五周目

第一話 ホンノウ

 物心がつく歳になった俺は、早々に親から捨てられるよう動いた。

 おかげで小学校に上がるまでに、ひだまり園へと入ることができ。


「一、一、二、三、五、八……」


 いまはトレーニングに励み、七瀬美香と対峙するための準備を進めていた。


「一、一、二、三、五、八……」


 前世で必死に勉強したおかげで、読み書き計算の時間は非常に退屈なものとなった。

 むしろ狂いそうだ。まるで巣の近くに集まるアリを一匹ずつ踏みつけるかのように、不毛で、そして虚しい時間を過ごす。


「一、一、二、三、五、八……」


 当たり前だが、身体は周回するごとにリセットされる。どれだけ鍛えようとも、仮に喧嘩で最強となれる力をつけようとも、赤ん坊に戻る頃には一からやり直しだ。

 でも、いま出来る最善の手段はコレだ。体力を鍛えて、動けるようになって、それから成すべきことがある。


「一、一、二、三、五、八……」


 何度もフィボナッチ数列を唱える。数字一つにつき、一周目の未練を噛み締めるようにして。

 そうすると、前世で七瀬美香から受けた鬼畜の所業が鮮明に呼び起こされる。

 屈辱を忘れてはならない。今度こそ復讐するために。そして。


「この周では、さっさと入ったんだね。音無君」


 先ほど流れ着いたばかりの、花宮さんを守るために。


「……七瀬美香をたおす。莉世りぜの純潔を奪い、いたぶり、絶望に突き落とした奴の惨たらしい死に様を見届けてやる」


「苗字で呼ばないんだね」


「嫌だろ。捨てるような親と一緒のものを持つの」


「……変わったね」


 お互い様だろ、なんて口が裂けても言えない。

 弱いままだと奪われる。奴に勝つためには、如何なる手も考えなければならない。


「莉世が言った通りだよ。好きに生きて何が悪いって」


「言ったね」


「俺は好きに生きたい。好きな人を幸せにしたい。でも、嫌な人たちが立ち塞がってくる。ならば倒すしかない、無視しようとも邪魔してくるならば」


 俺は職員に頼み、手洗い場へと足を向ける。


「押し通してでも、進み続ける。その決意を示したい」


「……うん」


 鏡の前に座すと、お兄さんがカミソリを手にする。

 そして俺のボサボサとした髪を、全て剥ぎ取るように削ぎ落としてゆく。


「一、一、二、三、五、八」


 八までで良い。俺の未練は六つだ。一つひとつ噛み締めるようにして数える。

 そして八の数字は、無限を意味する。グルグルと周り、出口のない永遠の字。

 これを進めて十三、忌み数とするにはまだ早い。


「一、一、二、三、五、八」


 唱えるハチノジは、この周回を脱して俺の人生を進めるための呪文だ。

 決意を、屈辱を、そして恋情を忘れないための。


「そのブツブツ言うの、やめた方がいいよ」


 大人はそう言う。俺だってやめたい。


「……無限からは、抜け出さないとね」


 だが、彼女にだけは伝わってほしかった。そして、その願いが叶った。


「俺は今度こそ莉世に誇れる男になる。共に周回から抜け出して幸せになる、これが俺の最終目標だから」


 頭を丸めてからハチノジを唱えると、鈍器の痛みがぶり返す。

 それでいい。彼女を守れなかった辛苦を忘れないためには温すぎるくらいだ。


「たまに俺のことを『祐希ゆうき』って、下の名前で呼んでくれたでしょ」


「うん。音無君のほうが」


「たまらなく嬉しかった」


「……っ!」


 いつも澄ました顔の彼女が、珍しく肩を振るわせる。

 そして人形のようにスベスベな頬を赤く染め、小さく縮こまっていた。


「だからこそ決心が出来なかった。そのせいでスタンガンで気絶させられて、地獄を見た。全部、俺のせいだ」


「……もう、意気地なしな君はいないんだね」


「後悔している暇なんてない。悔しいけど、アイツは強いから」


 取れる手段は多いほうがいい。

 だが情報も、人脈も、何もかもが足りない。ならば積み上げられるよう、基盤を整えなければならないのだ。


「必ず未練を晴らす手伝いをする。だから、俺のこと」


 その言葉を聞くだけで、苦難へ立ち向かっていけた。

 そんな心が熱くなる言葉を、ずっと耳にしたい。


「これからも『祐希』って呼んでほしい」


 勝利を渇望し、ようやく雄としての本能に目覚めたのだ。

 彼女を、花宮莉世を救うために。


「……こうして逞しくなったんだね。祐希は」


 誓う。何個もの一生を捧げても、彼女を必ず幸せにすると。

 そのためには、俺がカッコよくならなければ。

 自分の人生を前に進めるため、最大の障害を除かなければ。

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