第七章 理由

 「ふあ……あ……」

 まぶたの裏に届く朝陽のまぶしさに、私は目を覚ました。

 柔らかく弾む寝台から落っこちたりしないよう、少しずつじわじわと体を伸ばす。


 「……おはよう」

 ぶっきらぼうな声が耳に入って、私はぱちりと目を開いた。

 すると、思った以上に近くで、クッションの上に肘を突いてこちらの顔を覗き込んでいたジャンヌ様と目が合った。


 「おはよう……ございます」

 毛布の下から覗く、繊細な曲線を描くジャンヌ様の鎖骨がまぶしくて、思わず私は顔をそらしてしまった。

 「ん」

 私が目を覚ますのを見届けたジャンヌ様は小さくうなずくと、ベッドから体を起こした。


 ジャンヌ様と共に過ごすようになってから数日──

 寝床を共にしていると、よくジャンヌ様は私の寝顔を見ながら物思いにふけっているのに気が付いた。


 寝入ってるふりをして、ジャンヌ様の胸の内を推しはかろうとする。

 だけど、普段からどこか一線を引いた風のジャンヌ様の内心は掴めない。


 (一体、何を考えているのだろう……)

 私が思い悩んでいる間に、ジャンヌ様はけだるげに寝床から這い出し、ガウンを羽織るとさっさと寝室の外へ出て行ってしまう。

 ただ、寝室の扉を出ていく間際、ぽつりとジャンヌ様の呟く声が聞こえた。


 「あの女も、厄介な仕事を残してくれたもんだ……」


 〇


 「そろそろきちんと理由を説明しておこうと思う」


 ドレスを身に着け、長机を挟んで向かい合うジャンヌ様が、そう切り出した。


 「分かるだろ?私がラクシャラを〈魔族領〉へさらってきた、その理由だ」

 朝食を終えたばかりの私もうなずき、いずまいをただした。

 「はい」


 分かっていた事ではあるけれど、ジャンヌ様はジャンヌ様なりの目的があって追放された私を窮地から救い、自らの領土へと連れてきたのだ。


 単なる私への親切だとか愛情だとか──

 ──そういう理由でないと知らされるのは少し、さびしいが。


 「前も言ったと思うが魔族の領土というのは、自らの魔力の及ぶ範囲とほぼ同義だ。領主である魔族は、その内で起こる出来事はなんとなく、魔力の流れを通して察知できる」


 そう言ってジャンヌ様は例を示すように指を一本立てた。

 「タルレスの奴が、私との勝負の途中で、自分の領土が別の魔族に責められているのに気付いただろ?あれは、そういうことだ」

 確かに、ジャンヌ様との力比べの最中に、タルレス様は何事か異変を察知した様子で攻撃の手を緩めた。結局、その隙をジャンヌ様に突かれて敗れた──というか、それ以上は勝負どころではなくなってしまったのだ。


 「自分の領土の内の異変を全て察知できる……」

 改めて魔族という種族のすさまじさを感じる。

 人間など、自分の手の届く範囲の出来事でも把握するので精一杯だと思う。


 「ま、とはいえ、魔族だって身一つだ」

 いささか疲れた様子で、ジャンヌ様が息を吐いて椅子の上で背筋を伸ばした。

 「察知した異変の全てに自分で対処していたら到底身がもたない。ゲルデや、他の臣下の連中や、適当に部下に割り振って問題に対処しているわけだ」

 ジャンヌ様の一日は、大抵、その領内の異変の察知と、その対処で消費されるのだという。


 「中にはどうしたって私が出張らなきゃいけない事案もある。そして、我がアスタルテ家の領土には、もう一つ特殊な事情がある」

 ジャンヌ様の言葉に、私もピンときた。

 「〈人界領〉……ガルディノ領の問題、ですね」

 私が言うと、我が意を得たりとばかりにジャンヌ様が大きく頷いた。


 〇


 「ガルディノ領の一部も、私の魔力の勢力圏に入っている」


 長机に置いた地図を改めて指差して、ジャンヌ様は物憂げに息を吐く。


 「当然、〈魔族領〉の魔族から〈人界領)のガルディノに何か干渉するのはご法度だ。だが、自分の内の領土の中だからってあんまり過激なことをされると、私の方でも困るんだ」

 「過激なこと、って……」


 「百年続いた信仰の依り代たる巫女を追放して、あまつさえ命を奪おうとするのは十分過激なことだろうが」


 ジャンヌ様が眼差しを鋭くするのに、私も口をつぐんだ。


 「ガルディノの方でも、事情があるのかもしれんがな」

 少しだけトーンダウンして、ジャンヌ様が呟くが、今度は私の方が首を振る。

 「ジャンヌ様に言われるまで……私は自分が巫女として至らない事ばかり考えていましたけど……」

 ガルディノ領から離れて、少しずつ落ち着くのをジャンヌ様が待っていてくれたお陰で、今の私も、当時のガルディノ領の異変についた冷静に考えられた。


 「でも、今のガルディノ領主──ロクト様の代になって、いささか性急に過ぎる強硬な改革が幾つも行われた……と思います。他の領土への往来が制限されたり、あちこちの砦の再建の費用の為に税が引き上げられたり……そして……」

 「長く信仰されていたラクシャラの巫女を、唐突に邪教に名指ししたり、か」

 ジャンヌ様がほろ苦くつぶやいた言葉に、私もうなずいた。


 「そういう不穏な動きが、前から私の方でも気になっていたんだ」

 ジャンヌ様は腕を組んで、眉間にしわをきざんだ。


 ジャンヌ様は私のことを生真面目だ、肩の力を抜けだと言うけれど──

 そう言って、ガルディノの不穏な動きまで気にかける様は、ジャンヌ様こそ根っからの苦労性なのだと物語っていた。

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