第八章 アスタルテ領の民たち

 「ラクシャラを私が匿っているのは、ガルディノ側も多分、気付いている」

 ジャンヌ様の唐突な言葉に、私は思わず息を呑んだ。

 「えっと、それは……まずいことなのでは?」

 「何を今更……」

 呆れた様子で息を吐くジャンヌ様は、頬杖を突いて私を見る。

 「お前をあの暗殺者たちから救うのに、私自身が直接出張って大立ち回りをしたんだぞ?さすがに名乗ったりはしなかったが、少し調べればまあ分かる」

 

 私はうろたえたが、その時ふと、でも──と、私は数日ジャンヌ様と過ごして、なんとなくその思考が読めてきたのに気付いた。


 「……もしかして、ガルディノ側が事を公にしないと分かった上で、あのように直接、姿を現したのですか?」

 そう私が言うと、ジャンヌ様が私を見て一瞬、意外そうに目を瞬いた。

 だが、すぐに彼女の表情は不敵な笑みにとってかわる。


 「まあ、確信があったわけじゃないがな」

 そしてジャンヌ様は長机の席から立ち上がると、普段のドレスの上から脇にあったケープを羽織った。

 「だが、ガルディノが事を公にしていれば、今頃、〈人界領〉の連中が我がアスタルテ家の領土に押しかけてきて、こんな風に私たちがのんびりしている事もない」

 「じゃあ、という事は……」


 「ガルディノは今回のことを公にするつもりはない」


 そう断言してジャンヌ様は暖炉の上に立て掛けてあった長剣を腰に差した。


 「いずれ、こちら側からガルディノと接触する機会がある。その時に色々と探りを入れれば、分かることもあるはずだ」

 「そうなのですか……」


 私がジャンヌ様を見詰めていると、真新しい旅装を、私の前へ差し出してきた。


 「そういうわけで、今はひとまず〈魔族領〉の領主の、その責務を全うする日々を過ごす」


 〇


 〈魔族領〉の土を踏んで数日。

 私は、ジャンヌ様が私を匿ってくれている古城の外へ初めて出た。


 「馬の乗り方なんて知らんだろ」

 ジャンヌ様は見るからに逞しい黒馬に二人用の鞍をのせ、前を叩く。


 神殿で暮らしていた頃は、移動する時は輿に乗るか、馬車で運ばれるかしていたので、ジャンヌ様の言う通り馬の乗り方など知らない。


 おっかなびっくり大きな馬の背に跨ると、後ろからジャンヌ様も軽快に鞍に飛び乗り私の体を後ろから挟み込むように手綱を握り締めた。


 「今日は領土の様子も見て回るからな。前みたいに空をひとっ飛びはやめておく」


 そう言って、ジャンヌ様は馬に小さく声をかけ、国場は古城の開かれた門から風のように走り出した。


 古城の周りの平原は、先日のタルレス様との戦の痕跡も消えて、枯れた草が鉛色の海に続く断崖から吹きあがってくる潮風に揺れていた。


 ジャンヌ様は平原にとぎれとぎれに続く道に馬を走らせる。

 あっという間にこれまで私がいた古城が見えなくなる速度だったが、背後からしっかりとジャンヌ様が支えてくれるお陰で周りの景色を見る事ができた。


 といっても、私たちの行く先に見えるのは大きな森や激しい起伏の少ない、背の低い草やとげだらけの灌木が大地をはう、さびしげな荒地だった。


 「アスタルテ家の領土はどこもこんな感じだ」


 荒涼とした風景に私が遠くの山脈を眺めていると、風を切る音の中、ジャンヌ様が呟く声を聴いた。


 「親父の代から放置されて、土地ばかりが余ってこんな風になってしまった。……私が継いでからそれなりに年月も経っているから、いいわけになるが」


 ジャンヌ様はやはり苦労しているようだ。

 そこに、しょせんはよそ事のガルディノ領の面倒事まで抱え込むはめになっているのだ。──それはやっぱり、心苦しい。


 しかし、もう少し走っていると小さな森の周りに農村らしい集落がぽつぽつと点在する丘陵地帯が見えてきた。


 ジャンヌ様はそこで馬の脚を緩めて、集落の景色を外から眺めた。


 「領内の村はもう少し大きい場所もあるが、多くはこういう農村だ。今はどこも大きな問題なく暮らしているようで、なによりだ」


 私も馬の背に揺られながら、農村の様子を眺めた。

 〈人界領〉の農村と外観が大きくちがっている様子はないが、住民は人間以外の種族──獣人種や、〈小鬼ゴブリン〉などの亜人ばかりで、人間の姿はない。


 「領民は土地に長く住んでいる者もいるが、〈人界領〉からの流れ者も多い」

 「〈人界領〉で居場所のなくなった人たち……ということですか」

 「まあ、な」


 私が訊ねるのに、ジャンヌ様は少し複雑そうにうなずいた。


 「〈人界領〉への干渉は禁止されているが、來る者も拒めと言われているわけじゃない。そういう奴らの受け皿となるのも、〈人界領〉と隣り合う〈魔族領〉の役目というわけだ」


 そういう重責も、ジャンヌ様は背負わされているのだ。


 「来たばっかりの新参者はけっこう荒っぽい連中もいるからな」

 「それは……苦労ばかり多いですね」

 「ま、今は大抵の奴らが大人しくやっているさ。なにせ……」


 少しばかり苦労を滲ませたジャンヌ様だが、改めて手綱を握ると今度は不敵に私に向かって笑いかけた。


 「大きな問題を起こせば、私が直接、つぶしに来るって分かりきってるからな」


 〇


 ジャンヌ様はそのまま一通り近隣の農村の様子を見て回った後、小径を折れて平原から離れていった。


 辿り着いたその場所は、岩だらけのごつごつした山の麓で、ジャンヌ様はその山道の手前で馬を下りる。

 私も彼女の手を借りて、ごつごつした岩場に足を下ろした。


 「ここは、何かあるのですか?」

 「ん、ちょっとばかし、な」


 ジャンヌ様は言葉少なにうなずき返して、山道へと歩を進めた。

 私も彼女の後を追う。


 すると、岩場の陰で見覚えのある小柄な人影が身を隠しているのが見えた。


 「ゲルデ、動きは?」

 「ジャンヌ様。……いえ、今の所、目立った動きはありませぬ」


 〈小鬼〉の、ジャンヌ様の臣下──ゲルデさんが岩場の向こうを見据えたまま、険しい表情を浮かべている。

 ジャンヌ様が腰に差した長剣の柄を握り締める。

 二人の緊迫した様子に、私も岩の向こうを窺い見た。


 そこには、このうら寂しい岩山の一角に不釣り合いな、大規模な野営地が築かれているのが見えた。

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