第七話 シンセツ

 牢の看守が再び姿を現したのは、数日後のことだった。


「反省したかい、美香」


 血色の良い男が皮肉げな笑みを貼り付けて檻の中を覗き込む。


「ぅ……ひぐっ」


 中には頭を抱えて惨めに縮こまった七瀬美香。そして、すっかり干物のように動かなくなってしまった俺と莉世だ。

 こうなるのも必然だろう。なにせ廃棄される部位を一人分、部下が正午にポイと投げるだけ。糞便の掃除もしないし、こんな状態で飢えないはずもなかった。


「ごめんなさい……ワタシが、悪かったです……」


「何が悪かったか言ってみなさい」


「勝手に学校から逃げたこと……自分の責務を放棄して家出したこと……そして、下民に少しでも気を許そうとしたこと、です……」


「そうだ」


 涙と共に絞り出すような声をあげ、彼女は父に赦しを乞うている。

 いまの俺たちには何も出来ない。ただ、かつて俺たちを貶めた相手の未来を願うことしかできなかった。


〜〜〜〜〜〜


 というのも、苦肉の策だがこのような手段を取らざるを得なかったのだ。


「まず、パパはワタシ以外とは口も効こうとしないはず」


「なんなら食事も一人分な可能性あるな」


「そうしたら、ほんとに餓死しちゃうね」


「これはワタシ様に寄越しなさい。アンタらは霞でも食ってればいい」


「うん、横取りされたいのかな?」


「まあ待て。実際、これが一番丸い」


「意外過ぎるね。祐希が七瀬美香の肩を持つなんて」


 俺だって癪だ。だが俺が腹の底に溜めた怒りを、七瀬美香が代弁する。


「ワタシはアレだけど、お前らはパパに生まれ変わりがバレていない可能性が高い。だから『言いつけ通り、下民を従える覚悟をした』という姿勢を見せる必要がある」


「……まあな。それに、この中で一番空腹に慣れていないのは七瀬だし」


「死なない程度におこぼれはあげるから、それで我慢しなよ」


 俺たちは頷きを返す。無駄死には以ての外だから。


「あと……もしものときの頼みがある」


 だからこそ、作戦が失敗したときの最終手段を付け足しておかなければ。


〜〜〜〜〜〜


「害虫は死んでいるようだね。流石は私の娘だ、我々が倒れては町の皆様に申し訳が立たないもの」


「……」


 気を失いかけているだけで、まだ命の灯火は消えていない。最も、いまにも何かを食べなければ死にそうだが。


「私たちは、この地域の胃袋を担っている。『あらゆる人の空腹を満たす』という初代から続く社訓を遂行するため、七瀬家は常に『上に立つ者』としての意識を持たなければならない」


「上に、立つ者……」


「雇用を守り、農家を守り、そして地域の皆様の家庭を、高品質低価格な食品で守るために、私たちが日々努力し続けなければならない」


 嘘だ。ならば、どうして従業員を低賃金で雇って飢えさせている。

 それに、その大量リストラは何だ。雇用も守っていないじゃないか。


「パパ……ワタシは、まずどうすれば良いでしょうか……」


「私の言う通り学び、私の言う通り励むといい。我々は害虫とは違うのだから」


「……はい」


「その生ゴミは捨てておけ」


 創一が黒スーツの男たちに、俺たちの処分を命じてきた。

 奴も酷いが、部下も部下だ。社長のお膝元だから胡座をかいていられるだけで、いざミスしてクビになったら今度は自分たちが害虫と蔑まれるというのに。


「さて、教育の続きだ」


 俺たちの役目は終わりだ。そろそろ意識もボヤけてきた。

 このまま運ばれ、捨てられ、野晒しにされて一生を終えるだろう。

 癪だが、アイツに託すしかない。この選民思想に染まり切った男の未練を、聞き出すことを。


〜〜〜〜〜〜


 渇き切った口の中に、水が流れ込んでくる。


「おい、まだ息があったろ。生きてるよな?」


 うぅ、と反応を返すと同時に、ゼリー状の栄養剤が食道に流し込まれる。


「よかった、食べられたな」


「えっ?」


 霞んだ視界が戻る。どうやらスーツの男二人が、どこかの個室に運び込んでくれたらしい。

 安心した様子を見せている。けど、何か裏があるんじゃないか?


「どうして、ぼくたちを、助けてくれたんですか……?」


「そりゃ、当たり前だろ」


「食品会社勤めなのに、こんな小さい子を飢えさせるなんてやってらんないからな」


 そう疑ってしまった自分が恥ずかしい。彼らは社長命令に背いてでも、善意で助けてくれたのだ。


「祐希……私、まだ生きてる」


「ああ。でも、これから」


「お家に帰りたいのか? なら、おじさん達が送って」


 それは御免こうむる、とくに莉世はダメだ。

 俺たちは、いま持てる全力で首を横に振る。


「……あー、反抗期か。まあそういう時期もあるわな」


「でも、これからどうするの? いつまでも、お兄さんたちが世話を見るってわけにはいかないからさ」


「……あのクソッタレな社長のところに行きます」


「右に同じです」


「おいおいやめてくれよ、なんのために助けたかわからなくなっちゃうだろ」


 確かにそうだ、申し訳ない。

 だけど、行かなければならないんだ。


「友達が危険なんです。たぶんあの社長は、自分の娘を娘とも思ってない」


 悪意のある目は何度も見てきた。あの男の奥にあったのは、俺の父と同じ、自分の子供を道具としか思わないような感情だ。

 少しでも思い通りにいかなくなったら、きっと奴は娘を処分するだろう。


「だからって、子供に何が出来るっていうんだ。相手は大人だぞ」


「祐希は、私の父親を殺してくれました。私を、自由にしてくれました」


「……マジで言ってる?」


 信じられないだろう。目の前に居るのが、六歳児の姿をした百年近く生きる殺人鬼だなんて。


「大マジです。信じられないかもしれませんが、俺たちは何度も同じ人生を歩んで、そして失敗し続けてきたんです」


「漫画の見過ぎだって。ボク、悪いことは言わないから、大人を揶揄うのはやめな?」


「でも、なーんか表情が子供っぽくないというか……なぁ」


 俺だって、ループをフィクションだと笑い飛ばせるような人生を送りたい。

 この周回が終わったら、普通に学校に行って、就職して、結婚するような人生を歩んでみたいのだ。


「待て、まだ体力が戻ってないだろ!」


「そんなことをしていたら七瀬美香が危ない。だから、すみませんが」


「助けてくださり、ありがとうございました。今度は、俺たちが友達を助ける番ですから」


 だからこそ行かねばならない。俺と莉世の幸福のために。

 俺が不幸にしてしまった人間を助けて、幸せとは何たるかを思い出すために。


「……こんなブラック企業、やめっかぁ」


「先輩、嫁さんに何て説明するんです?」


「っ!?」


 突然、身体が宙に浮く。

 小さな身体をヒョイと大人たちが抱え、そのまま黒塗りの車の後部座席へと投げ込んできた。


「これでも親なんでね。子供が悩んだり苦しんだりしているところ、見たく無いんだわ」


「君の言うことを信じるなら、きっと来世でのナナセフーズはマシになってるかもだしね」


 俺には意味がわからない。こんな親切を働いて、いったい何の得があるのか?


「多分もう御屋敷だろうな。飛ばすぜ!!」


 その父親の顔は、今まで見てきた誰よりも澄み渡っていた。


(これが……親切?)


 人の心を、学び直さなければならないかもしれない。

 これが人生を六周して、ようやく初めて受けた『大人からのお節介』だった。

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