第十三章 見守り続ける者の…

 なんとも後味の悪い思いをしながら、ラクシャラのいる古城へジャンヌが戻ってきた時には夜も更けていた。


 門の跳ね橋も上げられていたので、そのまま中庭へとジャンヌが降り立つと、自分でも意外なほど無力感が込み上げてきた。

 しばらく、無言のまま誰もいない中庭に立ち尽くしていると、ひそやかな足音が近づいてきた。


 ──「お戻りでしたか」


 聞き覚えのある声にジャンヌが顔を上げると、ゲルデがカンテラを片手に覗き込んでいた。


 「……見ての通りだ」

 「食事……は、無理に取られない方がよろしいですな。お茶と何か軽くつまめる物を用意しましょう」

 正直、何か飲み食いする気には微塵もなれなかったが、ジャンヌはため息を吐いてうなずいた。

 「ああ、ひとまず、頼んだ」

 それからふと気付いて、忠実な〈小鬼ゴブリン〉の家臣に命じる。

 「絶対にラクシャラに私のこのザマを見せるな。私の傍に近づいたら、それとなくよそへやってくれ」


 早口にジャンヌが告げると、ゲルデはなにやら苦笑してかぶりを振った。

 「その心配は今のところ、無用のものでございますよ」



 ラクシャラはあてがわれた部屋で、何冊も積み上げられた書物の前に突っ伏して眠っていた。肩から毛布が掛けられ、燭台の揺れる灯火の光を、こぼれ落ちた亜麻色の髪が柔らかく光を反射している。


 「町を造ると決まった時から、毎晩、勉強なさっているようです」 

 ゲルデがそっと開いた扉の奥に見えるラクシャラの姿に、ジャンヌは腕を組む。

 「そんなもの、一朝一夕で学べるものでもないだろうに」

 「ええ、ですからこうして毎晩、夜更けまで知識を蓄えているわけで」


 「……しかし、それで朝早くからお前らと打ち合わせをしているのか?ほとんど寝る間もないんじゃないか?」

 ジャンヌが顔をしかめると、ゲルデがラクシャラの部屋の扉をそっと閉ざした。

 「……結局町を造るのは工兵たちの要望だし、出来上がるのは〈魔族領〉の町だ。あいつがそこまで根をつめる理由なんてないじゃないか」

 「さて、どうなのでしょうな」


 ラクシャラの休息を邪魔するわけにいかない。

 そっと足音を忍ばせ部屋を離れるジャンヌにゲルデがそっと後に続いた。

 「一度、直接ジャンヌ様からお聞きされてはどうでしょう?」

 「……別にいい。あいつが無理だけはしないよう見張っておけよ」

 ジャンヌが背中を向けて足早に立ち去るのに、ゲルデは気づかわしげな眼差しを向けるのだった。


 〇


 ジャンヌは普段使わない自分の居室の扉を開き、ゲルデの給仕を待った。

 「やはり掃除してもらっても、普段人がいなけりゃ荒んじまうな」

 バルコニーに椅子を出して腰かけ、夜空に青白く輝く月を振り仰ぎ、ジャンヌはまぶたを閉じた。


 (親父がいた頃は、もっとこう……色々なものに張り合いがあった気がする)

 ジャンヌがぼんやりと物思いにふけっていると、ゲルデが茶器を運んできた。バルコニーに出したサイドテーブルの上に手際よく準備を進めるゲルデの手並みを見ていると、無意識に言葉が飛び出していた。


 「……なあ、私は、もうちょっと上手くやれたんだろうかな?」


 ゲルデの手が止まった。不思議そうに目を瞬く彼の顔に、ジャンヌは思わず視線をそらした。


 「そう突然言われましても、なんのことを仰っているか、分かりませんな」

 「……もういい。今のは忘れろ」

 ジャンヌが息を吐いて話を打ち切ろうとする。だが、すぐ傍らに立つゲルデの気配を察して、眼を向けた。


 「……なんだ?」

 「ここ最近、一度に色々な変化の芽が吹きました。ラクシャラ様が〈魔族領〉に来られて、タルレス様の育てた工兵たちがこの地に留まり創造に目覚めた」

 ゲルデが静かに語りかける言葉に、ジャンヌは目を瞬いた。


 「その変化の芽が生える土壌をつくったのは紛れもなくジャンヌ様です」

 「……どうだかな」

 ジャンヌは椅子の上で脚を組んで、しどけなく肘を突いた。


 「十年……親父がいなくなってから、十年だ。変化のない〈魔族領〉の領主として、で通してきた。でもな……」

 「それが今のこの世界で〈魔族領〉に求められることだとしたら、十分、ジャンヌ様はその務めを果たされておりますよ」


 ジャンヌが苦々しげに唸るのを、ゲルデは傍らにただじっと控えて離れない。


 「……カール様がいなくなられたのは、ちょうどあそこの崖の辺りでしたか」

 「…………。ああ、そうだったな」

 ゲルデが視線で示す断崖の辺りを、ジャンヌも振り向いて息を吐いた。


 十年前──

 ある朝、ジャンヌが目を覚ますと、世界の果てへ続く西の海を臨む断崖に、黒曜石のような漆黒の鱗に覆われた巨大な竜が姿を現した。

 なんの前触れもなく現れたその竜が、父の変わり果てた姿だと悟った時には、竜は遥か遠く西の空へと姿を消していた。


 引き留めようと思っても、もう全てが遅かった。


 「全く、我が父親ながら最後まで好き勝手やりやがって……」

 ジャンヌが嘆息して、今は穏やかに月の光を映す海を眺める。

 「……カール様はこれ以上、〈魔族領〉に自分が留まっても禍根を残す結果にしかならぬと悟っておられたのだと思います」

 ゲルデがおもむろに話す言葉に、ジャンヌは彼を振り向いた。


 「カール様は自分の内に燻る、戦いへの渇望に気付いておられた。長く続いた異種族との戦争で、常に争いの内にあったカール様は、戦の終わったその後も、血の沸き立つその感覚を忘れられなかったのです」

 自らの内にもかつてあった、そのたぎりを抑えるかのようにゲルデは拳を握る。

 「……それで、自らを竜に変えて、誰も知らない世界の果ての向こう側へ、闘争を求めて去っていった、か。……随分ロマンチックな言い方をするもんだ」


 「違います」


 ゲルデがきっぱりと告げる言葉に、ジャンヌは思わず彼を見た。


 ジャンヌが見やると、ゲルデは再び何事もなかったように給仕を続けて、カップに薫香の漂う茶を注いだ。そして、更に懐から布に包まれた何かの果実を取り出し、皮を剥いて手早く切り分け始めた。


 「カール様は、ジャンヌ様に託されたのですよ、〈魔族領〉を。あなたのその才覚と忍従に耐える気質を見込んでおられた」

 「……本人はそんなこと、一言も口にしなかったぞ」

 「そこは、お互い、言葉が足りなかったということですな」

 ゲルデが苦笑するのに、ジャンヌは唇を尖らせた。


 そうして、ゲルデは器に盛った果実──柘榴の実を、サイドテーブルに置いた。

 「……これは?」

 「今日、町の建設地の視察に行った時に、ラクシャラ様がジャンヌ様への手土産に採ってこられたものです」

 「…………」

 「ジャンヌ様とカール様はよく似ておられます。だからこそ、同じ轍を踏まぬようにお節介を申し上げておきます。……わたくしだって、いつまでも足りぬ言葉の橋渡しをできるわけではないので」


 そう言い残し、うやうやしく頭を下げてゲルデはバルコニーから退出する。


 ジャンヌは、自らの手元に残された茶と柘榴の実を、じっと見下ろしていた。

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