第十六章 真実

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 ジャンヌは激しい頭痛と吐き気に呻きながら、ベッドの上で体を起こした。

 窓の外は茜差す夕陽の色に染まっている。

 決して強いわけではない酒を飲み明かしたせいで、体調も時間の感覚もぼろぼろになっていた。


 「……ああ、くっそ……」

 酒に頼るなんてことをした記憶はこれ以外ないが、もう二度と酒の力は借りるまいと思うような、酷い状態だった。

 おまけに──


 ジャンヌはぐらぐらとふらつく顔を上げて、居室の扉を見た。

 昨晩、ラクシャラが出て行った扉。

 「分かった風な口を聞きやがって……」

 今、ラクシャラは町の建設地に向かって、城にはいないだろう。

 それが分かっていて毒づく自分の小心ぶりに、さすがに嫌気がさした。


 水差しのぬるまった水をグラスに注いでぐいと飲み干すと、ジャンヌは特に何をするでもなく部屋の中をうろついた。


 一番見られたくない相手に、一番見られたくない醜態をさらしてしまった──


 「……こんな目に遭うのも、親父や、先代の巫女のばばあがそろいもそろって私に何もかも押しつけやがったせいだ……」

 そう結論づけて、ジャンヌは椅子の上に腰を落とし、執務机に突っ伏した。


 ラクシャラのことを気に懸けろ、ラクシャラの様子を確かめてくれ──

 〈魔族領〉のことでも自分には手一杯だというのに、そんな風に押し付けられて、あまつさえ、その相手に気遣われるなんて──


 酒のせいか、頭の中で思考が混沌としている。

 父親と先代の巫女の言葉がぐるぐるとうずを巻いて──


 ふと、ジャンヌは違和感を覚えた。

 かつては父の部屋でもあった、ほとんどこれまで使ったことのなかった居室にいるせいだろうか、混沌とした思考のうずの中から、鮮明な父の姿が浮かび上がってきた。


 ──ジャンヌ。


 武骨で、不愛想で、いつも陰にこもった顔つきだった父。

 そんな父が姿を消す前、何度も念を押すように言っていた言葉。


 ──ラクシャラの巫女を気にかけ


 「いや、違う」

 ジャンヌは閉じていたまぶたを開いた。

 酒と自己嫌悪と歯がゆさで煮立っていた頭が冷えていた。

 「親父は……そんな言い方をしていなかった」

 あんな、武辺一辺倒の父がそんな気の利いた言い方をしていた記憶がない。


 正確には──

 正確には……


 ──ラクシャラのことだけは注意しろ。


 「そうだ……」


 それは巫女の身の上を案じるような、穏やかな忠告などではなかった。

 あれは、警告だった。潜在的な脅威に対する。


 〇


 ジャンヌは城の書庫に大股に入っていった。

 細かな埃が舞い上がるのにも構わず、書庫の普段人の通ることのない一角に近づくと、過去の記録をかたっぱしから引っ張り出して、素早く目を通していく。


 知りたい事自体は単純だし、父親の代であろうと目算はついていたから、目的の記述は割合すぐに見つかった。


 「女神ラクシャラ……」


 今までガルディノ領で信仰されている女神としか認識していなかった。その存在。

 それが実際にはどういうものであったか、今いちど確認する必要がある。

 ジャンヌは、父の無骨な筆致をはやる気持ちを抑えて読み進めた。


 「……女神ラクシャラは、人間が信仰する豊穣の女神にあらず、より多くの面を有する、古来より破格の力を有する存在の、一つの在りように過ぎぬ。人間は己が都合のいいように、ラクシャラと名をつけ、巫女を依り代として神としてあがめることによりを封じているに過ぎず……」


 ジャンヌはそこまで読み進めて、呆然と記録に視線を落とした。


 「が本来なんであったか、我には相対した己が記憶から推し量るよりほかなく、正体を知る術はなし。ただの強烈な自我への欲求を感じたり」


 ページをめくる手が震える。こんな……こんな大事なことを見逃していた。


 「思うに、人間は巫女を豊穣の女神ラクシャラとみたて同一視することで、に自我を与え封じている。ゆえに、巫女は封印の地たる神殿を長く離れることを禁じられ、生涯をそこで過ごすことを求められる。巫女を依り代とした封印は、その実、不安定なものに過ぎぬ。ガルディノ領が我がアスタルテ家の領土と隣り合う限り、その動向を注視する必要があろう……」


 記述を読み終えたジャンヌは書物を閉じると、猛然ときびすを返し、書庫を出た。


 「ちくしょうっ!その気になればすぐ調べられた事だってのに……!」

 漆黒の外套を虚空から取り出し、身に纏う。

 (あいつが神殿を離れて、どれだけ月日が経った?結局、あいつが封印の地である神殿にいない事がガルディノ側の目的だった)


 城の中庭に飛び出し、夜の青さが忍び寄り始める空をジャンヌは振り仰いだ。

 (だが、そんな事をして何になる?封印を解くことがガルディノにとってなんの利がある?……いや、今はそんな事考えている場合じゃない。封印は、今この次の瞬間にも……)


 今、この次の瞬間にも──


 ジャンヌが暮れなずむ夕刻の空へ飛び上がった。

 同時に、自らの魔力がガルディノ領の方角から不穏な気配を捉えた。

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