第二十二章 乱入

 工兵たちの居留地から見える丘の上の戦闘は、夜が深まってなお続いていた。

 ジャンヌ様は既に漆黒の巨鳥ではなく、人間に近い姿に戻って騎馬隊の援護を受けながら、ラクシャラ様の影を斬り伏せている。


 ジャンヌ様も短い時間で相手を一気に無力化するという考えを捨てたのだ。

 ラクシャラ様の影をひたすらにその場におしとどめ、斬り伏せて徐々に弱らせていく、過酷な持久戦へと局面は変わっていた。


 私たちの周りには騒ぎを聞きつけた工兵たちも集まっていた。

 みな、ぴりぴりと張り詰めた空気を漂わせながら、それでも疲労を隠せずにいる。


 永遠のように長い、神経の細るような戦いに私も喉の乾くような焦りを感じる。


 ジャンヌ様は強い。

 疲れも見せず鮮やかな剣技でラクシャラ様の影を斬り続け、状況を冷静に判断し、形勢が崩れそうになれば冷静に騎馬隊の援護を受けて態勢を立て直す。

 人間であればとっくに心も体も疲弊しきって動けなくなるような時間を、ジャンヌ様はほとんど一人で戦い抜いている。


 だけど──


 私はゲルデさんとデュールさんの間で身を縮めながら、確信していた。

 強いだけでは、きっとラクシャラ様の影は止められないのだ。

 「何か……何かもっと他の方法が、あるはず……」


 私が拳を握り締め、なんとかしてそれをジャンヌ様に伝える手段を考え始めた。


 そのためにはまず、なんとしてもあの場に近づかなければならないのだが──


 「……なんだ?」

 不意に、ゲルデさんが工兵たちの居留地の方角を、鋭く振り向いた。

 彼の鋭い感覚にならって、デュールさんと私もそちらへ注意を向けた時、居留地の方角から、工兵たちやゲルデさんの配下の〈小鬼ゴブリン〉たちを蹴散らして、のっそりと巨大な体躯が顕れた。


 ──「やはり!妙な気配がすると思って来てみたら、ジャンヌの奴、おもしろそうなことをしているじゃないか‼」


 巨躯に見合った大声が、大きく開け放たれた口から放たれる。

 あまりに唐突に姿を現した乱入者に、私は唖然として彼を見上げた。


 ジャンヌ様に度々戦をしかける隣り合う領土の魔族──タルレス様がそこにいた。


 〇


 「タルレス様……主殿……」

 かつて、彼の下にいた工兵だったデュールさんが顔を強張らせるのを、タルレス様はけげんな表情で振り返った。

 「は?誰だお前?……俺のことを知っているのか?」

 タルレス様に演技などできるはずもなく、本当に覚えていないのだろう。

 複雑そうな表情を一瞬浮かべたデュールさんだが、それ以上わざわざ踏み込んでも益はない。デュールさんが口をつぐんで身を引くと、タルレス様は今度は私とゲルデさんの方へ顔を向けた。


 「タルレス様、私のことは、覚えておいでですか?」

 「ああ、覚えているぞ。前に俺とジャンヌの戦を見ていた、人間の女だ」

 ひとまず、私やゲルデさんのことは覚えていそうで、ほっとする。


 ゲルデさんが警戒するのを、私はちらりと横目に盗み見た。

 タルレス様がその気になれば、私たちに抵抗する術などまるきりないのだ。

 私に考えがありそうなのを、ゲルデさんも察してくれたのだろう。不本意そうな表情を一瞬見せたものの、小さくうなずいてみせた。


 「おい、人間の女。あれは〈人界領〉から来たモノだろう?あれが何か知っているのか?」

 のんびりとタルレス様が話しかけてきて、私はおっかなびっくりうなずいた。

 「あ、えっと、はい。多分、私が前に仕えていた女神……だと思います」

 「ふうん。人間の女神というのはもっと美しいものだと思っていたがなあ」


 タルレス様は精悍な顔にそぐわない、間の抜けた表情で首をひねる。

 ──私はジャンヌ様とこの方以外に魔族を知らないが、それでも話してみると随分と違うものだな、などと思ってしまう。

 しかし、今は、そんなことをのんきに考えている状況ではないのだ。


 私は放っておくとからからに乾いてくる口元を湿らせ、タルレス様に話しかけた。

 「あの、このままではきっと、ジャンヌ様はいつか疲れ切って、あの影に取り込まれてしまうと、私は思います」

 「ぬ?そうなのか?」

 タルレス様は私の言葉に顔をしかめ、太い眉を盛大に寄せた。

 「ええ、それはきっと、ジャンヌ様との戦に納得のいく決着を望んでおられるタルレス様としても、看過できぬのではないかと思いますが……」

 「うぬ……人間の女よ、確かにそれはそうだ」


 タルレス様が腕を組み考え始める姿に、私は根気強く、呑み込みの悪い子供の相手を思い出しつつ、話を続けた。

 「ですので、タルレス様がお力添えをしていただければ、ジャンヌ様も無事に切り抜けられると思います。ですので、どうか……」

 「うぬぬぬぬ……」


 とにかくジャンヌ様とタルレス様の二人がかりであれば、ラクシャラ様の影も抑え込むことができるはずだ。その間に、なにか手立てを講じることができれば──


 ──「だあああっ!やめだやめだやめだっ!」


 しかし、タルレス様は突然、頭をかきむしって叫びをあげた。

 そして私に不審そうな視線を投げかけてくる。

 「人間の女、お前、何かうまいこと俺のことを利用しようとしてないか!?」

 「いえ、決してそんなことは……。どうしてそのように」

 「分からん!分からんが、強いて言えばそのいかにも人畜無害ですよ~、と言わんばかりの穏やかそうな目つきが信用ならない!」

 どうしよう──知恵は回らないのに、直感は意外と鋭いお方だ。


 「なんか今もさらっと非礼なことを考えられた気がする!もういい、これこそ長年の因縁に決着を千載一遇の好機っ!」

 タルレス様は夜目にも鮮やかに輝く金色の大剣を抜き放つと、その切っ先を丘の上で戦うジャンヌ様に向けた。

 「人間の女、貴様の思惑にはのらんっ!あのできそこないのでろでろの女神とやらも、ジャンヌも、まとめて俺が押しつぶしてくれるっ!」

 そう言うなりタルレス様は雄牛のような勢いで地面を蹴散らし突進していった。


 その場に残された全員が呆気に取られて、タルレス様を見送っていた。

 タルレス様は周囲に控えていたゲルデさんの部下や、騎馬隊の人もぐっちゃぐちゃにかき乱しながら猛進していく。

 「まずいっ!ジャンヌ様!」

 ゲルデさんも事態を座視してみているわけにもいかず、慌てて飛び出していく。


 私は一気に混沌としだした戦況を見ながら、それでも我に返った。

 私の思い描いた状況とは違うけれど──

 でも、これなら──

 

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