第二章 魔族領

 雲の上を踏むようなふわふわとした感触。

 私はまだ空の上にいるんだろうか。

 そんな風に思って寝返りを打つと歩四と体が大きく弾んだ。


 「あいたたた」

 そのまま寝ていたベッドの上から転がり落ちて背中を打つ。

 (なんでだろう……体がすーすーする、って……)

 「えっ?」

 そこでようやく気付く。服を脱がされていた。下履きも。

 つまり、全裸だ。


 雲のように柔らかなベッドの上に一糸まとわぬ姿で寝かされていて。

 寝る前、想像すらしていなかった状況に私は硬直する。


 「……目が覚めたか?」


 私の混乱に拍車をかけるように、ベッドの上から声が降ってくる。

 声のした方を見ると、獣のように白くしなやかな背中をこちらに向けて──艶やかな黒髪の女性がのびをしていた。


 呆気に取られる私をよそに、女性は軽くあくびをしてすとんと床に降りてくる。

 惜しげもなく美しい裸身を晒した女性が、固まる私を見下ろす。


 「なんだ?鳩が豆鉄砲を喰らった顔をして」

 「あっ、その、私も、あなたも、はっ……その、服……」


 胸元を手で隠して、耳まで真っ赤になりながら私は指摘する。

 だが、私と同じベッドで裸のまま寝ていた女性は面倒くさそうに首を振る。


 「女同士だろ。慌てる必要があるか?」

 「えっと、その、そういう問題では……」

 「まあいい」


 女性は素肌の上からガウンを纏って背中を向ける。

 「先に顔を洗って食堂へ行ってる」

 眠そうに瞼を擦って、女性はそう言い残して離れていく。


 「あっ、あの……」

 「ラクシャラも早く支度を整えてこい」

 黒髪の女性は釘を刺すようにこちらを振り返った。

 「これからのこと、互いに相談するんだから、逃げるなよ」


 そのまま黒髪の女性は、床でへたり込む私を置いて部屋を出ていく。

 起きてからこれまで、まるで状況が呑み込めない。

 でも呑み込めないなりに一つ分かった事実がある。


 さっきの黒髪の女性──私を救った、あの剣士だ。


 〇


 服は私がこれまで神殿で着ていた貫頭衣に似た物が用意されていた。

 ただ、ほとんど一張羅で着古してきた前の物と違って、肌触りはなめらかで、改めて身に着けてみると、涼風をまとうようにさわやかで軽い。


 身に着けていた靴や腕輪などの小物は、ベッドの傍の姿見に置かれていた。

 (まるきり新しい物ばかり用意されるより、落ち着くから助かったな)

 まさか、そういうこちらの気持ちを見透かしたのだろうか。

 だとしたら、意外とこまやかに気を配ってくれている。


 寝室の扉を出ると、静まり返った古城の廊下だった。

 くすんだ日の光が差し込む窓を覗いてみると、どことは知れない岩だらけの断崖と鉛色の波の打ち寄せる海が広がっていた。


 廊下の突き当たりにあった螺旋階段を下りていく。

 私と──あの黒髪の女性が寝ていた寝室は尖塔の上にあったらしく、階段を下り切ると、庭園の広がる中庭に面する回廊へ出た。


 それなりに大きな建物だというのに不自然に人がいない。

 まさか、常に無人なわけでもないだろうに、人払いがされているのか。

 とにかく、食堂らしい部屋を探して、左右を見渡して回廊を進むと、大きな両開きの扉の前で、あの黒髪の女性が待っていた。


 「遅い」

 「はっ、あっ、あの……すみません」

 「……怒っているわけじゃない」


 私が頭を下げると、黒髪の女性は顔をしかめて視線を逸らす。

 黒いドレスを身に着けた彼女は、無造作に頭を掻いた。


 「とにかく、腹が減った。飯の用意はしてあるから好きに食え」

 「はっ、はい……」

 扉を押して食堂へ招き入れるの女性に、私もその背中を追った。


 〇


 どこへ連れて来られたかも一向に分からない状況ではあったけど、食堂の長机に用意され並べられた食事は、私にも馴染みのあるものだった。


 パンと野菜に果物に、温かい琥珀色のスープ。

 起きたばかりだという配慮か、脂っけのあるような肉などはない。


 長机の奥の女性をちらりと盗み見る。

 彼女は、不愛想でぶっきらぼうな態度と裏腹の洗練された所作で、琥珀色の澄んだスープを音もなく口元へ運んでいた。


 「……強引に、事情も詳しく説明されず連れて来られたも同然なのに、意外に腹が据わっている」

 「は?」

 「普通、食事も喉が通らんような状況だと思うがな」


 女性が半目になって長机の向かいの私を見て指摘する。

 思わず恥じ入って、パンに伸ばしかけた手を引っ込める。

 黒髪の女性はそれを見てけたけたと笑った。


 「まあいいさ。それくらい神経が太い方が話が早くて助かる」

 「そうでしょうか」

 「囚われの姫をいびって楽しむような精神性じゃないんだ、私は」


 それもそうだ。

 私は窮地を救われたとはいえ、見知らぬ土地の無人の古城に囚われたも同然だ。

 この、謎めいた黒髪の女性に。


 「そういうわけで、ガルディノの麗しきラクシャラの巫女を奪った悪党の正体を、そろそろ明かしてやろうじゃないか」


 黒髪の女性は椅子の上でしどけなく姿勢を崩して、私に不敵な笑みを向ける。

 とんでもなく不遜で不敵な態度だというのに──

 ──私はどこか、彼女のそんな姿に惹かれてしまう。


 「私の名はジャンヌ。ジャンヌ・アスタルテ。〈魔族領〉の魔族だ」

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