第五話 カクメイ
いつか見たような、黒板や机に描かれた酷い言葉の数々。
これは俺がやったわけではない。クラスメイトの人間が、親から見聞した怒りや憎悪を転写したのだろう。
「ふざけないで! これやったの誰!?」
ただ今までと異なるのは、悪意の矛先が七瀬美香だということ。
しっかし泣かないか。流石の胆力だ。
「だって、ナナセフーズは悪い会社だし……」
「ぼくのお父さん、そこで酷い目にあってたもん!」
「っ……!」
いま世間では、もはや火消しが不可能なほどナナセフーズの不祥事が出回っていた。
過労死が出るほどのブラック労働。食品偽装。パワハラ。脱税。挙げ句の果てには異物混入の揉み消し。
他にも叩けば幾らでも埃が出る。県内の食を支える程度の規模しかないが、マスコミにとっては格好の叩き台が完成したわけだ。
「アンタがやったの!?」
「ひっ、違ぅ……!」
「ならアンタ!?」
「先にやったそっちが悪いんだろ!」
手当たり次第に八つ当たりし続け、そして。
「アンタのせいでしょ!?」
「証拠はあるの?」
当然バラしたのは俺だ。地元の新聞だと揉み消される可能性が高いから、隅々まで調べ上げたスキャンダルを、県有数のマスコミにリークしてやった。
「やっぱりアンタなんだ! 最近、ウチの従業員を嗅ぎ回っていた子がいるって聞いたし!」
「そりゃ将来、この町で働くってなったらナナセフーズだろうし。社会見学しただけだよ」
「嘘!」
「嘘って証拠もない」
だって新聞社だけじゃなく、町の役所のパソコン経由で匿名の掲示板にもばら撒いてやったんだから。
いまはインターネットの黎明期、世間は『炎上』という物への耐性もない。
もしマスコミが取り扱わなかったとしても、面白がった暇人どもがナナセフーズに電話や直接で突撃するってわけだ。
「ただ、これじゃあ働くのも無理かもね。大人になる頃には、もう会社が無くなってるかもしれないし」
「えっ、それってどういう」
「わからないのか? 潰れる、ってことだよ」
これでも地元で根を張り続けた企業なんだ。そのノウハウや土地、工場などは、全国大手の食品会社も欲しいだろう。
だからそこにも
ここまでの準備は骨が折れたし、それだけの価値はあったと言えるだろうな。
「どうすんの……ウチで働いてる人たち、いっぱい」
「それは大丈夫だろ。もっと大きい会社が来て、そこで雇ってくれるって」
そのためにもリークしたんだしな。復讐対象じゃない人たちの後先は考えてある。
「従業員は労働力として役に立つだろうな。ただ腐ったトップが路頭に迷うだけ」
代々受け継いできたせいで善悪の区別もつかなくなった、上級国民が都落ちするだけだ。
「そんなっ……どうしよう、どうすればいいのよ!」
「考えてもわかんないのか?」
「パパの会社が潰れたら……ワタシ、どうすればいいのよ!?」
「なんで潰れるかもわからないのか?」
「聞かないでよ、教えなさいよ!!」
おーおー、テストは満点なのに道徳の成績は零点だな。
「なら教えてやるよ。土下座しろ」
「へっ?」
奴が泣きべそをかきそうになりながら聞き返す。
「詫びろ、ってことだよ。俺じゃない、花宮莉世、そしてこの教室の
言い放ち切った。今までの怨みを込めて、噛まずに。
今まで土下座の要求なんて数えきれないほどされてきたんだ。
一回テメェらの言う下民に頭を下げるくらい、どうってことないだろ。
「……イヤぁ」
嫌、と言ったか?
テメェは俺が下げた頭を、上履きやヒールで踏みつけてきやがっただろう。
「ど、げ、ざ」
一、一、二、三、五、8。
あえて小学三年生でも理解できるよう、一音一音ハッキリと告げてやる。
「はい、土、下、座。はい、土、下、座」
手拍子を加え、リズムを刻み、言葉を大きくしてクラスメイトを煽る。
ナナセフーズへの怨恨を抱えた被害者。関係もない、憂さを孕んだ傍観者。
それらが混じり、爆発し、膝をつき震える悪魔女への糾弾へと変わってゆく。
「土、下、座!」
「土、下、座!!」
「土、下、座!!!」
生きてる。俺は、最高に生きている。
民草を食らう魔女を裁くときが来た。
ついに民衆を率いて、悪辣な女王へ革命を起こすときが来た!!
「ひっ、ゔぇえ、ゔっ、ひゅっ」
「土下座、土下座! 土下座!!」
泣いて逃げるなんて許さない。
謝れ。地の底を
俺はお前とは違う。今までしでかしたこと、全部、それで流してやる!!
「土下座ッ!! 土下」
「なにやってるの!!」
「君、こっち来なさい!!」
「離せ! コイツに償わせるんだ!!」
結局大人たちに邪魔され、俺は数時間にも及ぶ説教を受けてしまった。
「美香ちゃんに謝りなさい」
「俺は何も悪くない、悪いことをしたアイツに事実を突きつけていただけですよ!」
「悪くないわけないでしょ! あんなに追い詰めて、可哀想だと思わないの!?」
「じゃあ俺が今までやられてきたことは!? 莉世を突き落としたことは!? それをアッチが謝らないなら、俺も謝らない。これだけは絶対に譲歩しません!!」
茶番だろこんなの。表面上丸く収めるために、謝らせるまで、そして許すまで付き合わせる茶番だ。
それに真っ向から反対したのだ。俺は先生どもから扱い辛い生徒として目をつけられた。
(それでもいい。ここで折れたら、未練が何倍にもなって返ってくるだけだから)
七瀬美香のプライドを完膚なきまでに叩き潰したおかげか、翌日から奴は学校に来なくなった。
それだけではない。ナナセフーズの価値は暴落し、俺がリークした大手食品会社に二束三文で買い叩かれたらしい。
「莉世。復讐……果たしたよ」
だが、それでも彼女は目を覚まさない。
中学に上がるまでの俺に残ったのは、透き通ったキャンバスに一滴垂らされた、黒いインクのような感情だった。
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