第一章 奪取
私を乗せた馬車は一路、ガルディノの領内を離れていく。
住み慣れた土地を離れ、そこからどこへ向かうかは何も聞かされていない。
窓から御者台の上の男を覗いてみても 何も答えてくれる雰囲気ではなかった。
馬車の前方に吊り下げられたカンテラの灯火は心細い。
その揺れる光に照らされる道は奥深い森へ続いている。
言い知れぬ不安な思いを抱えたまま、私はいつしか眠りに落ちていた。
──「……きゃあっ!?」
不意に、どさりと勢いよく地面に投げ出されて私は意識を取り戻した。
驚いて顔を上げると、御者の男が私を見下ろしていた。
「……起こしちまったか。眠ったままなら、まだ気が楽だったが」
「なに……、なんの、話ですか……?」
混乱する頭で私が訊ねると御者の男は左右に目配せを向けた。
すると、左右の木立からカンテラを掲げ、武装した男達が姿を現した。
「誰、なんですか、この人達……」
気を落ち着けようとしても、声が自然と震える。
「ラクシャラ様は長い間、俺ら領内の人間の信仰の対象だった。なるべく苦しまないよう、確実にやってくれ」
御者の男が告げて、数人の男達が私を取り囲んだ。
「どうして……、どうしてこんな事までして……」
自分の置かれた状況を理解して、私は俯いた。
巫女ラクシャラは──私は、それだけみんなから疎まれていたのだろうか。
こんな酷い目に遭わされるほどに。
俯く私を、腰の鞘から剣を抜いた男達が見下ろす。
「年端もいかない女の子ヤるのは、俺らだって気が滅入るんだ。せめて、苦しませないように終わらせるから、抵抗しないでくれよ……」
極悪非道の悪人ではないと示すその言葉が、かえって男達の決意の固さを物語っていた。
巫女ラクシャラ。
私は、精一杯人々の助けになるように務めてきたつもりだったけど──
──こんなにも、こんなにも人々から疎まれて。
絶望に覆われて項垂れる私の首目がけて、剣の切っ先が振り下ろされて──
──「言われた通りに首を差し出すこともないだろう」
夜の闇がそのまま刃となり固まったような剣が、私の命を奪う凶刃を遮った。
私は呆然として、顔を上げる。
天頂に差し掛かる月の光が、梢の間から差し込むその光の中。
漆黒の鴉が、その翼の内に私を庇って見下ろしていた。
〇
「あの……、あな、た、は……」
「詳しく説明している時間があるように見えるか?」
呆然と呟く私に取り合わず、漆黒の鴉──を思わせる外套と仮面を被った剣士は呆れたように呟き、受け止めた男達の剣を弾き返した。
私を取り囲む男達も、突然の闖入者に呆然としている。
だが、すぐに剣を握り直し打ちかかってきた。
片手に私を庇いながら、剣士は片手で細身の黒い剣を振るう。
剣の心得ない私にも分かる、最小限の動きで鞭のようにしなやかに黒剣を振るって男達の剣を受け止め、弾き返す。その動きを瞬きにも満たないほんの一瞬で正確に繰り返している。
「剣士様っ、私……!」
「いいから!ここはこのまま退くしかないだろっ!」
「でも、でも私……私……っ!」
こんな風に人から疎まれて、憎まれて──
言葉に詰まる私に焦れた様子で、剣士は首を振った。
「馬鹿!違う!そうじゃない!」
「そうじゃないって……」
「こいつらがお前を個人的な恨みや憎しみで狙ってるように見えるか!?」
その一声で初めて──多分、こうなって初めて私は冷静さを取り戻した。
いつのまにか男達の囲みが遠巻きになっていた。
剣士に庇われて簡単に手出しができない状態で、明らかに男達の腰が引けていた。
「こいつらは強い殺意や恨みがあってお前を狙ってるんじゃない!誰かに命じられて、理由があってこんな蛮行に及んだ!」
「私を恨んでいるわけじゃ……私が憎いわけじゃ……ない?」
「そうだ!いい加減しゃきっとしろ!」
剣士の喝で、私は──ようやく、ようやく自分が何かに巻き込まれているのに気が付いた。
「お前が追放されて人知れず殺されるこの成り行き自体が出来過ぎではないか?事態がここに至るまで、お前が気付く暇すらないほど早かったのは?お前の周りにきなくさい気配はなかったか?」
剣士の言葉の一つ一つが私の記憶を揺るがして──
「本当に……?」
本当に、私は誰かの、何かの企てに巻き込まれてこんな目に遭ったのか。
なんにも知らない間に。
なにが起こっていたか知りもしないで。
「だったら、今やる事は一つだろ?」
剣士の言葉がようやく素直に吞み込めた。
だとしたら──
だとしたら!
私は弱々しくかぶりを振って、剣士の腕の中呟いた。
「私……こんな所で死ねない。死にたくない。逃げて──何がなんでも生き延びて自分が何に巻き込まれたのか……確かめないといけない」
「はっ……」
私の答えを聞いた剣士が、意外にあどけない笑顔を浮かべる。
そして次の瞬間、剣士の被った仮面の奥の瞳が少年のように輝いた。
「そうこなくてはな!」
〇
次の瞬間、私の体が宙に浮いていた。
いや、夜空高く舞い上がる剣士の腕に抱かれていた。
「えっ?は、えっ……?」
突然で、現実の光景とは思えなくて、夢でも見ているようで。
その時の私には考えるべき事や、不安に思う事は山ほどあった筈だ。
だけど。
私は届きそうなほど近くで瞬く星空に、目を奪われた。
「きれい……ほんとに」
星空に手を伸ばす私を見て、剣士が得意げに笑う。
「この程度のものなら、これからいくらでも見せてやれるぞ」
その言葉がうそかほんとかは分からないが、自信に満ちていた。
ただ、美しい星空に包まれる今このひとときは、確かに私に与えられたものだ。
それは私がこの人を信頼し、身を委ねるほどに価値あるものだと思えた。
こうして、人々から追い出された巫女ラクシャラは──私は──
名も知れぬ誰かの手によって、奪われた。
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