第五話 ワタシノ

 そんな地獄の日々を過ごすこと、一年と三ヶ月。

 俺のような日陰者には辛い、日差しの強い日のことだった。


「こんな可愛い友達がついているのが日陰者だって?」


「なんで俺の心が読めるんだよ」


「目は嘘をつかないからね。無表情気取ってるの、逆にカッコ悪いよ」


「うげぇ」


 もはやこの人には勝てないと確信した頃、担任から俺の番号が呼ばれた。


「やっと夏休みだね」


「夏くらい思いっきり休まない?」


「何を言ってるの。特訓に特訓を重ねるに決まってるでしょ」


「俺の思い出は血と汗で塗りたくられることが確定しましたとさ」


「え、私とビーチで走ったあの思い出は……?」


「俺を鬼のように走らせたの間違いでしょうが」


 俺はため息をつきながらテストを貰いに行く。そして、目に入った点数を見て驚いた。


「へ、平均で七十点……」


「やるじゃん」


「こんな点数とったの初めてだよ!」


「音無君はずっと頑張ってたもの。これぐらい当たり前だよ」


「花宮さんのおかげだよ。ありがとう」


 俺は素直に感謝を伝えた。すると彼女らしくもなく、少し顔を赤らめ。


「そ、それほどでも……あるかな」


 と呟いていた。


「え、照れちゃってます?」


「うるさいよ。名前呼ばれたし行ってくる」


 そう花宮さんは逃げるようにその場から立ち去る。自分の席に座った俺は、少し隠れてガッツポーズを作っていた。


「まあ、良い点取れたんだからいいじゃん。はいおしまい、おしまい」


「だから花宮さんの……」


 俺は目を疑った。チラッと見えた花宮さんの点数は、殆ど赤点ギリギリだった。

 いや、赤点のものもある。全部は見えていないが、三周目では今まで満点に近かった教科もあったはずだ。


「……花宮さん。やっぱり」


「言わないで」


 花宮さんは俯きながら呟く。


「私は、もういいんだ」


「っ……!」


 やっぱりそうなんだ。偶然ではなかった。

 今日は七月十四日だ。そして、花宮さんが事故に遭うのは一週間後の二十一日。

 そして俺が命を終えたのは、それから四年後、二○一八年の十二月二十九日だ。

 つまり。花宮さんは自分の終わりをわかっていて、俺は今それを知った。


「いいわけが、ない……ならどうして、花宮さんは俺を」


 俺の厚い唇に、細く白い彼女の人差し指が押し当てられる。

 指先から溢れる花の香り。それを嗅いだ瞬間に脳が痺れ、思わず息が詰まってしまあ。


「この周で出来ることは全部やった。十分、次に活かせるものはあったよ。でも」


「でも?」


「……いや、また会えるよ。大丈夫」


 その笑みは寂しそうにも、そして希望を見出しているようにも見えた。


「そろそろ就職活動、頑張りなよ。早いうちに決めておいたほうがいいしね」


「……うん」


「それでこそ、私の友達だ」


 ちょうど一週間後、花宮さんの訃報を受け。

 俺は決意を改め、その後の学生生活を良い企業への就職活動へと捧げた。


〜〜〜〜〜〜


「ただいま、父さん」


「おかえり。そうか、今日は卒業式だったか」


「うん……やっと、やっと見せられるよ」


 俺は丸めていた卒業証書を広げる。どうしよう、手が震えて仕方がない。

 本来、父さんは高校に上がる前に過労で亡くなっていた。だけど無理をさせまいと懸命に努力し、邁進し続け、ついに晴れ姿を見せることができたのだ。


「おめでとう」


「ありがとう……本当に、ここまで育ててくれて」


 そして生きていてくれて、と続けたかった。

 でも、そんな言葉は無粋だろう。家族の中で

こんな業を背負うのは俺だけで十分だ。


「この後は決まっているの」


「うん! 東京の会社に就職することになったから、しばらく家を離れることになるかな。大丈夫、仕送りはするから」


 正直、大きな会社とは言えない。まあ高校がボーダーフリーだし仕方ないが、それでもコンビニバイトが精々だった頃に比べたら大きな進歩と言えるだろう。


「じゃあ、もう親としての責任を感じなくていいんだね」


 そのまま俺は良い気分で、夕食の準備をしようとしていた。


「もちろん! これからは俺を頼ってよ、今まで苦労かけたぶん楽させたいか――ぅ!?」


 急に、背中から違和感が走る。

 同時に久方振りに全身の筋肉が硬直する感覚を覚え、そして違和感の方へ生気が流れ出て。


「だったら、これは子殺しじゃない。ただ『家に入ってきた他人』を、排除しただけだ」


「ぇ?」


 わけもわからないまま後ろへ首を回し、目に入ってしまった。

 包丁を俺の背中に突き刺す、父親の姿を。


「なん、で……」


 傷が深い。度重なる暴力で慣れて、痛みを感じないのが苦しいなんて思いもしなかった。

 男の手に力が入れば入るほど、俺の身体から力が抜けてゆく。


「生まれたときから大嫌いだった。私と妻の醜い部分の生き写しみたいな、お前が」


「ッ……!」


 嫌だ。そんな言葉、そんな感情、貴方からは聞きたく、な……


「お前は、私の恥晒しだ」


 ――晴らせなければ、貴様の存在は永久に消滅する。


「――」


〜〜〜〜〜〜


「おめでとうございます! 元気な男の子ですよ!」


(ぁあぁあああ、あぁああああ)


 絶望だった。あの両親から四度生まれてしまったために希死念慮すら覚えていた。

 ただ一時の快楽のため生んでしまったガキを育てない父親。

 そんなレッテルを貼られたくないという世間体だけで、俺を育てていたというのか?


「オギャアア、オギャアアアア!!!!」


 俺はひたすらに泣いた。

 この地獄に生まれ直してしまったことを、心の底から嘆くように。

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