第二話 キツモン

 母が消えた翌日には、俺の家庭の噂は広まっていた。


「……」


 机には、いつもに増して罵詈雑言が書かれている。

 気にせずチョークの字を払いのけると、クスクスと女たちが遠くから笑い、「床を汚した」という大義名分を得た糞男ゴロツキ共が暴力を振るいにやってくる。


「オラッ、制裁だ!」


「うわお前、カチナシ菌感染うつったんじゃねーの!?」


「きったねー! テメェのせいだろう、がッ!」


(コイツら人の心とか無いのか?)


 もはや殴られる、蹴られることには何も感じない。

 俺は命じられるまま床を舐めながら、奴らの非道徳的行為に呆れ果てていた。


「うっわ、キッモー!」


「ヨダレ垂らしてんじゃねーよッ!」


 舐めろと命じといて頭を踏みつけんのか。よくもまあ、母親の消えた同年代の弱者に対してここまで残酷なことができるものだ。感心すら覚える。

 モブ共はどうだっていい、もう慣れた。どうせ流されるまま他人の人生を喰らいあって、やがて肉の残っていた者同士で幸せな家庭を築くのだろう。

 問題はコイツらを扇動しているアバズレだ。


「どうしてこんなことしたの」


「だって、アイツらがぼくに」


「証拠はあるの!?」


 こうして教室の長から公開処刑を受けている様を目にして愉悦の表情を浮かべる悪女。

 コイツが地域を牛耳るほどの力を持っているのがいけないのだ。


(アイツには必ず復讐する。クソほど恥ずかしい想いをさせて地位を陥落させりゃあ、モブ共も俺と友達になるはずだしな)


 結局学校ってのは、立場が上の者に従うよう教え込む場だからな。


「お前、この本に出てくるゴブリンじゃん!」


「悪い鬼は倒さなきゃ、なッ!」


 だから立ち位置を逆転させる。その方法を考えなければ。


「ねーカチナシのせいで明太子食べられなくなったんだけどー」


「責任とってくんない? とりあえず、謝ってよ?」


 そのためには奴のことを知る必要がある。一番いいのは一対一で対話することだが……。


「ほんっと弱えな、貧乏だし!」


「前世は虫だったんじゃねーの? ほら殺虫剤、殺虫剤!!」


 この齢一桁でここまでの残虐性を見せてるクソ共は、本当に道徳の授業を受けているのか?


〜〜〜〜〜〜


 耐えて耐えて、耐え続けること二年。

 小学五年に上がり暫くした頃、ついに奴は隙を見せた。


「はぁ〜っ、最悪。ワタシ様の貴重な時間を奪うなよか、あの低賃金労働者がよぉ」


 よくもまあ、ここまでの酷い言葉を独り言でツラツラと言えるものだ。普段は学級委員長として教師には可愛い子ぶっているくせに。

 奴の親は権力を持っているため、クラス替えにも口出しできる。

 おかげで六年間、俺は奴と同じクラスにされてしまっていた。そして中学に上がっても同じだ。


「よぉ」


「……ッ、テメェ」


 居残り作業をさせられたせいで一人しか居ないと思っていたのか、ついに奴が動揺を見せた。

 入ってきた人間が俺だって分かったからか、即座に鍵をかけたドアへ目掛け強行突破を図ってくる。


「おっと」


 だから俺は錆びたカッターの刃先を向けた。

 いつも殴られ、蹴られてばかりの俺が抵抗手段を持っていることは想定外だったのだろう。後ろに下がって距離をとる。


「はっ、そんなもん振りかざして。正気?」


「イジメをしている奴のが正気じゃねえだろ」


「てか、なにカッコつけてんの? お前本当にカチナシ?」


「さぁな。殴られすぎて、頭がバカになったのかもな?」


 人生周回しているのがバレて実験施設や精神病院送りとかはシャレにならないため、普段は年相応の弱い人間を装っている。

 だけど今は、三周分積み重ねた憎悪が抑えきれない。


「で、ワタシを殺す気? アンタ捕まるよ、一生刑務所で底辺生活だよ?」


「クールになれよ。俺はただ対話をしたいだけだ」


 でも抑えろ。動悸を聞かなければいけないんだ。

 殴ってはいけない。ここで殴れば、また父さんを困らせてしまう。


「下等生物と話す口は持ち合わせてないんですけど」


「ならカッターで切り付けるだけだ」


「この無敵の人が……」


 それを生み出したのは誰なんだろうな。


「俺はただ、知りたいんだよ。なんで俺を虐めるのかって理由が」


「証拠は?」


「ほら」


 俺は教師からコッソリとくすねてきた、カメラのデータを差し出す。

 担任も虐めが当たり前だと思って、その様子を写真で撮っていたのだ。

 しかも一年のときから。それも、七瀬美香本人が率先して暴力を振るいに行っている様を。


「は、イカれてんの?」


「イカれてるよな。教育委員会が本当に機能しているのか疑うよ」


 これを学年だよりに載せようとし、他の教師から止められているのを知ったときは流石に正気を疑ったぞ。

 だが、コンビニバイトの経験が本当に活きている。こういう奴は、物的証拠が無ければシラを切るからな。


「答えろよ。俺、なんか悪いことしたか?」


「……」


 とうとう言い逃れが出来なくなった奴は、少し黙り込んでから重い口を開き。


「……生理的に無理だから」


 放たれたのは、天から何物も与えられた者の、惨たらしい傲慢な感情だった。

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