第二十一章 苦労性魔族の戦い

 地虫のごとく這いずる巨大なラクシャラの影に挑んだ漆黒の巨鳥がジャンヌ様だというのは、誰に説明されずとも分かった。


 鋭い爪で掴みかかり、嘴でついばみ、強靭な翼で打ち据えて、女神ラクシャラの影を丘の上へと押し返す。

 その戦いの衝撃は少し離れた位置に立つ私たちへも、地面を通して伝わり、ジャンヌ様が巨大な羽を打ち振るう度に起こる気流がすさまじい暴風となって吹き荒れる。


 魔族であるジャンヌ様が本気で戦うことだけを考えた姿。

 獰猛な巨鳥と化したジャンヌ様は、容赦なく影を打ちのめし、上空へ高々と舞い上がった後、再び鋭い爪で掴みかかり、揺らめく赤黒い影を丘の上に叩きつけた。

 盛大な地響きと共に地面がひび割れ、土煙がわき起こる。


 「あれは……確かに周りを気遣って戦える状態などではないな」

 圧倒された様子で呟くデュールさんは目の前の光景にただ呆然としている。

 「……ジャンヌ様、どうかそのまま、手を緩めることなく……」

 拳を握り締めるゲルデさんが、緊迫した面持ちで戦況を見詰める。

 私は──目の前の光景を見ていられなくて、思わず両手を組んで額に当てた。

 (ジャンヌ様……相手は女神ラクシャラ様……私がかつて仕えた神様です。なんでこんな事になってしまったか分からないけど、でも……)


 どうか、どうか──


 (どうか、私のことなんか考えないで……ただご自分の身を守って……)


 **


 『其ハ誰ゾ……我ハ誰ゾ……』

 『ああ!?うるさいぞ!貴様、それしか言えんのか!」


 ジャンヌは直接伝わってくる思念に向けて吐き捨て、鋭い爪の生えた足で相手の頭部らしき箇所をつかむと、それを地面めがけて全力で叩きつけた。


 ぐじゅり、と影がいびつにゆがんで潰れる感触がする。

 激しく攻撃を続けるジャンヌだが、その実、得体の知れない相手に焦りを感じつつあった。

 (親父の言ってた通り、話が通じるような感じじゃない。……ラクシャラの巫女であるあいつを狙ってここまで来たというのは、分かるんだが)


 とにかく、この影は、相手が、そして自分が何者なのか問うてくる。

 (これが強烈な自我への欲求、というやつか)

 攻め手を緩めずに攻撃を続けながら、ジャンヌは打開策を見つけられない自分に気付いていた。


 『其ハ誰ゾ……我ハ誰ゾ……』

 (こいつ、何が目的だ?どれだけ痛めつけても頓着せずにそれだけ繰り返すせいで、どうにも……)

 『其ハ誰ゾ……我ハ誰ゾ……』

 『うるさいぞ!見て分からんか!?私はお前の敵だろうが!」

 幾度となく繰り返される問いに、ジャンヌは焦れて答えた。


 『其ハ我ノ敵ナリヤ』


 『っ!?』

 その瞬間、地を這う影がぐにゃりと鎌首をもたげたかと思うと、そこから弾けるように無数の触手が飛び出し、ジャンヌの翼や胴体を絡め取った。

 ジャンヌはべたべたと絡め取ってくる影から懸命に逃れようと、巨鳥と化した身をよじり、羽を打ち振るった。だが、次から次からへばりつく触手に動きを封じられ、地面の上で翅を打ち鳴らし、もだえるしかなくなっていく。

 そして──


 ジャンヌの化身である巨鳥は、長く尾を引く声を上げながら、影の内に沈んだ。


 〇


 「くそ……があっ……!」

 うごめく影の触手の間から、辛うじてジャンヌは腕を突き出し、こじあけた隙間から懸命に這い出した。


 巨鳥の化身が解けたジャンヌは、自分を取り込もうとする影に抗い、脱け出そうとしていた。自分を影の内に押し戻そうと蠢動する触手の動きを必死に押し返す。

 全身を締め上げる赤黒い影の触手に、呼吸が浅く荒くなる。

 強引に力を込めて押し返そうとしても次第に手足に力が入らなくなってくる。

 「こんなの……冗談じゃ、ないぞ……」


 汗と泥にまみれ、血をにじませながらジャンヌは逃れようと手を伸ばす。

 しかし、ジャンヌの眼前にぬらっと影が鎌首をもたげた。 

 『其ハ誰ゾ……我ハ誰ゾ……』


 逃れようとするジャンヌを、無貌の神が覗き込んでいた。

 それはおそらく、人が神の名を与えるまで、ただ世界の中に在るがまま存在していた、名前も意味もない存在だったのだ。

 それが、人間によって名前と存在する意義を与えられ、豊穣の女神としての仮面を与えられた。


 だが、今また女神の仮面を奪われ、その存在自体が揺らいでいる。

 だから、この影は強烈に自我を欲しているのだ。


 呆然としながら、鎌首をもたげる顔のない影をジャンヌが見上げた時、その影がジャンヌを取り込もうと、ぐわっと広がった。


 影が頭からジャンヌを呑み込もうとした。その時──


 ──「ジャンヌ様っ!」


 横から一閃した大剣がジャンヌを呑み込もうとした影を断ち切り、弾き飛ばした。

 そのまま、触手に囚われたジャンヌを逞しい腕が引っ張り出し、疾走する馬上へと引きずり上げた。


 「ジャンヌ様!お怪我はありませんか!?」

 こちらを覗き込む大柄な影にジャンヌが顔を上げると、岩のような硬質の鱗に覆われた顔面が気遣うようにこちらを見下ろしていた。


 「……ノートルクア、か……」

 「我々が援護します。ジャンヌ様はいまいちど、態勢の立て直しを」


 ジャンヌを横抱きにかかえるノートルクアの周囲には、騎馬の一団が付き従い、ラクシャラの影を遠巻きに牽制していた。

 〈人界領〉との境界の城からここまで、あの影を追ってきたのだ。


 「城の守りだけやってればいいのに。こんな所まで首を突っ込んできて……」

 ジャンヌは嘆息して、ゆっくりと体を起こした。

 「そういう所が、お前、苦手なんだよ……」

 げんなりしながらジャンヌが呻いたのを、ノートルクアが見下ろす。

 「はい!存じております!」

 快活そのものの返事を聞いて、ジャンヌは小さくかぶりを振って、ノートルクアの馬上から飛び降りた。


 猛り狂う無貌の神の影は、今はノートルクアの率いて来た騎馬の一団が注意を引いている。ジャンヌは改めてその影に向き直り、表情を引き締めた。

 「……この程度でへこたれると思うな」


 腕を振って虚空から漆黒の長剣を顕すと、ジャンヌはその切っ先をかつてラクシャラと呼ばれたものの影へと向けた。


 「話が通じないのなら、動かなくなるまで切り刻んで、大人しくなってもらうぞ。名もなき神よ」

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