第三話 ラクエン

 俺たちは小さな身体で、何処までも、何処までも駆けていた。

 死体の隠蔽をしなかったのはマズかっただろうか。

 ひだまり園の職員さんに迷惑をかけてしまうな。


「腕、動くようになった?」


「数時間で、治るわけ、ないでしょ」


 使い物にならなくなった両腕をブランブランと下げながら、俺は故郷を背に息を切らし続ける。

 だが、そんな俺とは裏腹に、莉世の顔は晴天のように晴れやかだ。


「あ〜〜っ、スッキリした!」


「えぇ……俺、莉世の親を」


「あんなの親じゃないよ。いまの祐希よりも小っさいし」


 かなり大柄だった気がするが、確かに器は小さかった。

 だが、俺は壊してしまったのだ。腕が戻ったら、震えが止まらないのではないか。


「それよりさ、あのトラックにさ。荷台、乗り込もうよ」


「え、ブルーシートかかってるやつ?」


「うん」


「いやいや、流石にマズいんじゃ」


「人殺しよりはマシだよ。それより逃げよ、どこか私たちも知らない、私たちを知らないところに」


 引かれるままブルーシートの中に潜り込むと、様々な長さの角材が積まれていた。

 まだ成長していない小さな身体で荷台にスルリと潜り込んだ直後、ヒモでキツくシート越しに縛られてしまい。


「痛でででぇ!?」


「腕、支えと、くねっ」


 揺られるたびに角が当たり、とくに腕があらぬ方向へと曲がり続けてしまった。


「でも、見られなかったね」


糞父アイツ、たまに廃品回収とかやってたから。だいたい積み終わったもの確認しないんだよね」


「へ、へぇ。でも酒代には」


「元あったものを金に換えて」


「あぁっ、もういいや!」


 これ以上は聞かないほうがいいだろう。

 俺が言うのもアレだが、花宮家は複雑すぎる。


「あの男が莉世の未練?」


「それもある。私がこうなった原因を作ったからね」


「他にもあるんでしょ」


「まあね」


「言っとくけど、もう隠し事は無しだからな」


「でも、場所は選ばせてほしいな」


 確かに、これ以上こんな狭い所に居ると身体がアザだらけになってしまうだろう。

 人気のない信号で止まった隙に脱出し、まんまと近くにあった雑木林へと逃げ込んだ。


〜〜〜〜〜〜


 それからは、公園や河川敷、洞窟などを転々としながら、アテのない旅を続けていた。


「食べ物、採ってきたよ」


 幼児の体力ではどうしようもないかと心配していたが、普段から鍛えていたり数周積み重ねた人生が感覚をバグらせていたおかげか、存外生き存えられたが。


「え、ジャガイモ……これって泥棒」


「お野菜さんはね、勝手に生えてくるんだよ」


「それを盗って独り占めするのは下衆ゲスのやる事だろ」


 もともと脳味噌の代わりに餡子が詰まっているようなオツムが、長い放浪生活で更にバグってしまったようだ。


「ただ腕も治ってきた。新陳代謝って凄いな……」


「ここまでの怪我、流石にした事なかった?」


「まあね。久々にマジで痛かったし」


「だろうね」


 震えは止まらないが握れるようになった手を見せると、莉世は俯き、呟く。


「……ありがとう。そして、ごめん」


「気にしてないよ。アイツ最悪だったし」


「強がり」


「そこはカッコつけさせてくれよ……」


「今さらでしょ」


 クスクスと笑みを浮かべた彼女が、次に見せたのは。


「海、だね」


「すっごいな、初めて見た」


 世界の果てを思わせるような、一面に広がるエメラルドの世界だった。

 漂着物や石が点在する砂浜には誰も居なかった。地元から逃げて丁度一週間くらいだ、平日だからというのもあるのだろう。


「泳ぐ……のは苦手だから、浜辺、歩かない?」


「俺も。なんというか、いつまでも、ここに居たいし」


 興奮を隠しきれない俺たちは、ボロボロの服と靴で浜辺を走り出した。

 石を踏んで足を取られたり、波に攫われそうになったり。

 何度も繰り返して飽々するような人生だったが、いま、この瞬間は、あらゆることが新鮮で仕方なかった。


「ほんと、すごいとこまで来たね。誰も居ないし」


「過ごしやすいよね。人目を気にしなくていいし」


「まるでアダムとイブみたいだね。私たち、罪を犯して楽園を追放されたみたい」


「……よっと」


 らしくもないことを口にした彼女へ、ピリリと刺激のある海水を浴びせてやる。


「っ……服、替えないのに」


「俺たち以外居ないんだし。何したっていいだろ」


「泥棒とか無賃乗車とか色々言ってきたの、誰だったっけ」


「それはそれ。これはこれ!」


「ほんと、変わったよね!」


 疲れ果てたはずなのに、ひたすら無邪気に水を掛け合っていた。

 だが限界は来るもので、二人して浜干のように大の字となってしまう。


「俺たち、小学生だよな? それも一年生」


「今さらでしょ。何周目だと思ってるの」


「だよなぁ」


 実年齢で言うと、俺たち老後を迎えているはずだし。

 でも、この世界で分からないことばかりだ。海に来て、どれだけ自分が、学校が、そして故郷がちっぽけだったかと思わされた。


「この波の先って、どうなってるんだろうな」


「考えたこと無かったね。内陸の世界しか知らなかったし」


「人生、何周しても知らないことばっかだよな」


 だからこそ抱いた疑問がある。


「俺たちって、本当に八周をループし続けているのかな」


「……」


「俺の知らない『前の俺』も、『その前の俺』も居るとしてさ。この果てしなく続く世界を、本当に知っていたのかな」


 八周を繰り返していたとしても、全ての展開が同じだとはどうしても思えなかったのだ。


「莉世と七瀬は居るかもだけど、他にも無限ループに入ってくる人も、出てく人も居たかもしれない。だとするとさ」


「私たちも出れるかも、って言いたいの?」


「うん。繰り返した過去は確定しているかもしれないけど、未来は誰にも分からないだろ?」


 それこそ、前に言っていたバタフライエフェクトってやつだ。

 ちょっとした行動の積み重ねが、衝撃的な展開を引き寄せるかもしれない。


「……祐希だよ」


「何が?」


 タイミングが突然すぎた。

 いや、これこそ彼女の選んだ『場所』なのかもしれない。


「私の、本当の未練は。『祐希が幸せになる』ことだから」


 だが彼女の中心が俺だったと聞かされた瞬間、俺は戸惑いを隠せなくなってしまった。

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