第十一章 ジャンヌの仕事

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 寝床に忍び込んでくる寒気に、ジャンヌは一つくしゃみをした。


 ここしばらく共寝をしている相手の温もりを求めて、ジャンヌは反射的に寝床の中に手を伸ばしたが、そこにあるはずの肌の温もりはなかった。


 「……そうか」


 ため息を吐きながら、ジャンヌは寝床に手を突き起き上がる。

 ラグの上に裸足で降り立つと、冷え切った体を温めるのに両腕を擦った。

 元々、体が冷えやすいタチなのだ。

 ここの所は共寝をしている相手がいるせいで忘れていたが──


 「湯たんぽ代わりにされていたなんて知ったら、あいつさすがに怒るかな?」


 ガウンを羽織りつつ、共寝の相手の顔を思い浮かべながらジャンヌは、再びくしゃみを一つしたのだった。


 〇


 身支度を整え尖塔を下りていくと、中庭のあずまやで顔を突き合わせている人影を見つけた。


 自らの臣下の〈小鬼ゴブリン〉のゲルデ。先日、紆余曲折がありつつアスタルテ家の領土に留まることとなった工兵たちの長である〈野猪鬼オーク〉──今は他と識別する必要があるため、デュールと名乗っている。


 そして──


 「ジャンヌ様、おはようございます」


 湯たんぽ代わりの共寝の相手、人間の巫女ラクシャラが顔をほころばせた。


 この三人が何をしているのかとあずまやをジャンヌが覗き込んでみると、幾つか様子の違う石ころを並べて、三人で顔を寄せ合っているのだ。


 「……何の相談だ、これは?」

 「それぞれの石の性質を調査しテ、用途について検討している所ダ」


 ジャンヌが顔をしかめると、随分とりゅうちょうに喋るようになった工兵長デュールがそれぞれの石を指差し、説明した。


 「ほら、先日、昔アスタルテ家の領土の城を建てるのに使っていた石切り場を回って、石を集めてきたじゃないですか。その石です」

 「ああ……」

 ラクシャラに言われても、何を意味するかいまいちジャンヌはぴんとこない。


 「……確か、親父の代でゲルデたちが見つけた、石切り場だったか……?」

 「さようです。場所はわたくしが把握しておりますし、必要とあれば工兵を派遣して建設に必要な分は確保できるでしょう。ジャンヌ様のお手を煩わせることはありません」

 ゲルデが場をとりなすように横から口を挟んだ。

 どうも、こちらがぴんときていないのを察しているようだった。


 「そうか。なら、この場はお前に任せておいたら、問題ないな?」

 ゲルデを振り返ると、父の代から仕える忠実な臣下は深々と頷いた。

 「ええ、後の事はわたくしにお任せください」

 「……俺たちの造った町を壊すつもりがないなラ、それでイイ」

 「お前らはまたそれか」

 工兵長が横目に睨んでくるのを、ジャンヌは苦虫を噛み潰して振り返る。


 「あの……ジャンヌ様は町の建設現場の視察へは……」

 その時、横からおずおずとラクシャラがジャンヌの顔を覗き込む。

 彼女のこちらをうかがう眼差しに、ジャンヌは少し思案する。


 ラクシャラは町の建設が自分の発案である為に、ここの所、ゲルデやデュールと共に行動して、彼らの作業を監督している。

 彼女なりに責任を感じてのことだろう。相変わらず生真面目だと思う。


 その為に、この所別行動している場面が多くなっているが──

 だがやはり彼女がようやく示した自主性の芽を摘みたくはなかった。


 「そっちはラクシャラとゲルデに任せておく。私は今日、別の仕事がある」

 「そうなのですか……」

 「……ま、どうせ余りまくってる我が領土だ。じっくり、条件の良い土地を探してくれて構わない」


 ジャンヌはあすまやからきびすを返し、ドレスの上から顕現させた漆黒の闇の外套を羽織った。

 「そういうわけで、留守は頼んだぞ」


 〇


 これから向かう先は、馬で行くには少しばかり距離がある。

 ジャンヌは外套を翻して、空中へ蹴り出すと、一息に蜘蛛の上へと飛び上がり、そこから外套をはばたかせ虚空を飛んだ。


 世界の在りようを変容させる魔族の魔力の応用。

 人間からすれば万能の力のように思えるだろうし、恐れるのも当然だろう。

 ──その為に異種間戦争の後、〈魔族領〉に押し込められたのだ。


 やがて、地上に、波立つ海が両側に迫る急峻な土地が見えてきた。

 断崖の上のわずかな陸協を守護する目的で建てられた、先代からの古城を認める。

 ジャンヌは外套を畳みハヤブサのような勢いで地上へ急降下すると、着陸の直前でふわりと外套を広げて制動をかけ、地面に軽やかに足を下ろした。


 ──「いつ見ても、ほれぼれさせられます」


 凛とした声がかかって、ジャンヌは声の方を振り向く。


 そこに立っていたのは鈍く輝く甲冑に身を包み、岩のような硬質な鱗に覆われた蜥蜴の獣人種の武人──ノートルクアが自分を出迎えていた。


 「先代様が戦の先頭に立たれた姿と瓜二つでしたよ」

 「……相変わらず世辞がうまいな。親父が戦に立ってた頃なんて、お前、卵の殻がついているような赤ん坊だったはずだろ?」

 「それだけわたしの両の眼に鮮烈に焼き付いている、ということです」

 ノートルクアの真剣な眼差しに、ジャンヌは多少居心地が悪い気分で息をつく。

 悪い奴ではないし、優秀な武人には違いない。だが、この自分を過度に礼賛する態度が気まずくて、わざわざこの古城に配置しているのは否定できない。


 「まあ、それはいいんだ」

 ジャンヌは咳払いをして、いずまいを正してノートルクアと向き合う。

 「……先方はもう、着いているのか?」

 そう訊ねると、ノートルクアの黄金色の瞳に一瞬、冷徹な光が見えた。

 「城の中に通して、待機させています」

 「それならすぐに会おう。彼らを議場に通してくれ」


 謁見の間を使うつもりはない、と言外に含めておいて、ノートルクアに命じる。

 ノートルクアもさすがにそこは心得て、さっと敬礼をして城へ戻っていく。


 ジャンヌは現出させていた外套をさっと消して、懐から取り出した手鏡で改めて身なりを整えつつ、古城へ歩を進めた。


 ──今日、この仕事だけは気合を入れて臨まねばならない。


 〇


 結い上げた髪にさっと櫛を通した所で、議場の両開きの扉に辿り着いた。

 既にノートルクアが控えていて、ジャンヌが目で合図を送ると、洗練された手付きで扉を開き、自分の傍らにぴたりと寄り添った。


 「お待たせしました」

 議場の長机には数人の人物が既に席についていた。

 全員が人間だ。

 そして──彼らの中央にひときわ年若い青年が、緊張を隠せない様子で膝をゆすりながら座していた。


 彼が、ロクト・ガルディノだ。

 ジャンヌはそのあおざめた神経質そうな青年の顔を検めて見詰めた。

 

 ──ラクシャラを追放し、命を奪うよう命じた張本人だった。

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