第八話 ガイチュウ
座敷牢から車が走ること十五分。
(……どうして、ここまでしてくれるんだ)
本当なら、七瀬美香のことを心配しなくてはならないだろう。
だが今は、この運転してくれている人たちの気持ちを考えるのに精一杯だった。
「着いたぞ。社長、ここには居ないかもしれないけどな」
「でも他にアテが思いつかないので……あれ」
俺は窓の外を見る。そこは俺の想定していた場所じゃなかった。
辺り一面が森。しかも道は途切れており、先が見えない。
「……屋敷じゃ、無い?」
「ああ。君たちが生まれ変わったって話、本当かもって思ってきたわ」
おじさんが見せてきたのは、ガラケーの画面だった。
そこには写真と『やま がけ たすけて』というメッセージ。
「屋敷に向かおうとしたんだけど、こんなメールと位置が送られてきたから引き返した。そしたら、社長の車もあってな」
彼女はわかっていた……いや、賭けたのかもしれない。
自分の危機を唯一脱せるであろう、微かな希望に。
「っ、行かなきゃ」
「まだだぜ」
そう、おじさんがほうれい線をあげて、俺の身体をヒョイと肩に回す。
「っ……!」
大人の双肩は、俺のものとは違いガッシリとした筋肉が付いていた。
確かに、いまの体力じゃ走るなんて無理だ。莉世も、もう一人の若い方におぶられている。
「クビ覚悟でここまで付き合ったんだ。最後までやらせてもらうからな」
「……それなんですが」
俺は済まなそうに、ゴニョゴニョと耳打ちする。
「……わかった。じゃあ、社長とお嬢様を見つけるまでで、いいんだな」
「はい。お願いします」
ここまでしてもらって申し訳ないが、最後は自分で決めなければならない。
でなければ、必ずこの方々に迷惑がかかってしまうから。
「ねえ、見てこれ」
「服の、断片?」
道中、莉世が木の根を指差す。
そこには布切れが落ちている。さらに靴跡も残っているじゃないか。
追いつけるかもしれない。いやわからない、もうかなり時間が経っているはずだ。
「急がない、と……」
「はいよ!」
草を踏みしめる音がする。
木の枝を掻き分け、掠れた葉が肌を切ってゆく。
(居た……!)
光が見える。俺たちは間に合った。
だが事態は最悪だった。
「っ、すみません、ここで!」
「わかった! 頑張れよ!!」
なぜなら奴は崖に、我が子を追い詰めているじゃないか!
考えるよりも先に、温存していた身体が動く。
「なに、言ってるの……」
「だから、さっきから言っているだろ。私の目的は『害虫の居ない世界』を作ること。暇しか持て余さず、足を引っ張ることしか能のない貧乏人や無能を、私の世界から排除するんだよ」
「……っ」
極限状態の脳が、身体が、奴の戯言を理解してしまう。
それが怒りとなり、脚を動かすエネルギーと化す。
「衛生管理は基本中の基本だろう? それは精神にも同じことが言えるんだよ、美香」
護衛もつけていない。一歩ずつ進み、奴は娘を追い詰めている。
「私の遺伝子を受け継いでいるから認めたくは無かったが、君も害虫の一匹のようだ。腐ったミカンは周囲の同族をも腐らせるというが、どうやら害虫にも同じことが言えるらしい」
「ワタシは害虫じゃない!」
「いいや、前世で君は何をした? せっかく少しでも遺伝子を良くしてあげようとしたのに、その親心もわからず家出をしたのだからな」
「待ってください!」
だが奴の未練がわかった。
すかさず俺は父娘の間に入り込む。
「前世で貴方のいう害虫を導いたのは俺です。俺さえ排除すれば、有象無象は湧いてこない」
「ちょっと!?」
どうしてそう言い切れるか、といった目だな。
「当時の俺は、お父さんをコキ使っていたことに怒りを覚えて……それで、内部事情を告発してしまいました」
当然、嘘だ。だが七瀬美香のことを言えば計画は頓挫する。
だが奴の目は高圧的で、そして侮蔑に満ちていた。「では、どう責任を取る?」と言いたいような。
「これからの人生、貴方には一切関わらない。害虫は居なくなるに限るのであれば、そうします」
「足りないな」
「……はっ?」
ようやく口を開いた奴が発した言葉は。
「頭も足りない、品性も足りない。これだから害虫は会話するに値しない」
偏見と差別に満ち、腐敗し切った本性をよく表していた。
「ここから飛び降りろ。その存在をもって償うといい」
「っ……!」
咄嗟に合流した仲間へと目を配る。その瞳には、諦念と覚悟が混在していた。
俺たちは、これ以上自ら命を断てない。もしループという罰を受けているなかで再度自害したら、どのようなことが起きるか想像もつかないから。
だから俺は、莉世に頼んでいた。もし万が一、七瀬創一が俺の死を望んできたら、構わず殺してくれと。
……でも。
「莉世、ごめん。
「っ!?」
この場合なら別だ。適任者がいる。
「いい、私がやる! 何でこんな奴に!」
「ワタシ様に、人殺しになれっての!?」
「俺を一生呪い続けるんだろ? なら、これくらいやってみせろよ」
それに、父への忠誠も見せられるだろう。
これ以上の最善手は、俺には思いつかない。
「……あぁ、お前はワタシ様を殺したクソ野郎だったな」
そして奴は溜息を一拍挟み。
俺の胸を掌で押し、崖へと突き落とした。
「駆除、完了」
そうだ。それでいい。
娘が『害虫の排除』を担うとわかれば、奴がもう未練を追い続ける必要もないはずだから。
(あとは上手くやってくれよ。七瀬美香)
(また来世で呪ってやるから。音無祐希)
最期の瞬間。俺たちは自身を殺した相手に、微かな友情すら抱いていた。
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