第五章 魔族の戦争
ゲルデさんのこちらを気遣う言葉に礼を言おうとしたその時だ。
──「ジャアアアアアアアンンヌウウウウ‼」
古城全体を揺るがすような、誰かの大絶叫が響き渡った。
「この声は……!」
ゲルデさんがはっと目を見開き、部屋を飛び出していく。
私も何事か事態を見極めようと、急ぎ彼の後を追った。
〇
ゲルデさんを追って回廊を走り抜け、古城の城門へと向かう。
城壁の上に辿り着くと、そこにジャンヌ様も立っていた。
二人とも険しい表情で城門の向こう──古城の前の平原を見ている。
私もそちらを振り向くと、驚いた。
いつのまにか、攻城機も備えた軍勢の陣が敷かれている。
人間ではない。〈
「これは……」
呆然とする私の横で、ジャンヌ様が苦虫を噛み潰した顔で腰に手を当てた。
「全く……もうかぎつけてきたか」
苦々しく呟くジャンヌ様の視線を辿ると、古城に迫る軍勢の先頭に立つ偉丈夫。
ぎらぎらと輝く甲冑を身に着けた逞しい青年が、大仰に両手を広げた。
「ジャーーーンヌゥ!今日こそは我らの長年の争いに決着をつけようぞ!」
逞しく、大柄な体にみあった張りのある大声が、城壁の上まで届いてくる。
それを聞いたジャンヌ様が腰に手を当て、呆れ顔で青年を見下ろした。
「タルレス。お前これで何度目だ。今回は大げさな連中まで連れてきやがって」
「ここ十年で七五九回目の遠征だ!お前への挑戦はいつだって我が心に鮮明に焼き付いているぞ!」
「その内の一回でも私に勝つことができなかった事実も、そのつるっつるの脳みそに焼き付けておけよ」
呆れ顔のジャンヌ様に、タルレス様と呼ばれた青年が声を張り上げる。
「お前が隙を見せるからだ!今回もお前が面倒事を抱え込んでいるのは分かっているぞ!なんせ、魔力の影響範囲が隣り合う魔族同士だからなあっ!」
その言葉に、ジャンヌ様が一層、苦々しげな表情を浮かべた。
「……脳筋のくせして人の弱みをかぎつけるのだけは大得意か」
ジャンヌ様が舌打ちするのに、私が思わず彼女の横顔を盗み見ると、同時にこちらを向いたジャンヌ様と目が合った。
「ジャンヌ様、あの人は……」
「〈魔族領〉の隣り合う魔族の一人、タルレス・アルデバラン。……なにかとちょっかいをかけてくるクソ厄介なアホだ」
ジャンヌ様は辛辣な言葉を遠慮なしに言い放ったが、タルレス様は聞いているのかいないのか、自らの軍勢を振り返る。
「俺だってなんの工夫もなくただ攻め寄せるだけではない!人間の戦を参考に工兵として仕立て上げたのだ!」
「そこに至るまでの七五八回までほぼ無策で攻めてきたわけだがな」
「お前にとっては小さな一歩であろうが、我がアルデバランの軍勢にとっては偉大な一歩だ!我が軍勢は常に目標へ向けて邁進しておる!」
「……分かっちゃいたが、こちらの話を聞く耳もたないな」
ひたすら噛み合わない問答に疲れきった様子でジャンヌ様がかぶりを振った。
「やるしかないか」
そう言って城壁の上から身を乗り出すジャンヌ様に、私は思わずその肩を掴む。
「ジャンヌ様……」
だが、私の指をゆっくりと引き剥がし、ジャンヌ様が不敵な笑みを浮かべる。
「心配するな。ラクシャラ、お前に魔族の戦というものを見せてやる」
そして、ゲルデさんを振り返り、厳しい表情で命じた。
「ラクシャラが巻き込まれないようにだけ、気を配っていてくれ」
そうして、城壁の上に一人飛び上がったジャンヌ様は──瞬きするほどの一瞬の間に、その姿を変えていた。
あの、鴉のような漆黒の仮面と外套を身に纏った剣士の姿へ──
〇
「者どもぉっ!」
ジャンヌ様が臨戦態勢に入ったとみるや、タルレス様が己の身の丈ほどもありそうな大剣を片手に掲げ、自らの軍勢へと合図を送った。
「撃てぇっ‼」
それを振り下ろした瞬間、古城の前に並んでいた攻城機が一斉に動作した。
無数の矢が射かけられ、油を浴びて火の点いた鉄球が無数に城壁へ飛んでくる。
城壁に迫りくるそれらの影が迫りくるのに、私は思わず頭を抱えて庇う。
その上から、ゲルデさんが庇うのも気付いた。
だが、その一瞬の間に見たジャンヌ様は微動だにせず、自らに迫りくるそれらの影を睨み据えて──
「タルレス、これ以上、お前の遊びに付き合う義理はない」
ジャンヌ様はそう言って、漆黒の外套をばっと音を立てて広げた。
その漆黒の翼じみた外套が、瞬く間に城壁をおおいつくすほどの影になる。
その漆黒の影は、古城目がけて飛んできた矢や鉄球を一瞬で覆い隠して──
──次の瞬間には、古城を破壊しようとしてきた全ての兵器が闇の中に掻き消えていた。
世界の在りようを変容させる魔族の魔力。
これが──
私は今しがた自分の目で見た光景が信じられず目を瞬いた。
私の視線を背中に、ジャンヌ様はいつのまにか元の大きさに戻った外套を軽く指先で払ってみせた。
「……タルレス、お前だってこんなお遊びが通用すると本気で思ってたわけじゃないだろ?」
城壁の上から見下ろすジャンヌ様の視線を受ける、タルレス様の顔は先程までより幾分か、真剣な雰囲気を増していた。
「魔族の戦はいつだって、互いの魔力のぶつかり合い。形ばかり軍勢を真似たって意味のないことは分かってたはずだ」
「……それはまあそうだが、気分だ」
悪びれた風もなくタルレス様は肩をすくめる。
「そういうの、大事だろ?」
「……何度も言うが、お前の遊びに付き合う義理はない」
いつのまにかジャンヌ様は漆黒の長剣を腰に差して、タルレス様と対峙する。
「私も、私の領民もな!」
ジャンヌ様は言うなり、城壁を蹴ってタルレス様の眼前に着地する。
いきなり間合いに踏み込んできたジャンヌ様に、タルレス様の方も大剣を振るって迎え討ったのだった。
〇
魔族の争いとは、互いの魔力同士のぶつかり合い。
ジャンヌ様のその言葉通りに、ジャンヌ様とタルレス様の争いはそれだけで完結していた。
ジャンヌ様の言葉通り、魔族同士の争いに軍勢も攻城機も必要ない。
それはきっとタルレス様自身も理解していたのだ。
世界を変容させる魔力のぶつかり合い。
それこそが、魔族の争いの本質だった。
ジャンヌ様が放った漆黒の闇を、タルレス様の大剣が突き破り霧散させる。
そのまま振り下ろした大剣をジャンヌ様が一陣の黒い霧と化してよけ、更にタルレス様の背後で実体を取り戻し、細身の長剣で斬り払う。
「相も変わらず、ちょこまかとおっ!」
タルレス様が焦れた叫びをあげて、自らの大剣を地面へ突き立てる。
すると、激しい振動とひびが地面を伝い、巨大な地割れが起きる
ジャンヌ様が大きく地面を蹴って、地割れから逃れる。
しかし、タルレス様の気勢はそれに収まらず、古城の前の平原にいくつも地割れと陥没を起こして広がっていく。
「ぬううううああああああっ‼」
「……ちっ!」
ジャンヌ様が大きく飛び退いた背後の地面から、大きな岩の塊が槍のように飛び出してくる。ジャンヌ様がそれに気を取られた瞬間、その隙を見逃さなかったタルレス様が大きく跳躍し、今度こそジャンヌ様を捉えて、地面へと叩き落とした。
陥没した地面にたたきつけられたジャンヌ様が体勢を崩す。
その上から、タルレス様が勢いにのって何度も大剣を振り下ろした。
「ジャンヌ様……!」
私は思わず悲鳴を上げて、二人の戦いに身を乗り出していた。
ジャンヌ様は陥没した地面を背にどうにかタルレス様の大剣を防いでいる。
「見たか!ジャンヌ、俺とて勝算もなしに突撃を繰り返すだけではないのだ!」
「……確かに魔力の扱いもこなれてはいるな……」
タルレス様に追い詰められたジャンヌ様は、裂けた外套の下で大きく息を吐き、割れた仮面の奥から鋭い眼差しをタルレス様に向けていた。
「負け惜しみはよせ!ここからどう足掻いたところで逆転など……」
「──だが、どうして常に結局、決着が叶わなかったか……、そこのところの記憶はないようだな」
「……!?」
ジャンヌ様が冷ややかに告げた瞬間、びくりとタルレス様が体を強張らせた。
「なに……なんだと……、どうして今このタイミングで……っ!」
タルレス様は、何故か突然、苛立たしげに視線を巡らせ遠くへ視線を向けた。
それはジャンヌ様に対して、あまりに致命的な隙だった。
ジャンヌ様が拳に外套を巻き付け、腕を振り上げる。
漆黒の外套を纏ったジャンヌ様の腕が、鋭い爪を備えた獣の腕へと変貌し、タルレス様の体を掴んだ。
ジャンヌ様はそのまま、頭からタルレス様を地面へ叩きつけた。
古城の前の平原を揺るがす振動と、もうもうと舞い上がる砂煙。
その中で、最後に立ち上がったのは──ジャンヌ様だった。
私の隣で、ゲルデさんがほっと息を吐く声が聞こえた。
私自身も、気付けば安堵のあまりその場に膝を突いていた。
だが──
──「うおおおおおおおおああああああっ!?」
もうもうと砂煙を立てて、ぼろぼろになったタルレス様も雄たけびと共に立ち上がったのだった。
だけど、やはり様子がおかしい。
「くそっ!なんでだ!?なんでいつもこうなる!なんでここぞという時に邪魔が入るのだあっ!?おかしいだろおっ‼」
駄々っ子のように、大柄なタルレス様が両手両足を振り回すのに、ジャンヌ様が腕を組んで、呆れ顔でたしなめる。
「何故って……お前、自分の領土ほったらかして、私との戦争ごっこにかまけていたら、そりゃ他の魔族がお前の領土を襲ってくるに決まってるだろ」
「くそうっ!くそうっ!いつもいつも邪魔をしやがってえっ!」
「お前が自分で言っただろうが」
ジャンヌ様は深々と息を吐いて、荒れ狂うタルレス様から背中を向けた。
「隙を見せたらいつ何時、誰が相手でも喰いつく。それが〈魔族領〉の戦争だ」
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