第二十章 開戦
「あの……」
思い切り叫んだ跡、肩ではあはあと息をついているジャンヌ様に私は話しかけた。
「私、客観的に見て、ババアという歳ではない……と思います」
「……知ってるよ。お前のことを言ったんじゃない」
ジャンヌ様は脱力したように大きく息を吐くと、改めて私に眼を向けた。
「ここから先は怒りを吐き出しとく暇がなさそうだから、先に言いたいだけ言っておいただけだ」
「はあ……」
状況はつかめないが、だけどジャンヌ様が切羽詰まった理由でここにいるのだけは分かった。騒ぎを聞きつけたゲルデさんが目を丸くしながら駆けつけてくる。
それを確かめ、ジャンヌ様は改めて吐息交じりに私に告げた。
「今から、ここへ、お前を狙った敵が来る」
「えっ」
「そいつを止められるのは、多分、今、私しかいない」
そう言ってジャンヌ様は工兵たちの居留地から少し離れた丘の上の辺りを視線で示した。
「ここじゃ私は全力で戦うことはできないから、少し離れたあの辺りで迎え撃つことになると思う。だが、あくまで今から来る奴の狙いはお前なんだ。隙をつかれたり取り逃がしたり、万一……」
言いかけて、ジャンヌ様は一度口を噤んで、私の肩を軽く掴んだ。
「とにかく、お前はここから動くな。私にも、周りを気遣って戦える相手かどうか分からないんだからな」
「ジャンヌ様、あの……」
私は工兵たちの居留地を見ながら、口を開きかける。
「工兵の人たちを、巻き込むわけには……」
「なんの騒ぎだ」
そこへ折悪しく騒ぎを聞きつけたデュールさんが姿を現す。
深刻な表情の私とジャンヌ様、ゲルデさんを順々に見詰めた後で、デュールさんはジャンヌ様の方へ向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「何か問題が、あるのか?」
ジャンヌ様は腕を組んで、デュールさんにうなずきかけた。
「ああ、今からここへ、ラクシャラの巫女を狙った敵が来る。私が全力でかからないと止められない奴がな」
「力を加減をしていたら、あんたの方が逆に負けてしまうかもしれない、という意味か?」
「その通りだ」
誤魔化しもなくジャンヌ様が言うのに、デュールさんは一瞬目をみはったが、すぐに落ち着きを取り戻した様子で頷いた。
「周りを気にかける余裕などない、ということか」
「ああ。多分、戦い始めたらそんな事を考えられる状態じゃなくなるだろう」
「タルレスと……前の主殿と戦った時みたいに、か?」
デュールさんの質問にジャンヌ様はためらわずに深々とうなずいた。
「当然、彼女の傍にいて守ってやる余裕もない」
ジャンヌ様が鋭く私に眼を向けた後、工兵たちを守る立場であるデュールさんへと視線を戻し、訊ねた。
「お前たちで、彼女のことを守って欲しい。……頼めるか?」
ジャンヌ様の問いにデュールさんはつと視線をそらして私を見た。
「あの、デュールさん、私……」
「放っておくと自分からここを飛び出してしまいそうだな」
デュールさんがまぶたを閉じて、短く息を吐いた。
「あんたの心配する気持ちが分かるよ。彼女から目を放したら、とんでもない無茶をやらかしそうで……」
そうして、デュールさんはジャンヌ様に深く頷きかけた。
「そういうことなら、ここは任された。あんたはその敵に集中してくれ」
「……感謝する」
ジャンヌ様はデュールさんに頭を下げた後、虚空からひるがえし取り出した漆黒の外套を身にまとった。
「ゲルデも、周囲への被害を最低限に抑えるよう、部下たちを配置してくれ」
「承知いたしました。そちらもどうかご心配なさらぬよう」
「……今になって親父の真似をする羽目になるとは思わなかったな」
ゲルデさんに苦笑交じりのその呟きを残して、ジャンヌ様はいつのまにか分厚く黒い雲に覆われた夜空へ向けて、ひとっ飛びに飛び上がっていった。
〇
ジャンヌ様が雲の上へと姿を消してからほどなく、それは姿を現した。
東に見える丘の上、夜の闇に赤黒くうごめく影がのっそりと鎌首をもたげてこちらを──私を見ていた。それは小さな村一つ体の内に収めてしまいそうな、巨大な地虫か蛇のような地面に這いずる影。
『其ハ誰ゾ……我ハ誰ゾ……』
その姿を目にした途端、私の頭の内にそんな声が響き渡る。
それは、初めて聞く禍々しい響きをともなった声音だというのに、どこか懐かしくも感じられて──
「あなた、は……ラクシャラ……」
私がはあはあと漏れる息の奥で呟いた瞬間、東の丘から姿を現したその影は、猛然と大地を張って、私たちのいる工兵の居留地へ突進してくる。
デュールさんとゲルデさんが私を庇うように前へ進み出る。
彼らを巻き込みたくない。せっかく皆で造り始めた町を守りたい。
お願い──
私は、空へと向かって今一番、求める相手の名前を呼んだ。
「……ジャンヌ様っ‼」
すると──私のその声に応えるかのように、夜空を覆う雲の中で何か巨大な物が力強く羽ばたく音が聞こえた。一瞬、雲の間から顔を覗かせた月が、雲の中で悠然と飛翔する何か巨大な生き物の影を浮かび上がらせる。
雲の中を悠然と旋回していたその影が、雲を切り裂き、地上へとハヤブサの如く急降下してくる。
それは夜空を覆いつくすほどに巨大な翼を力強くはばたかせる、漆黒の巨鳥だ。
巨鳥は、地面を猛然と突き進むラクシャラ様の影に上空から襲いかかり、鋭く尖った足の爪で容赦なく掴みかかった。
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