第31話 若菜の異変 side若菜


 雅貴のことも、直樹先輩のことも、お茶汲みの時間、避けてしまった。相変わらず、子どもっぽいなって思うけれど。

 ーー私ついに、子どもから大人へと旅立つ時が来たみたいで!

 葵にせっつかれ、26歳にしてついに、大人の恋愛を経験しなくちゃいけない時がきたみたいなの。


 遅いよね?

 だいぶ遅い。

 でもね、わかってるの。

 これまで彼氏がいなかったから、仕方なかったの。


 でも今日の私は一味も二味も違うわ。

 ミッションコンプリートのためにも、今日、下準備に行かなきゃいけないの。



 ーー終業時間の音が鳴る。

 私、行かなくちゃ。



 廊下では、いつもどおり雅貴が待っていてくれた。


「若菜、帰ろうぜ」

「うーーーーーーんとね、ちょっと用事があって。だから先に帰ってて?」


 あからさまにショックを受けた顔をする雅貴。

 私は何も言えず、とりあえず一目散に、逃げた。


 ーー雅貴、ごめんね。でも、雅貴のためでもあるのッ。


 だってだって、今日は仕方ないの。

 新調しなきゃいけないでしょう?




 ーーなんていうか、その……。

 『勝負下着』っていうヤツを……!



 ◇


「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しですか」

「あの……お姉さんに決めてほしくて」

「どんな彼氏さんですか。それか、好きな人?」

「ふっ、ふしだらかと思うんですけど、2人いまして……」


 ギャルっぽい店員さんはクスリと笑う。


「やだー。かわい〜。そんなの今時、同時進行なんてアリアリですよ?」


 ーーそっ、そうなんだ……。

 私はそれはそれでショックを受ける。


「あのっ、1人目はとんでもなくSです、と思います」

「へー。お姉さん可愛い♡ もしかしてMですか?」


 ーーひー!こんなこと聞いてくるの?


「そうかも、です」


「じゃあ脱がし易いほうがいいですよねー」

「ぬっ、脱がし易い?」

「そう。ちょっとずつ脱がしてもらうんですよー。そうだなー。フロントホックに、紐パンなんてどうですか?」


 ーーなっ、なんて、ふしだらな! 難易度が高すぎる……。でもこれが今時なの? 時流に乗れば、そういうことなの?


「色は真っ赤にしましょー♡ お客様白いから肌に合うし、食い込む赤い紐パンなんてアリですよね?」

「そ、ソウデスカ」

「やだー♡ 可愛い〜♡」


「もう1つは、どうしましょうか。どんな人です?」

「えっと、職場の先輩で……。とにかく大人で……。でも少し、甘えん坊です。と、思いました!」

「黒の透けたネグリジェに、黒のセットアップの下着なんてどうですか? その人の好みがわかってきたらまた買ってもらう感じで」

「それで、お願いします!」


 ◇


 私はそそくさとお店を後にした。

 本当に本当に恥ずかしい。生まれて初めて、『勝負下着』なるものを買ってしまった……!


 そ、それで、どうするの若菜。

 誘うのよ? 自分から。

 シラフでいけるの?

 ーーううん、無理。

 お酒を買いましょう!

 飲んだ勢いでホラ! お風呂なんかに誘ったりしてッ!

 ーーちょっ、アンタ誰よ。アンタは私の内なる若菜でしょ?

 違うわ。今まで抑えられていた、アナタのM気質を兼ね備えた若菜よ。

 ーーそっそんな!


 自問自答をする私。

 もうだめだ。

 頭の中が、パンク寸前。

 ドM(?)な私の心の声が、うるさいよー!


 とりあえず6本組の缶ビールを1ケース買い、左手には勝負下着の入った紙袋を……違った。商売上手なお姉さんに、エプロンまで買わされたんだった。なんだかメイドちっくな色っぽいエプロン。


 ーー喜んで……くれるかなぁ。


 私は実は、缶ビール350mlの他に2回りくらい小さなお酒も買ってある。

 これは、帰宅前に飲もうと思って。

 で、帰り道にある自販機のゴミ箱に缶を捨てて帰って証拠隠滅、と。


 ーーだってだって! 仕方ないよね?

 あの店員さん、


「裸エプロンにももってこいですよ」


 なんて言うんだもん。

 しないよ? しないけどさぁ。

 エプロン1つ着るのだって、勇気がいるの。


 私は梅酒をクイッと飲み干し、自動販売機の空き缶入れに捨てさせてもらう。


 実は私、お酒が得意じゃなくて。

 だからこそ飲めば、勢いで行ける……はず!

 ……と思わないと、やってやれないよー!

 わーん! 葵のスパルター!


 ◇


「ただいまですー」

「若菜ちゃん、駅から歩いてきたの? 迎えに行ったのに!」

「えへへ。いいんです。ちょっと考え事もしたかったので」


 ーーうん。いい感じに、ふわすわする。

 なんだか気持ちいい。

 そうだ。家事を手伝わなきゃ!


「私も着替えたら家事手伝いますね! ごめんなさい、なにもしなくて」

「いーのいーの。できる人がするってことで」

「そうだよ、若菜。とりあえず着替えてこいよ」

「雅貴も、今日はごめんね。……うん、着替えてくる」


 ーー私はいそいそと、計画どおりにエプロンを着てみる。部屋着ということで、Tシャツに、太腿が顕になるショート丈のパンツに、ちょっといやらしいメイドさん風エプロン。


 ええい! 若菜! 女は度胸よッ!


 ◇


「これから家事を頑張ろうと思って、エプロン買ってみたんです。どうですかー?」

「可愛いよ、若菜」

「うん、よく似合ってる」

「えへへ。そうですか? 嬉しいなぁ」


 私はその場でくるんと回ってみせた。

 自分でわかる。

 私、完全に酔ってる。

 普通、くるりと回ったりする?

 しないしない。

 ナルシストな変態だよ〜。露出狂だよー。

 でも、お酒のせいでちっとも自制が効かない。


「そうだ! ビール買ってきたんですよ。良かったら夕飯にいかがですか?」

「重たかったでしょ。本当、今度から俺を呼んで? 車で迎えにいくから」

「ありがとうございます。今度からそうしますね」


 ふふふ、と笑う内なる私。

 ーーちょっと何笑ってるのよ! これ以上飲んだら相当やばいよっ!

 ダメよ、若菜。アナタは今日蛹から蝶になるんでしょう?

 ーーそれは、そうなんだけど……。


 ーーああ、ダメ。ふわんふわんする。


「若菜、なんかあったろ? どうした?」

「うっ、ううん、何でも……ないよ」


 ーーさすが雅貴。雅貴に隠し事はできないね。


「ほんとに大丈夫だよ。ありがとうね、雅貴」

「……なら、いいんだけど……」


 ◇


「わあ、美味しそう。焼き魚にお味噌汁。十穀米にサラダ。最高にヘルシーですね♡」

「お気に召して何よりだよ、若菜ちゃん。遠慮せずに食べてね」

「はいっ」

「じゃあ、若菜が買ってきてくれた缶ビールも飲みますか」


 私はその言葉でピシッと固まった。


 ーーこんなにふわんふわんなのに、まだ飲めるかな? ちょっと心配かも。


 ーープシッ!


 缶ビールを開けて、乾杯だ!


「「「かんぱーいっ!」」」


 ーーゴクッゴクッゴクッ! ケホケホ……!

 うう。苦しい。一気飲みなんて、普段しないから。


「大丈夫? 変なところ入っちゃったかな?」

「若菜、ペース早すぎ。どうした?」


 それでも私は、1本飲み干さん勢いでゴクゴクと飲み続けた。そうしたら、雅貴にビールを取り上げられてしまった。


「コラ! 若菜〜?」

「わ、私、酔いたくて……。今日は酔いたい気分なんです。あの……あの……。お風呂を出たら、どちらかに、構ってもらいたくて。その……いろいろと……」


「「じゃあ、俺と」」


 ーーええっ? どっちと?

 でもそんなことよりも。

 身体が、とてつもなくあついよ。


「早くお風呂に入りたい、かも……」


 動揺する雅貴たち。

 そっか、お風呂掃除しなくちゃだよね。


「私、お風呂掃除しながら入っちゃってもいいですか?」

「それはいいけど、若菜相当酔ってるだろ。俺が風呂掃除するから、若菜はシャワーだけな。それか、転倒したら危ないから一緒に入るか?」


 ーーい、一緒に!?

 顔がぼうっと熱くなる。

 全身から火が吹き出しそうだよ。

 何も考えられない。かも。


 ーーでもこれはチャンスよ! 若菜。

 やると決めたでしょう?


「うん。入るう」

「若菜ちゃん……」


 不安そうな先輩の声。

 大丈夫ですよ?


「入るぅ。みんなでーー」


「「み、みんな!?」」

「うん」


 ーーあれ? 私なにか、変なこと言った?

 あ、だめだ。視界が回る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る