第八話 フクシュウ
カビの臭いが立ち込める牢獄に俺たちを監禁した犯人は、ずっと続いてきた虐めの首謀者だった。
いや、奴の気性からすれば理解はできる。だが、こんな牢獄を用意しただって? しかも裏の人間まで雇って、いったい何を考えているのか。
「何その目つき。相変わらずムカつくんですけど」
さっそく金色の玉座にて黒いハイソックスで包んだ脚を組みながら、こちらを見下してくる。
「何だよここ。頭おかしいんじゃねえのか!?」
「おい、そのイカれた連中に身分を教えてやれ」
「へい」
「っ!?」
取り巻きが両手に抱えていたものは、巨大な鉛色のペンチ。
突然ソレに視界が覆われた次の瞬間、鼻の奥から目や口に掛けて血が逆流した。
「ぁぼぁああああっ!?」
「大人しく、この方の言うことを聞いといたほうがいいぜ?」
「また虐められたくないだろ? カチナシくん」
(後ろポケットのスタンガン……これで気絶させられていたのか!)
「なにガン飛ばしてんだ、
「ぶぅう!?」
「テメェも何まだ寝てんだ、オラァ!」
「っい!?」
もう一人の振るうムチが花宮さんの白い肌を切り裂く。
なんて事をする。そう叫びたいが、喉に血が詰まって嗚咽しか出なかった。
「そうそう、アンタら二人とも、これからここで生活してもらうから」
「ぁ……?」
俺たちの不満が重なる。
「だからぁ……アンタらは一生、ここで過ごす。ワタシを怒らせた罰として」
何を言っている。怒らせるようなことをしてきたのは、そっちだろうが。
「もっと単純な理由。ムカつくから」
「……意味がわかんないんだけど」
「だーかーらぁ。気に入らないんだよ。アンタらがさあ、アタシの思い通りに動かないのが、さぁ!!」
花宮さんの問いへの罰と言わんばかりに、ヒールの踵で、奴は俺の足を思い切り踏みつける。
ダメだ、強すぎる。骨が砕けやがった。
「が、ぁああああっ!!」
「祐希っ!!」
「アハハハハハ!! それそれ、その声が聞きたかった!!」
激痛と屈辱のあまり声が漏れる。そんな俺を見て、奴は腹を抱えて笑っている。
「ねえねえ、痛い? ねえ、どんな気持ち? ねえねえ」
グリグリとドリルのように抉られる。やばい、皮の中が見えてきやがった。
「さぁて、どんな目に遭うかわかったよねぇ?」
「……狂っているよ、貴女」
「やべろ!!」
わざとらしく響き渡った靴の音を、俺は必死に遮る。
「なんで?」
「やるなら、俺にやれ……花宮さん、には、手を出さないでくれ」
「へえ。そこまで言うんだ。じゃあさ」
七瀬美香がそのまま俺の髪を掴んで壁に顔を叩きつけてきた。
「っ……!」
「土下座して頼めよ。人に頼むときには態度ってものがあるだろ?」
無理だ。俺の身体は壁に磔なのだ。でも冗談を言っているようには全く見えない。
「ほら、早く」
「……」
「あ、気絶しやがった。殺すのもアレだし、対策でも考えとかないと」
〜〜〜〜〜〜
それからは地獄そのものだった。
ミミズを耳から食わされた。
クソの溜まった便器に落とされた。
服の上から下ろし金で削られた。
煮えたぎった油を首からゆっくり浴びせられた。
「ほら、いつもの言えよ」
「いち……」
「……いち」
「に」
「さん」
「よんっ、ぁ」
「はい違ーう!!」
「ぶぅっ!?」
気絶したり、意識を逸らして逃げないよう、奴は俺から順に『フィボナッチ数列』を唱える事を義務付けた。
間違えると、こうして頭を鈍器で殴られる。
こればかりは本当にキツい。だが、何よりも。
「……ぅ、う」
「っ、花宮さん……」
何もできないまま目の前で花宮さんが痛ぶられることが、一番心にきた。
そして。
「……お願い、します……」
長きに渡り逃れられぬ苦痛を受け続けた俺の心は、ついに屈してしまった。
「聞こえないんだけどー?」
「おねがび、じまず! 花宮ざんに、手を、出さばいでぇ……!!」
折れて使い物にならないため錠を外された腕を額と共に地面につけ、意地もプライドも捨てて目の前の仇敵に懇願した。
涙が止まらなかった。こんな悪魔に、頭を下げて懇願しなければいけない事実に腹が立って仕方ない。
「……まあいいか。いいよ、許してあげる」
「
もはやプライドのかけらも無くなった顔を上げる。
「うん。だって、こっちの方が面白いもん」
だが七瀬美香が取った行動は。
「もういいよ。犯しても」
「……ぇ?」
「アタシは手を出さないよ。けどコイツにも褒美ってのが必要だしさ?」
「お、おまえ」
「やっとですかお嬢!? こんな上物、食いたくてたまりませんでしたよぉ!」
そんな、嘘だ。いや、考えられた。でも考えたくなかった。
だって奴ら、最初から、花宮さんの顔は傷をつけようとしなかったから……!
「好きにしていいけど絶対に殺すなよ」
ずっと見たこともなかった、俺にも見せることがなかった、彼女の生まれたままの姿が露わになってしまう。
「やめて……まだ、祐希には見せたくない!」
「おっ、初めてか? ならオレのを忘れなくさせてやるよ」
「っ、ぁ、あ」
目の前が白と黒に染まった。頭が沸騰するような感覚に襲われるも、心は氷のように冷え切っている。
「ぁあああ、ぁあぁ! ぁあぁああ!!」
怒りに我を忘れた俺は、絶叫しながら千世ちゃんを助けようとした。
だが響き渡るのは無情にも、ガシャガシャという鎖の音だけ。
そして返ってくる、お預けを食らい怒り心頭な男の、重くゴツゴツとした拳だけ。
〜〜〜〜〜〜
「ゅ、うき……ぅ、き……」
彼女が俺の名前を呼んでいる。
「はちじゅうく、ひゃくよんじゅうよん……」
呪詛のようにフィボナッチ数列を唱えることしかできない。
「……」
ずっと共に時間を過ごしてきた少女は、もう動かなくなっていた。
彼女が俺に死に際を見せたくない理由がわかった。もう、俺は未来に希望を抱けない。
「どう? アタシに逆らうとこうなるんだよ? ねえ? ねえねえ!?」
奴が何かを言っている。
「……してくれ」
「あ?」
「殺、して、くらさい……」
こいつには逆らえない。未練は果たせない。
俺は何もできない。ならもう……消えたい。
「アハハ!! そうだよねえ!! 死にたいよねえ!!」
俺の言葉を聞いた途端、悪魔が狂喜乱舞する。
やっとその言葉が聞けた、と叫んでいる。
「あぁ……あと、『十秒』で、ワタシは」
もう時間なんてどうでもよかった。俺、いま何歳だっけ。あとどれくらいで死ねるんだっけ。
「生きてる。最ッ高に、ワタシは生きてる! やった、生きてる!!」
狂気をぶつけて生を実感する狂人が、歓喜で身震いしている。
「ああ……やった、やっぱりこれでよかったんだ」
悪魔は、光悦とした表情で天を仰ぐ。そして俺の首を掴んで持ち上げると、そのまま絞め始めた。
「っ……」
「アハ、ハハハハ」
狂ったように笑っている。もはや、理解しようとも思わない。
「ハハハハハハ!!」
俺はただ無抵抗を貫くだけだ。
このまま殺してくれるのなら、これ以上の幸福はない。
「ハハ、は、は……」
これで終わる。次の人生では上手くやろう。コイツにだけは逆らわないようにしよう。
だって俺の意識は……
「……っ?」
絞められる感覚が消えた?
七瀬美香は……泣いているのか?
「……めん、なさい」
奴が力を緩め、床にへたり込んだ。
そして俺の首から手を離すと、震えながら自分の肩を抱いた。
「ぇ?」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……こうするしかなかった、じゃないと、ワタシは、ワタシは」
彼女は戯言のようなものを呟いていた。
今さら何を言っているのか分からない。この期に及んで神への懺悔か?
「ワタシのことは許さなくてもいい……一生、今までやってきたことは許さなくてもいい。でも、今までのワタシだけにして……」
悪魔が涙を流している。
「……は?」
その姿を見て、俺の心に、再び煉獄へと続く火が灯る。
「なんで、莉世を殺した」
「それは……」
「お前は人を殺したんだ。身勝手な理由で、最悪な方法で、彼女の全てを奪った悪魔だ」
「……」
今まで、どれだけの悪行を積み重ねたと思っている。どれほど人の道を外れたか、そして人生を奪ってきたか、わかっているのか?
「それだけじゃない。お前に人生を奪われた人は他にもいる。小学校、いや、それ以前から、お前は!!」
ドス黒い液体が口から勢いよく出てくる。モノクロだった視界が紅く、そしてマグマのような怒りに染まってゆく。
「今さらお前の罪が赦されると思うなよ。必ず復讐してやる。何度生まれ変わっても、俺たちが受けた苦痛を、兆倍にして返してやる!!」
「……!」
七瀬美香が、雷に打たれたかのような驚愕の表情を浮かべた。そして、すぐさま手を俺の首にかけ、絞め直す。
「がぁ、はっ」
「ごめん、本当にごめん。最初から気付ければよかった、音無の苦しみを気付ければ、それだったら、どれだけ!!」
「っ、っ!」
苦しい。奴は俺を殺す気だ。
何がごめんだ。何に対して謝っているんだ。
なら何で俺を殺そうとする!
「もうワタシが人生を楽しむ資格が無いのはわかってる、だから責任を持って次に進めるから。警察にも自首して、一生刑務所で過ごすから!!」
「っ……」
「でも、でも……!」
でも、なんだ。なんで、莉世を殺した!!
「……一生の、お願い……」
幻聴が聞こえる。
――罪の清算に手段を選ぶな。
「どうか、次のワタシのことは」
覚えてろ。俺はお前を。
「許してあげて……」
絶対に許さない……!
〜〜〜〜〜〜
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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明日からは五周目がスタートします。
果たして音無は、七瀬に復讐できるのか。
お楽しみに!
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