第二十三章 決着、そして陽は昇る

 **


 どれだけ斬り伏せてもらちが明かないのではないか──


 ジャンヌは何度も頭をよぎる不安を振り切って、ラクシャラの影に斬りつける。

 斬った手応えはちゃんとある。ラクシャラの影は決して無機質な存在ではないと感じる。斬られればひるむし、苦痛を感じて身をよじる素振りを見せる。

 それでも、斬ったそばから触手を伸ばして襲いかかってくる。


 『其は誰ゾ……我ハ誰ゾ……』


 まるで、荒地をさまよい飢えた者が水に手を伸ばすように。

 「お前はそれしかないのか……」

 ジャンヌはさすがに疲労を隠し切れず、自分へ伸びてきた触手を斬り払った。

 ラクシャラの影は全身をぶるりと震わせ、身を縮める。いつのまにか無我夢中で斬りつけている内に、影は小さく縮んでいた。


 動きは確実に弱々しくなっている。このまま斬り伏せていけば、いつしか影ごと地上から消え失せてしまうのではないかとジャンヌは思う。

 それも、一つ状況を解決する方法には違いない。

 だがジャンヌはその解決法にはためらいを感じるのも確かだった。

 自分の余力がそこまで続く保証もない。


 ジャンヌは──手を止めた。


 「お前……ラクシャラ、お前の望みはなんなんだ……」

 長剣の切っ先を下ろし、ジャンヌはラクシャラの影へと語りかけた。

 「百年もの間、人間に豊穣の女神として信仰されていた。その間、お前は人間というものを知って、彼らとの付き合い方も理解したはずだ。なんで今更、こうも荒れ狂うほどに自我を求める?」


 『其は誰ゾ……我ハ誰ゾ……我ハ……我ハ……』


 ぶるりと震えたラクシャラの影から、絞り出すような思念が発せられる。

 ──『我ハ……虚ロニ還リタクナイ……我ハ其ヲ欲スル……我ハ……サミシイ』

 「さみしい……?」

 ラクシャラの影から発せられたあまりに素朴な言葉にジャンヌは唖然とした。

 ジャンヌが長剣の刃を収め、ラクシャラの影へ一歩近づこうとした時──


 「‼」


 突然、横合いから絶叫して突進してきた人影を、ジャンヌは間一髪で避けた。

 「っ!タルレス!?」

 そのままどっかとラクシャラの影に組み付いたタルレスに、ジャンヌは目をむく。

 「はっはっはーっ!俺の存在にこれまで気付かないとは、よっぽど余裕がなかったらしいなあっ!?ジャンヌゥ!」

 ラクシャラの影と押し合いへし合いしながらこちらに笑みを向ける長年の仇敵に、ジャンヌは次第に状況を把握して、はあ、と短く息を吐いた。


 「ああ、そうだよな。私がこれだけ派手に立ち回ってたら、お前は寄ってくるよな。そういう奴だよ、お前は」

 「そうやって余裕ぶっこいていられるのも今の内だぞ、ジャンヌ!あの人間の女は俺とお前でこのでろでろ女神を対決させるつもりだったがそうはいかない。逆にこいつと俺でお前を倒す!そう決めた、今!」

 「ラクシャラが……?」

 タルレスの言葉の後半部分を全て無視したジャンヌは首をひねる。


 「だから今から首を洗って……って」

 タルレスはそのままラクシャラの影から一度離れようとしたが、次々自分に絡みついてくる赤黒い触手に、焦った表情を浮かべる。

 「おい、おいおい待て!話を聞いていなかったのか!?俺とお前で今から、そこの、ほら、このジャンヌをだなあ……!は?俺は魔族の領主、タルレス・アルデバランだが?いや、お前が誰かなんて知るか!……いや、だから、その……」


 触手に絡められ、次々と送られてくるであろうラクシャラの影の思念に、次第にタルレスは焦れたように手足をばたつかせる。

 「てめええええええっ!いい加減にしやがれえええええっ!」

 ついに渾身の力を込めてタルレスはラクシャラの影を引き剥がし、思い切り殴り飛ばした。

 「この馬鹿がッ!話も通じねえのかよ!」


 「馬鹿に馬鹿と言われたら、ラクシャラも立つ瀬がないな」


 ぜえはあと息を吐きながら盛大に毒づくタルレスの背後に回ったジャンヌが、長剣の柄でタルレスの後頭部を思いっきり殴る。

 「ぐええっ!?」

 悲鳴を上げて倒れ込んだタルレスを、ジャンヌは相手が気を失うまで、馬乗りになって淡々と殴り続けた。タルレスは悲鳴を上げつつも、懸命に逃れようとしたが、不意の一撃を喰らった上で満足な抵抗は出来ず、結局散々に痛めつけられた上で、気を失った。


 「やれやれ……」

 その辺の地面に蹴り転がしたタルレスを、顕現させた漆黒の闇ですまきにして更に遠くへとジャンヌは蹴り転がす。タルレスが目を覚ますまではまだ時間があるだろうし、目が覚めても常の如く、彼の方の領土が別の魔族に攻め入られて時間切れだろう。


 とにかく今は、タルレスなぞにかまけている暇はない。

 ジャンヌは、タルレスに殴りつけられ丘の向こうへ吹き飛んでいったラクシャラの影を探しに足を踏み出した。


 東の空が白んでいる。いつしか、長い夜は明けようとしていた。


 〇


 タルレスが殴り飛ばした跡は、地面がえぐれて近くの森まで続いていた。

 魔族が全力で殴り飛ばしただけあって、木々が幾つも薙ぎ倒されている。

 ジャンヌはその痕跡を追って、森の中へと足を踏み入れた。

 ラクシャラの影が今、どういう状態にあるか分からない。油断だけはしないよう一歩ずつ、森の中へ歩を進めた。


 やがてジャンヌは破壊の痕跡が続く、その終着点を見つけた。

 そこにラクシャラの影がいた。今や、その体は人間が一かかえにできるほどの大きさになっていた。それが分かったのは、実際に、そのラクシャラの影を抱き上げている人物がいたからで──


 ──「ラクシャラ!?」


 ジャンヌはラクシャラの影を抱く、かつてそれに仕える巫女だった少女を見て驚愕の声を上げた。


 「ジャンヌ様……」

 こちらを見て、何か言いかけた彼女の顔を、赤黒い触手が呑み込んだ。


 **


 ぼんやりとした、夢とも現ともつかない空間に私の意識はあった。

 これは私の記憶──いや、長らく私と同じ存在だった、女神ラクシャラの記憶だろうか。


 私の目の前には、神殿の壁画をみがく、幼い日の私がいた。

 ひたすら生真面目に、目の前のことしか見えていない様子で、懸命に壁画についた砂ぼこりを払い落していく私の小さな背中は、いじましいというよりひどく哀れに思えた。

 ──居場所を失わないように、自分自身を見失わないように、頼りにならず見えもしないものにすがりつこうとしている。


 『今日も精が出るね、小さいラクシャラ』


 そこへ、のんびりとした声が掛かって幼い私は振り返る。

 先代の巫女ラクシャラが目を細め、幼い私を見下ろしていた。


 『村の人たちからいい茶葉をもらってね、一息つくとしよう』

 『大きいラクシャラ、でも、今は……』

 『なぁに、ラクシャラ様も、小さいラクシャラの頑張りを見ていてくださるよ』


 そう言って、先代の巫女ラクシャラはふと、私のいる方を見詰めた。


 『……どうしたの?』

 『いや……ひょっとしたら、ね』


 先代の巫女は、幼い私に向けて穏やかに、どこかさみしげに微笑みかける。

 『ラクシャラ様も、小さいラクシャラと同じなのかもしれない、って、そんな風に思ってねえ」

 『私と同じ……?』

 『そう。人々に愛されるように、、ここにいていい、と思ってもらえるように、頑張っていらっしゃるのかもしれない、なんて……』

 そう考えるのはラクシャラ様に失礼かねえ、と先代は苦笑した。


 そして、ぽつりとどこかさみしげに呟く。

 『でも、神様に対して人間はあまりにはかなく、移り気なのかもしれないね」


 **


 ジャンヌの目の前に立っているのは、女神か、巫女か、どちらのラクシャラともつかない、不思議な気配を身に纏った女性だった。


 魔族として生きてきて──こんな存在は目にしたことがない。


 ジャンヌは息を吐き、長剣を鞘に納めた。

 「ラクシャラ……ふん、どっちにしてもラクシャラか」


 木々の間から陽が射してくる。その清浄な空気と光の中で、ラクシャラはじっとジャンヌを見詰めている。


 「あなたはだれ?」

 ラクシャラの口から放たれるその問いに、ジャンヌは静かに答えた。

 「ジャンヌ・アスタルテ。悠久の時を生きる魔族だ」


 その答えを聞いて、ラクシャラは清らかな輝きの中で目を瞬く。

 「わたしはだれ?」

 「お前は……」

 ジャンヌは一度くちごもりかけたが、次の瞬間、意を決して口にした。

 「お前は私と共に生きる者。お前の命ある限り私の傍に在るがいい」


 そう答えた瞬間、目の前の女性はほがらかに笑みくずれ、手を差し出した。

 ジャンヌは彼女のほっそりとした手を取り、決して逃さぬよう握り締めた。


 **


 目を覚ますと、肩に掛けられた外套の温もりと、隣り合う誰かの体温を感じた。

 私が朝露の冷たさに一つくしゃみをすると、肩に誰かの手が伸びてきて、私の体を抱き寄せた。

 「寒いんならもっとこっちに寄れ」


 ぶっきらぼうに短く告げる声。だけど、私はその人の声に安心して泣きたくなる。

 木々の間から差し込む朝陽の中、私はその人の温もりに寄りそった。


 「ジャンヌ様」

 「なんだよ」


 「ありがとう……私とラクシャラ様を、救ってくれて……」


 私が告げる感謝の言葉にも、ジャンヌ様は何も応じない。

 それでも、ただそこにいるだけで、私のそばにいてくれるだけで──

 

 私はあなたの優しさを、感じることができた。

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