第二話 レンジョウ

 花宮莉世は、親に売られてアイドルになった。

 その確固たる事実が無ければ意味がない。それに、より深い所まで奴らのことを調べ上げなければならなかったのだ。


「その事務所、ほかの子供たちにも酷いことをして金を稼いでいるっぽい。しかもジュニアアイドル専門だから救えない」


「警察は?」


「十人くらいで規模も大きくないし、旨みがないんでしょ。それか被害者が泣き寝入りしてるか、弱みを握られてるか」


「でも証拠は掴んだんだろ?」


「ビデオ撮られた子と『友達』になったからね。これから警察に行くけど、所属してる子が人質に取られない日じゃないと」


 そうは言っているが、彼女の裏ビデオが撮られる前に決めなければならない。

 つまり遅すぎてもいけないし、早すぎてもいけない。小四の夏休みは、絵日記に困らないだろうな。


(俺の任務は事務所の張り込みだ。中に子供がおらず、チンピラがたむろしているタイミングを掴むこと)


 所属している子供のスケジュールは掴んだ。もともと裏ビデオとレッスン代で儲ける目的のため、もともと仕事は地域活動レベルでしか取る気がない。

 つまり殆どが名ばかりのレッスンだ。そして今日は、ちょうど全員が休みの日となる。


(あとは連中の社長ボスが中にいることを確認して、七瀬に電話するだけだ)


 既に事務所の前には、もしものために紙袋を仕掛けてある。向きも完璧だ。

 こんな日に限ってブラインドがかかっており、中の様子が見えない。

 もう少し近付かなければ。そして、出入りする人の数も……。


「おい」


「っ!?」


 バレた? そんなわけがない、まだ目的のボロいビルからは距離がある。


「な、何でしょうか……」


「クソガキ、ウチに何か用か?」


「え、なに言って」


「前から事務所覗きやがって。見せ物じゃねえんだぞ、あぁ?」


 バレてる。しかも金髪に鼻ピアス、明らかにカタギじゃない。

 何とか誤魔化そうとするが無駄だった。すぐに胸ぐらを掴まれ、頬に衝撃が走る。


(すぐ子供に手をあげるとか、マジか)


「おら、もう一発欲しいか。あぁ!?」


 暴力で人生なんとかなってきたのだろう。なぜこんなことをしているのか知りたいのだろうが、こっちは話す気なんてない。

 すぐにもう一撃が飛んでくる。本当に、俺の人生は殴られてばっかりだ。

 それに任務も失敗。七瀬には何て弁明しようか……。


「いや、離して!!」


「暴れんな、周りの奴に見られたらどうすんだ!!」


 何度も鼓膜を揺らしてきた少女の声が街中に響いた。

 ガラの悪い男二人に捕えられている、とても清楚で可愛らしい黒髪の子供が。

 

(莉、世……?)


 違う。もう俺の知る莉世は居ない。彼女は、これからチンピラにあられもない姿を撮られてしまう哀れな少女だ。

 いや待て、今日は子供たちのスケジュールが無い日じゃなかったのか?


「その眼、あぁそうかよ。お前アイツのことが好きなんか!」


 とんだ勘違いをした馬鹿がゲラゲラと下品に笑っている。

 そのテンションで俺のことを地面に捨てやがった。どんな教育をしているんだ。


「お前にゃ、無理だよ」


 そんなことはわかっている。俺は前世で、莉世から頼まれたんだ。


『もう私を愛さないでほしい。貴方を殺した酷い女に、もう……関わらないで欲しい』


 だから関わらない。愛さない。

 ここで俺が助けたら、また同じ八周を繰り返すことにる。


「……一、一、二、三、五……」


 だけど。

 ……だけど。


「8!」


 助ける選択肢を取ってなかったら、俺はこの場に居るはずがない!!


「な、なんだあっ!?」


「事務所が爆発したぁ!!」


 大切にしまっておいたスイッチを押す。あらかじめ仕掛けておいた最終手段が轟音を鳴らした。

 そりゃクソ映画みたいに派手ではないけど、安い玄関ドアを突き破って内装がボロボロになるだろうな。火力も検証済みだ。


「これでお前らはビデオを撮れない」


 撮影機器も、彼女を黙らせるための武器もどうなったんだろうな?


「っ、テメェこらブッ殺して」


「何やってんだお前ら!!」


 まるでタコ焼きのようにヒートアップした金髪が拳銃を取り出そうとしたが、すんでの所で警察の方が飛び込み、その太い両腕を拘束した。

 すぐに応援部隊もゾロゾロと駆けつけた。花宮莉世も、何が何だかよくわかっていないだろう。

 当然チンピラ達が逮捕される中、俺もお巡りさんに捕まり説教を受けるハメになってしまった。


「君か? あんな爆発騒ぎを起こしたのは」


「……そうでもしなきゃ、裏ビデオが流れてしまう。俺の力じゃ、こうすることでしか」


「事務所前でボヤ騒ぎを起こすことが、かい?」


「へ?」


 ボヤ騒ぎ? 嘘だろ、圧力釜にパチンコ玉を詰めて、それで花火火薬でバーンってしたはずでは……。


「君ねぇ……オモチャで良かったけど、火薬玉だけで何ができると思ったの。運動会のアレで人を殺せるって思っちゃった?」


「ん、ぇ?」


 やられた。七瀬のやつ、直前で音だけ出る殺傷能力のないヤツにすり替えやがったんだ。

 つまり警察に通報したのもアイツ、ということになるだろう。


(じゃあ俺が今日調査に出向いた意味は!?)


 結局、俺は警察の方にタップリとお説教を喰らってしまうのだった。


〜〜〜〜〜〜


「ちっくしょぉ……やられた……」


 俺を呪っている奴の掌の上で転がされた気分は酷いものだ。

 いまも、この様を指さしながらケラケラ笑っているのだと思うと更に腹が立ってくる。


「あ、あの」


「えっ……あー」


 お巡りさんや野次馬が撤収した後も、白いワンピースを纏った少女はその場に残っていた。

 改めて、本当に可憐な顔をしている。肌も高級なガラスのように綺麗で、俺とは比べ物にならないだろう。


「なんで、私なんかを助けてくれたんですか」


「……なんで、かぁ」


「見ず知らずの人を、しかも私を助けるなんて」


 あり得ない、そう言いたいんだろう。

 わかるよ。俺だって他の人に助けられたとき、そう思った瞬間が何度もあった。

 理由なんて要らない、なんて格好のいいことは言えない。それに無限にある理由を一から説明するのも可哀想だ。


「初恋の人に似ていたから、かな」


「……へんたい、じゃないですか」


「大丈夫。君は別人だし……もう、会えないだろうから」


 ああ……莉世の好きな人と同じ言葉を言っちまったな。

 彼女に未練が無いと言えば嘘になる。正直、こうして姿かたちが同じ彼女と話しているだけで涙が溢れそうだ。


「あっ、あの」


 なんだよ、そのキラキラとした目は。

 莉世は、そんな風に俺を見てくれなかったんだ。


「そのっ、お礼……といった大したことは、できないし、アレなんですけど」


 また、愛したくなっちゃうじゃないか。

 恋しちゃうじゃないか。

 彼女との約束があるのに。なのに……!


「私でよければ……あなたの彼女さんの、代わりに」


「もーっ! なに約束忘れて、こんな所歩いてるわけ!?」


 俺の葛藤を裂いたのは七瀬の声だった。

 猫を被った様子で奴は俺と彼女の間に入り込み、そして子猫のような少女を睨み付けている。


「えっ、え?」


「なにこの子。『今カノ』ほっぽり出して、浮気しようとしてたって?」


「は?」


 いつお前の彼氏になったよ俺は。

 花宮莉世も完全にショックを受けていたが、ハッとした瞬間に咳払いをして誤魔化そうとした。


「……やっぱ、無いです。顔がタイプじゃないですし」


「……」


 その言葉で。ようやく俺も決心ができた。


「そっか。ごめん七瀬、行こっか」


 莉世が愛したのが『俺』ではなく『音無祐希』だったように。

 彼女は『花宮莉世』であって、俺の愛した『莉世』ではないのだ。


「まだお礼をしたい気があるならさ。俺の独り言、聞いてくれないかな」


「くだらなかったら蹴り飛ばしますよ」


 辛辣だな。やっぱり、俺の知っている彼女ではないのだろう。


「この先、たくさん辛いことがあると思う。それはもう、今日までのことなんて非じゃないくらいの」


「そうなの?」


「その時のためにさ。他人を想ってくれる人たちを大切にして欲しい。それと……自分に対しては一番優しくしてやってほしい」


 俺が出来るのは、これくらいしかないのだろう。

 彼女を幸せにしてくれる人は、きっと他にも沢山居る。

 コンセプトカフェが成立するほど、猫を可愛いと思う人がごまんといるように。


「少なくとも、貴方じゃなさそうですね」


 その言葉で、俺も莉世も救われた気がするよ。


「……さよなら。どうか、元気で」


 沈みゆく夏の夕日は、今までで一番暗く、そして綺麗に見えた。


〜〜〜〜〜〜


「失恋、だなぁ」


「ずいぶん平気そうじゃん」


「俺が結婚した『花宮莉世』は、もう居ないから」


「あっそ」


 帰り道。俺たちは顔も合わせない。

 だけど互いに表情がわかるのは、きっと長いこと軽口を言い合ってきたからだろう。


「ありがとな」


 こんな言葉だって『七瀬美香』には言えない。

 彼女が『七瀬』だから言えたのだ。


「これからどうすんの」


「どうするってそりゃあ、サッパリ忘れて新しい生活を始めるしかないだろ。猫飼いたいし、彼女だって見つけなきゃだし」


「ふぅん?」


 俺の背に悪寒が走った。

 コイツが目を細めてアゴをしゃくり上げるような声をあげたら、大体ロクなことにならない。


「前に言ったよね。お前を一生呪ってやるって」


「それがお前の未練だしな」


「だから今世で晴らしたげる」


「っ、それって」


 小躍りするように先行した彼女の表情は、獲物を逃すまいと見つめる捕食者のように見えた。

 どうやら最後の人生は、ずっとコイツに縛られて生きなければならないらしい。


「やっぱ利息って怖いなぁ」


 最初に味わった概念の恐ろしさを、まさか最後の生でも思い知らされるだなんて思いもしなかった。

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