第十五章 ラクシャラの想い

 「頭を打ってるかもしれませんので、無理に動かないで」

 私は部屋のベッドにジャンヌ様を寝かせて介抱する。

 ジャンヌ様はお酒に特別強いわけではないようで、深酒はしていないようだけれど顔が真っ赤になって、手足に力が入っていなかった。


 「ぅおいっ、部屋にだれもいれるらってゲルデにいったろ、ろーしておまえが」

 「あの、お叱りは後でちゃんと受けますから、今は、お世話させてください」

 サイドテーブルに載っていた水差しから水をグラスに次いでジャンヌ様の口元に運ぶ。ジャンヌ様はどうにか自力でグラスを受け取ると、喉を鳴らして水を飲んだ。


 そのままグラスを放り出し、クッションに顔をうずめるジャンヌ様と同じベッドの傍らに腰を下ろす。

 ジャンヌ様がこんな風になるとは、正直思わなかった。


 「……っくそ、なんだってよりによって、こんな所を……」

 しばらくすると、ジャンヌ様が少し落ち着いた様子で、息を吐いた。

 「あの……」

 「だまれ、私がどんなにみじめな気分だか、お前に分かってたまるか」

 ジャンヌ様は真っ赤になった目元を腕で隠して、口をへの字に結んだ。


 ジャンヌ様の荒い息遣いに、私は普段ほの白い首元が赤く染まっているのをじっと見詰めた。ジャンヌ様の様子がここしばらくおかしいのは気付いていたけど──


 ただ、やはり今は私から話をしなければ、ジャンヌ様は応えてくれないだろう。


 「あの……実はお願いがあるのです。例の、町造りのことで、どうしてもジャンヌ様の力が必要になって……」

 「あ?」

 ジャンヌ様が私を見上げて、力なく嘆息した。

 「……今更、私の何が必要だってんだ?石切り場の石ころ一つ見分けられない奴に何を頼むことがある?」

 「……ジャンヌ様?」

 「直接造る工兵の人手は十分だし、〈人界領〉の知識を持ったお前がいて、補佐にゲルデもつけてある……、今更、私がやれることなんてないだろうが」


 「あの……」

 投げやりなジャンヌ様の言葉に、私はひたすら困惑するしかなかった。

 「……だから、今、お前に会いたくなかったんだ」


 ジャンヌ様は私の視線から顔を隠すように、クッションに顔をうずめた。


 「私が……私がこれまでやってきたことはなんだったんだって思っちまう。〈魔族領〉の掟に頭を抑えられて……ただそこにいるだけで時を過ごしてきた自分が……」

 「ジャンヌ様……」


 ジャンヌ様の苦々しく吐き捨てた言葉に、私は衝撃を受ける。

 それは……私が〈人界領〉に、ラクシャラの巫女として神殿で暮らしていた頃に、何度も感じてきた葛藤だったから──


 気が付けば私は──顔を埋めるジャンヌ様のそばに膝を寄せて、そっと彼女の艶やかな黒髪に触れて、口を開いていた。


 「ジャンヌ様……。ジャンヌ様、これは……私の想いです。私が勝手にあなたに押し付ける想いです。聞きたくなければ、何も聞かなかったことにしてください。それで、私が何かをあなたに求めることは、しませんから……」

 「…………」

 「私は拾い子で、ラクシャラの巫女として育てられて……それ以外に自分の居場所や生き方を選べませんでした」


 拾ってくれた先代の巫女様は優しかった。神殿のある山の麓の村の人たちは親切で、暮らしは穏やかだった。それでも──私はどうしてか息苦しかった。


 「きっと私は……居場所を失うのが怖かったんです。その為に、誰かの役に立たなきゃ、わがままを言っては駄目だって。自分がして欲しいことさえ、誰にも素直に言えなかった」

 ジャンヌ様はベッドに顔をうずめたまま何も言わない。

 私は、すべらかに指の間を通る彼女の髪の感触をめでている。

 「だから、だから……私がラクシャラの巫女としての居場所を失ったあの夜……追放されたあの時も、悲しくて、悔しくて……だけどそれ以上に、自分の何が悪かったんだろうとしか考えられなかった」


 きっと、そうではないのだ。あの時の私は、自分の至らぬ所ばかり考えていた。


 「〈魔族領〉に来てからです。……ジャンヌ様の、おそばに置いてもらってからです。私は、私のやりたい事をしていいんだって」


 ほんの少しだけでも伝わっているだろうか。私の想いが。私の、伝えても伝えきれないジャンヌ様に対する感謝が。


 「ジャンヌ様のお力になりたいだけ。ジャンヌ様の暮らす〈魔族領〉が、少しでも豊かになって欲しいだけ。……それが今の私のやりたい事です。ですから……」


 私はそっとベッドから立ち上がり、無言のままのジャンヌ様から離れた。

 「ジャンヌ様、あなたが自分の居場所を見失っているのなら、今はどうか休んでいてください。それで、もし、私の気持ちを分かってくださるなら……もう一度、私をあなたのそばに置いてください」


 私はジャンヌ様を残して、部屋を離れていく。後ろ髪を引かれる思いはあるけれど、ジャンヌ様が本当は強い方だと分かっているから。


 「あの、しばらく町の建設地に出て、城へは戻りません。……お待ちして、いますから……」

 最後にそれだけ伝えて、私はジャンヌ様の部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る