンヌさまって、とてもおもしろい方だわ。何もおぼえていないのがもったいない」

 ルクシアはそう言って、ふとさみしげに花畑を見詰めた。

 「みんながいろいろな事をおしえてくれたわ。わたしの名前がルクシアだってこととか、ガルディノのこととか……おにいさまのこととか」

 ジャンヌは黙って領主の重責を負うには、あまりに幼い少女を見る。


 「……でも、わたし、それが自分のことだなんてすこしも思えない。いつも、わたしはほんとうはだれなんだろうってかんがえてる」

 「…………」

 

 ジャンヌはふと馬車のそばで煙草をふかしている従者を盗み見た。

 こちらの方に意識を向けているように見えないが、念の為、外套の袖に隠して懐から荷物を取り出した。

 「ルクシア、花は好きかい?」

 「ええ、とっても」

 ルクシアが笑顔でうなずくのを確かめ、ジャンヌは懐から出した薔薇の苗を、そっと少女の方へ差し出した。


 淡く温かな橙色の花弁が美しいその花に、ルクシアが目を瞬く。

 「私は城の周りで薔薇とか色々育てているんだが、この前株分けした苗が花をつけてね。君がよければこいつをこっそり連れてってやってくれないか?」

 「えっ、でも、ほんとうにいいの?」

 「ああ。私から君への内緒の贈り物だ。大事に育ててやって欲しい」


 そして、ジャンヌはルクシアの手を取り、語りかけた。

 「君はこれから会う人たちから与えられるもので、もう一度、君自身をつくり上げていかなきゃいけない。それは決して君にとって嬉しい贈り物ばかりではないかもしれないが……でも、それしかないんだ」


 こっそり薔薇の苗を馬車の荷物の中に紛れ込ませるルクシアを見届けて、ジャンヌは古城へときびすを返した。


 表向きのロクトが行った謀略の黒幕が、妹のルクシアだったことはジャンヌも知るところだった。

 彼女は──ラクシャラの巫女を追放し、命を奪おうとした張本人だ。


 だが──

 これから小国の領主の血筋として、以前の記憶と才を失った彼女が歩む険しい道のりを思うと、これ位の情けはかけてもいいのかもしれないと、そう思った。


 〇


 古城に戻ったジャンヌはその足で謁見の間に足を向け、父の代から使い古した玉座に腰を下ろした。ガルディノ領の人間を迎える時、父は常にここに座していた。

 ジャンヌはなんとなくこれまで使う気になれなかったが、今回ばかりはガルディノ領の者を迎えるのに、ここが相応しいのかもしれない。


 玉座に腰かけるジャンヌをどこか嬉しげに見詰めるノートルクアを横目に睨んだ後で、衛兵にガルディノ領の使いを通すように命じた。


 両開きの扉を通って、うつむきがちに居並んだのはガルディノ領の重鎮たちだ。

 中には負傷している者の姿も見えた。全員が重苦しい沈黙のまま口を開く様子がないのに、ジャンヌはひそやかに息を吐き、切り出した。


 「まずは率直にロクト・ガルディノ殿への弔意を表する。先日、そちらの領内で起こった大規模な山崩れの報は私も知るところであり、その災に巻き込まれ、命を落としたロクト殿をはじめとする者たちの魂の安らかならんことを祈る。また、心ばかりではあるが支援の用意もある」


 ジャンヌの形ばかりの口上に、ひざまずいたガルディノ領の重臣たちがもごもごと謝意を述べた。


 「アスタルテ様の心遣い、ルクシア様も喜ばれることと思います」

 口髭をもぐもぐと動かし、額の汗をぬぐって重臣の一人がそう謝意を示すと、ジャンヌははあ、と大きく息を吐いた。


 「……これでこちらがとるべき礼は尽くした」


 冷ややかに宣言して、ジャンヌは玉座の上で脚を組み、肘を突いた。


 「お互いにこれ以上、この件に関して語ることは何もない。一連の、ラクシャラの巫女の追放から続く出来事は、私も係わりのあることではあるが、これを最後に口外するつもりはない。しかし、それもあくまでお前たちがこれ以上、この件を金輪際、蒸し返すことがないという条件付きだ」


 冷然と告げるジャンヌに、ガルディノの重臣たちが凍りつく。


 「お前たちの浅はかな謀略の尻ぬぐいの為に被害をこうむったのは、私たちの側も同じだ。しかし、その償いをお前たちに求めることはない。互いにこの一連の出来事をなかったこととする限り」


 ジャンヌはきつく眉根を寄せて、目の前に居並ぶガルディノの人間たちを睨んだ。

 「決して、私にも、私の領内にいる者にも手を出すな」

 〈魔族領〉に留まる一人の少女の姿を頭に浮かべ、ジャンヌは冷然と告げた。

 「女神ラクシャラの加護は、今、私の力の一部となっている」

 それを聞いたガルディノの重鎮たちは、絶望的な表情を浮かべて重苦しく肩を落とした。


 これ以上やり取りする気力が、ガルディノ側にないのを悟ると、ジャンヌは玉座から静かに立ち上がった。

 「……私の魔力の及ぶ範囲は、この城の東の土地にもある、今は住まう者のないその土地も、じきにラクシャラの加護で実り豊かな土地となるかもしれない。そこを拓くことに関しては、私も何も干渉するつもりはない」


 それだけ言い置いて、ジャンヌが謁見の間を出ようとした時だ。


 ──「信用できるわけがないだろ!この化け物が!」


 自分に向けられた怒号にジャンヌが振り返ると、ひざまずいていたガルディノ側の重臣の一人が立ち上がっていた。負傷した腕を吊った、若い男だった。

 「貴様にロクト様の志が理解できるものか!〈人界領〉の西の端で、ていよく〈魔族領〉の盾にされている我らの長年の苦悩と鬱屈が!」

 周りの者から制止されてもなお言い募るその若い臣下を、ジャンヌは見遣る。

 特に、ロクトと近しい間柄だった家臣なのかもしれない。


 「ロクト様とルクシア様は決して我欲で事を起こしたのではない!」

 悲痛とも言える叫びを残して、横から進み出た城の衛兵に謁見の間の外へと、若い家臣は引き摺られていく。


 後に残るうろたえた他のガルディノの重臣たちを見下ろして、ジャンヌは呟く。


 「そうだな……。分かるはずがないよな」

 そのほろ苦い味のする言葉を残しジャンヌは謁見の間を出た。

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