幕間 ジャンヌとラクシャラ~十年前~

 〈人界領〉のその神殿は、父が言った通りの場所にあった。

 他に特段、目をひく物もない山奥の村のそのまた外れの山頂近くに、飾り気のない石造りの建物がそれだった。


 人目を忍び夜空を高く飛んでいた私は、外套を畳んで一息に地面へ着地し、足音を忍ばせて神殿へと歩み寄っていった。


 こんな風に魔族が〈人界領〉に侵入したことがバレたらタダでは済まない。


 そんなことは父も分かっていただろうに、隣り合う人間の国──ガルディノというこの小国のこの神殿のことを気に掛けるよう、死ぬまで忠告していたのには、きっと何か理由がある。


 そう思いつつ、神殿の傍に近寄って中の様子を確かめる。

 神殿の中には質素だが、人の生活の気配がした。

 壁画の描かれた部屋の中で、神殿の巫女らしい老婆が、同じ意匠の貫頭衣を身に着けた幼子に何事か話しかけているのだ。


 「あれが、ラクシャラの巫女……というやつか」


 ガルディノの地で百年以上信仰される、女神ラクシャラ。

 大地を形作ると言われるその女神の威光を湛え、人々の女神信仰の依り代となる巫女は、生涯のほとんどをこの神殿で暮らすことを求められるのだという。


 自由にならぬ身の上は、私自身も理解できるものだ。


 「だとすれば、あの子供も……」

 これから先の生涯を、この神殿からほぼ離れずに過ごすさだめなのだ。


 ラクシャラの巫女たちであろう老女と幼子の様子を眺める。

 壁画を指差し、女神ラクシャラの神話を伝える老女に、幼子は生真面目ともいえる態度で頷き、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けている。

 幼い子供にしては、肩肘張っているようにも感じる。


 気が付くと私は、その幼子の生真面目な表情を見詰めていた。


 〇


 神殿での一日を終えた巫女たちは、神殿の脇の粗末な小屋に一度引き上げた。

 おそらく、普段の生活の場はこちらなのだろう。


 夕餉の気配が終わってほどなく、巫女たちが眠りにつく気配がした。

 私はつい、誘い出されるようにその小屋の窓から中へと入り込んでいた。


 なんでそんな事をしたか私自身も理解できないが──


 なんとなく、あの子供が気懸かりだった、としか言いようがない。


 幼子の寝ている寝台の傍に立ち見下ろすと、すやすやと眠る童女の顔が毛布の間から覗いていた。

 私はなんとなく後ろめたいような気分で、彼女の顔を見詰めているのだが──


 「どちらさまでございましょう?」


 背中から声を掛けられて私は思わずびくりと身を強張らせた。

 振り返ると、ラクシャラの巫女らしき老女が私をじっと見ていた。


 後ろめたい場面を見られたようで、私は反射的に口を閉ざしていたが、老女は咎める様子もなく、私を見上げて微笑んだ。


 「もしや、アスタルテ家の方でございますか?」

 「分かるのか?」

 「はい。アスタルテ家の御方々には、我らラクシャラの巫女は代々、よくしていただいておりますゆえ……」

 「……そんな話は初耳だ」


 私が不平を漏らすと、ラクシャラの巫女はしわだらけの顔をほころばせた。

 「表には出せぬ話でございますゆえ……。アスタルテ家の御方々も、我らラクシャラの巫女も、この密かなつながりが露見すればどちらにも禍根を残します」

 「それはそうだろうな」


 だが、どういう理屈でそんな繋がりが生まれたか、想像もできない。

 私が渋い表情を浮かべていると、ラクシャラの巫女は小さく含み笑いをした。


 「代々続くラクシャラの巫女の行く末を見守る。今はひとまずそれだけ約束してくだされば、わたくしも安心できますゆえ」

 「……あんたの用心棒をやれ、ということか?」


 私が鼻を鳴らすと、老女は笑いながらかぶりを振る。


 「わたくしの先は、長命な魔族の方に面倒になるほど長くありますまい。この子の行く末を見守ってくだされば、それでいいのです」

 「この子……拾い子の、娘か」

 私が幼い巫女の眠る寝台に向き直ると、当代のラクシャラの巫女はうなずいた。


 「この子の行く末を気にかけてくださるなら、また会いに来てくだされ」

 「……考えておく」

 深々と頭を垂れる老女にそっけなく返事をして、私は幼い巫女の寝顔を改めて覗き込む。

 

 不憫な未来を背負わされた娘の顔だが、寝顔はあどけなく安らかだ。

 私は、少しだけ、老女の提案を聞く気になっていた。

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