第十二章 対峙

 「この会談自体は、慣例に則り、私とガルディノ領の領主との間で定期的に開かれるもので、互いに必ずなにがしか報告したり決定したりするものではない」


 議場の長机に椅子を引いて腰を下ろしつつ、ジャンヌは穏やかに語りかけた。

 ロクトはそれでも落ち着かない様子だ。左右に居並ぶ家臣たちをせわしなく盗み見ていた。


 「先代の時はただ互いに焼菓子を持ち寄ってちょっとした茶会を開いてそれで大した話をせずに終わった……なんてこともあった。そういう場なので、そう気を張らず、楽にされるといい」

 「あ、ああ……」


 ようやく、ロクトが口を開いたが、その声はかすれていた。

 ジャンヌは長机の上で軽く手を組み、その下で小さく息を吐いた。


 (露骨に後ろめたい事がある、という態度に見えるが、こうもかちこちに警戒されると逆に攻めづらいな。うまく反応を引き出せたらいいが……)


 「まだ年若い身で、色々と難しい領土を託された重責は想像するに余りある。だが少しばかり特殊ではあるが、隣り合う領土を持つ者同士、困ったことがあれば相談して欲しい」

 「……種族を越えた温情、痛み入る」

 ロクトがいくらか気を取り直した様子で椅子に座り直した。


 そこからはしばらくロクトや彼の臣下と、当たり障りのない遣り取りが続いた。

 もどかしいが、探りを入れた途端、また態度を硬化されても困る。

 ──どうにもらちが明かない。


 そう思った瞬間、横に控えていたノートルクアが小さく咳払いをした。

 横目に見ると、人間には読み取れないであろう、岩のような鱗の下の彼女の表情が微妙に変化していた。

 (……気は乗らないが、試してみるか)

 ジャンヌはロクトに向き直りつつ、さりげなくノートルクアに合図を送った。


 「それで、なんの話だったか……。ああ、先代殿の好んだ茶の銘柄の……」

 「……憚りながら申し上げます、ジャンヌ様」

 何気なく会話を再開したジャンヌの言葉を遮って、ノートルクアが口を開いた。

 突然のことにロクトがぽかんと口を開く、ジャンヌは表向き彼女を咎めるように視線を向けたが、蜥蜴の獣人種の武人はいきり立った態度でガルディノ側の人間に向き合った。


 「ここ最近のガルディノの、人間どもの動向は目に余る。ジャンヌ様は存じ上げないかもしれないが、〈人界領〉と直接接するこの城には様々な不穏な噂が飛び込んでくる。……それも全て、そこの若輩者が領土を継いで後のことだ」

 「ノートルクア、言葉を控えよ」

 「いいえ、これ以上、ジャンヌ様が与り知らぬのをいいことに何食わぬ顔で話を続ける人間どもの非礼を、わたしは許す事ができない!」

 ノートルクアが吠えて議場の床を踏み鳴らすと、長机が一瞬浮き上がった。

 ロクトが「ひっ」と悲鳴を上げて身を引く。彼の臣下の一人は、実際に椅子の上を飛び上がってそのまま転げ落ちていた。


 「ノートルクア!客人に対する非礼は私の……」

 ジャンヌがノートルクアを叱責しようと口を開いたその瞬間──


 ──「何が客人だ!そっちこそ何も知らないふりを決め込みやがって!」


 わめき立てる声にジャンヌが振り返ると、ロクトが長机の上に身を乗り出し、顔を真っ赤にしてジャンヌを見ていた。


 「自分は素知らぬ振りをして、俺達にそのトカゲをけしかけるつもりなんだろ?」

 ロクトはぴくぴくと眉間をひきつらせて、ジャンヌを睨んでいる。

 ジャンヌも、ノートルクアも呆気に取られた。ロクトの臣下が慌てて彼を抑えようと手を伸ばすが、ロクトはそれをわずらわしげに振り払った。


 想像した以上の反応に驚いたが、ジャンヌはすぐに冷静さを取り戻した。

 「……私が何を知っていると思うんです?」

 長机の上で手を組んで、ジャンヌはロクトを見据えた。

 ロクトがはっとして視線を逸らした。

 「そ、それは……」

 「私は。そういう〈人界領〉との取り決めですからね。。それとも……」


 ジャンヌはゆっくりと締め上げるように、ロクトを見詰めた。


 「そちらこそ、私の行動について、何かご存じのことでもあるのですか?」

 ロクトが息を呑んで、ジャンヌを睨み返す。まだ反抗する気骨はあるようだが、それを折るのはここまでくれば造作もないことだ。


 ジャンヌがロクトを本格的に問い詰める為に口を開きかけた時だった。

 

 「ねえ、お兄様!あちらが魔族の姫様なの?」


 唐突に議場の扉が開いて、そこから涼やかな少女の声が響き渡った。


 突然議場に入ってきた年端もいかない少女の姿に、ジャンヌもノートルクアも思わず呆気に取られた。


 「ルクシア!?此処へ来てはいけないと言ったはずだぞ!」

 「だって、あんまりにもお話が長くてたいくつしてしまったんですもの」

 ルクシアと呼ばれた少女が、ロクトの膝にすがりつき唇を尖らせる。


 その天真爛漫な振る舞いに、議場に一気にしらけた雰囲気が漂った。

 ロクトを問い詰めたい──が、ここでロクトに詰め寄るわけにも、ノートルクアをけしかけるわけにもいかない。


 「ねーえ、あそこの黒いドレスのお方が、魔族の姫様でしょう?」

 「ああ、そうだ」

 「わたし、どんな美しい方なんだろうって、想像してたの」

 ルクシアと呼ばれた少女──ロクトの妹がジャンヌを見て無邪気に微笑む。

 「……想像以上だった。絵本で見たどんなお姫様よりも美しくて、ステキだわ」


 ふんわりと花のほころぶような笑顔の少女に、ジャンヌは追及の意志がくじけた。

 ノートルクアも、暴力をちらつかせる覚悟ができないようで、固まっている。


 「妹が大変な失礼をした。迷ったのだが、連れて来るべきではなかったようだ」

 「だって、魔族の姫様を見たかったんですものー」

 「これ以上、お見苦しい姿を見せるわけにいかない。今日の所は、これで切り上げていただいてもよろしいか?」


 「…………ああ」

 ジャンヌはほぞを噛みながらも、これ以上引き延ばしても自分の求める結果は得られないだろうことを悟って、ロクトにうなずいた。

 「なら、次の機会に。今日は大変に失礼をした」

 「いやこちらこそ、部下が粗暴な態度をとって申し訳なかった」

 空疎なやり取りの味に、ジャンヌは長机に手を突きまぶたを閉じた。



 「うまくはぐらかされた……のでしょうか?」

 人間側の相手が誰もいなくなった議場でノートルクアが、こちらを気遣いつつ話しかけるのに、ジャンヌは椅子から立ち上がる気力もないまま息を吐いた。

 「今更何を言っても遅い。ここでラクシャラの件について反応を引き出せなかったら、もう当分の間、ラクシャラ追放の真相は掴めない」

 「……ラクシャラ殿を、当分の間──ガルディノの騒乱が落ち着くまで、ジャンヌ様の元で保護しておくのは、無理なのでしょうか?」


 ノートルクアがおずおずと口にした提案を、ジャンヌは一度口を開きかけて──再び考え込んだ後で、ゆっくり口を開いた。


 「ここは〈魔族領〉だ。人間の住む場所じゃない。たった一人、相容れない土地に住まわせるのは、あまりに彼女にとって酷だろう」

 せめて〈人界領〉の別の国へでも、彼女を送り届ける算段をつけたい。

 その為には、ガルディノ側の思惑を正確に知る必要がある。


 「悪いが、まだしばらくはガルディノの動向を見張ってくれ」

 結局、ジャンヌはそう命じて椅子から立ち上がり、議場を後にするのだった。


 **


 「……もう終わりだ。あの魔族、ラクシャラの奴から全て聞かされてる……」


 ガルディノ領に戻る豪奢な馬車の内で、ガルディノの若き領主ロクトは項垂れて弱々しく呟いていた。


 「今夜にも、今すぐにでも俺の元へやってくる。俺たちのやろうとしていることを領民たちに暴露して、ラクシャラと共に俺たちを嘲って、なぶりものにする気だ」


 すると、金色の後れ毛が輝くうなじを、小さく華奢な手が優しくなでた。


 「落ち着いてお兄様。あの魔族の姫がわたくし達をどうこうする事はできないわ」

 ロクトの妹であるルクシアだった。十にも満たない歳の少女が、今や領主の立場にある歳の離れた兄を子供のようにあやし、慈母のごとき微笑を浮かべている。


 「言ってたでしょう?そういう決まりなの。破れば、彼女の方が〈人界領〉とのよすがを失ってしまう。万能に近い魔力をもつ魔族でも、人の世の理には逆らえない」

 「だが……奴はその気になれば、俺たちを瞬く間に八つ裂きにできるんだぞ?」

 「ええ、お兄様、その気になれば、ね」


 幼子に言い聞かせるようにルクシアは目を細め、ロクトの顔を覗き込む。


 「でも、その気になんてならない。あの女は、絶対に、ね?」

 「そうか……。そうだよ、な?」

 「ええ、お兄様。わたくしが保証しますわ。だから安心してね」


 そしてルクシアは、虫を引き寄せ蜜を吸わせる花のような、華やかな笑みを浮かべてみせる。


 「だから、わたくし達は儀式の準備を進めましょう。女神の偽りの姿の信仰の依り代たるあの巫女を殺せなかったのは残念だけど、でもどのみち彼女も〈魔族領〉にいるならわたくし達のやることに手出しできないわ」


 項垂れるロクトを自らの胸に抱き寄せて、ルクシアは満足げに微笑む。


 「わたくし達の手で取り戻しましょう。ガルディノを再び勇壮なる戦の女神の加護に満ちた大国とする為に、女神の真の姿を」

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