第5話 会議室での秘めゴト side若菜


「おっ、えらいな。星海ちゃん。今日は手作り弁当か?」


 私はお弁当を食べる手を止め、顔を上げた。


 ーーこの声はーー吉野先輩だ。


 急にドキン、と胸が鳴る。

 告白前に玉砕したとはいえ、やっぱり私はまだ、吉野先輩が……。

 『好き』

 と、心の中でさえ、思っていいのか戸惑いがある。だって今は、雅貴のカノジョだから。


「は、はい。今日はお弁当なんです」

「お料理女子、いいな」

「そんなことないですよ」


 ーーうう。本当は私が作ったんじゃないんです。

 と言えたらどれだけ楽か。

 罪悪感から、ぐうっと肩に重みが乗しかかる。


 そして。

 先輩と話すのは、やっぱり緊張する。



「吉野先輩、今日は社食なんすね」


 私たちのテーブルに来て声を掛けたのは、雅貴だった。

 営業仲間なだけあって、先輩のクールな顔つきはふわりと柔らかくなる。


「おう、鈴木。調子はどうだ? 最近営業成績いいじゃないか。頑張ってるな」


 営業の話で盛り上がるイケメン2人。

 気づいてないのかな? 2人とも。

 食堂にいる女子も、男子も。

 2人に釘付けになってるって。

 今この瞬間の2人の写真に撮ったら、買う人がいそうなくらいだよ。

 なんて変なことを考えてしまう私。


 と、そんなことよりも。

 気がかりなのは、状況上、お弁当のお礼が今言えないところ。私が絞り出した言葉は、


「あ、雅貴」


 だけだった。


「おう。水澤さんもお疲れ様」

「鈴木くんも、お疲れ様〜」

「鈴木はいつも気さくでいいな。同性ながら、感心するよ」


 と、吉野先輩が言う。

 褒め言葉なのに、雅貴の顔が少しかげった気がした。気のせいかなぁ。


「若菜、食べ終わったら時間もらえるか? 休み中に申し訳ないんだけど、ちょっと相談したいことがあって」

「う、うん。いいよ」

「空いてるA103の会議室で待ってるから」

「わかった」

「すみません、先輩方、若菜借りてきます」

「それはいいんだが、鈴木、顔色悪いぞ。夏バテしないようにな」

「あ、ありがとうございます」


 雅貴、具合悪いのかな?

 お弁当作るために、無理して早起きしてくれたのかな。会議室でお礼、言わないと。


 私も急いで片付けて、雅貴の後を追った。


 ◆ ◆


 ーーひゃあああああああナニコレナニコレナニコレエエエエエエェェェ!


「ええと……雅貴? 会議室に来たのはいいんだけどね? この体勢は何?」


 私、会議室に入ったら、雅貴に壁際にトンって急に押されて、完全に雅貴の中にすっぽり入るかのように、ガードされてる。

 これって、まさかこれってーー。

 壁ドンってヤツ〜⁉︎

 今までご縁なんてなかったよ〜!


 身体中から、汗が吹き出しそう。

 あっ、私汗臭くないかな。

 大丈夫かな。

 汗でメイクも崩れてそうだし……。


 ていうかそんなことよりも(いや、これも重要だけど)、ナニコレナニコレ! どういう状況っ⁉︎


「何って、若菜は俺のだっていうのを若菜に知ってもらうためにやってるんだけど?」


 ーー心臓が、ドキン、と鳴る。

 『俺のモノ』……。

 モノ扱いされてもドキドキするなんて、まさか私ってMだったの? そうなの?


「でっ、でも……」

「大丈夫。鍵かけてるから誰も来られないし、この位置からじゃ誰からも見えない」


 そうかもしれないけど。

 すっごくすごく、顔と顔の距離が近い。


「あ……のね……、顔、近……」

「うん。わかってる」


 雅貴はもっと顔を近づけてきた。

 それも私の、耳元に……。

 雅貴の、吐息がかかる。

 身体が、じぃんとあつくなる……。


「さっき吉野先輩と話してただろ? これは、そのお仕置きだ」

「お仕置きって、大したことしか話してないよ?」

「それでも、だーめ」


 ーー『だーめ』ってなぁに? そんな言い方する人だったっけ雅貴って。急に子犬キャラ?


 しかも耳元で囁くなんて。

 なんか身体が、ゾクッてする。

 どうしよう、足まで震えてきちゃった。

 震えてるのバレたら恥ずかしいな。


 雅貴、今何考えてるんだろ。

 じーっと私のこと、見つめてきて。

 私、わたし……。

 私、本当に身体があつくって……もう……

 

「まさ、たか……。私、もう……」


 ……さすがに限界……!


「今度また吉野先輩と話したら、お仕置きするからな」


 と言って、耳に軽くキスされた。

 ちゅって。

 背中が急に、ぞくりとする。


「キャッ! 雅貴、何するの……」

「若菜は俺のだっていう、マーキング」

「うぅ〜」


 もう、ダメ……。

 足から崩れ落ちそうになる私を、腕と腰を支えてくれた雅貴。


 極めつけはーー


「今日も可愛い。好きだよ、若菜」


 ーーうう。認めます、多分私、Mです。


「……うう。押し、強いよ」

「知ってる。ホントは唇にキスしたいけど、俺、我慢してるから」

「ええっ」


 ーーキーンコーンカーンコーン


 ここで、始業のチャイムが鳴った。

 た、助かった……。


「さ、俺は行くな」

「会議室、もう少し使えるように予約してあるから、その真っ赤な顔、おさまってから来いよ? 水澤さんには、俺が伝えとく」

「な、なんて言うの?」

「今若菜は身体が熱いから来られませんって」


 やめてやめて、それは困る!

 恥ずかしくて出勤できなくなっちゃうよ!


「や、やめてよ〜」


 やばい。

 緊張とか、ドキドキとか、身体があついのとか、全部ひっくるめて、涙が出そう。


「嘘だよ。ちょっと雑務お願いしたから、時間かかるかもって言っとくから」

「うん……、わかった」

「じゃあな」

「うん、また、後で……っと、その前に」


 雅貴は私の左手を取って、甲に軽く口付けた。


「ひゃあっ!」

「ふはっ! いい声イタダキマシタ! それじゃな」


 私はついに、ずるずると壁沿いに腰を抜かしてしまった。

 そんな私を見て、不敵な笑みをクスリと浮かべて。雅貴は足早に会議室を出て行ってしまった。


 しぃんと静まる会議室。

 余計に私の鼓動は大きく聞こえる。

 壊れちゃったみたいに。


「会議室にまだ使って大丈夫って言ってくれたけど、始業時間過ぎてるし急いで戻らないと。でも……」


 相変わらず、ドキドキはおさまらないし。

 きっと顔も真っ赤だろうな。


「葵になんて言って誤魔化そう……」


 ◇


「おかえり若菜! 大丈夫だった? なんの内容だったの?」

「ええと……雑務のお願い、かな……」


 葵は頬杖ついて私をじーっと見つめる。


「ふーん。そういうことに、しといてあげる」

「ええっ?」


 もしかして、なにか察した? 察したの?


 恋愛初心者の私、前途多難です……。







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