第26話 帰りの車の中で side若菜


 楽しかったネズミの国ランドは閉園の時間を迎え、私たちは今、直樹先輩の車の中にいる。


 私は助手席に。

 雅貴は後部座席に。

 後部座席にはもう2匹、タフィーとシェリーがいる。タフィーは元々私のぬいぐるみだけど、なんと、雅貴が1人でいる時に、シェリーを買っているとは思いもしなかった。

 私が案内したタフィーマニアを気に入ってくれたみたいで、少し嬉しい。


「あのさ、提案なんだけど……」


 先輩は車を運転しながら言う。

 助手席から見る先輩はとてもクールで、運転も上手でさすがだなぁって思う。とても男らしい。


「なんですか?」


 後部座席から答える雅貴。

 振り返るとタフィーたちがいてちょっと可愛らしい。


「俺たち、一緒に暮らさないか?」

「「えっ?」」

「どこでですか?」

「俺のうちで」

「直樹先輩のおうちで?」

「そう」


 すごくすごく、ビックリした。

 私は先輩が大好きなくせに、知らないことが多すぎる。まさか先輩が一人暮らしをしていたなんて。


「俺の両親てさ、交通事故で早くに他界していてね。俺、一軒家で1人で住んでるんだよ」

「そう……だったんですね」

「そう。だから部屋から余ってるし、それに」

「それに?」

「もう、俺の知らないところで、2人がキスしてるとかイチャつくことに、俺が耐えられない」

「その気持ちは……わかります」

「だろ? 鈴木」

「はい、とても」


 赤信号の色が、先輩の顔を染める。

 目を細めるのはライトのせいだけではなく……なんとなく切なそうに見える。


「悪いけどさ、俺もう、限界なの」

「限界、ですか?」

「知らない間に若菜ちゃんにキスマークが増えてることも。どこまで進んでるんだろうかって考えることも。俺の方が年上だけど、若菜ちゃんが絡むと途端に俺は幼くなる。ごめん、我慢できないんだ」


 先輩の声が、少し震えているような気がした。

 そしてそれは、多分雅貴もわかったはず。


「俺はいいですよ。で、いつからにしますか?」

「私も大丈夫です。お2人がいいなら……」

「できれば今日からがいい。ホント、わがままでごめん。1時間くらいで必要最低限の持ち物だけ用意できるかな。必要なものがあれば、また週末車出すから。それか、平日にでも」

「「大丈夫です」」


 ◇


 そうして私たちは今、先輩の家にいる。

 一階がリビングフロア、キッチンやお風呂などの身の回りのものがある。2階は個室。ちょうど3部屋あった。


「若菜ちゃんが真ん中の部屋でもいいかな? 俺の部屋はもう決まってるから、鈴木は残りでいいか?」

「大丈夫です」

「一旦準備が終わったら、下に降りてきて順番にお風呂に入ろう。俺は先にシャワー浴びてるから」

「はい」


 私は特に雅貴と会話することもなく、パタンとドアを閉め、私の部屋にこもった。

 ベッドが一つに、ウォークインクローゼット、デスク。女の子が好きそうな淡い色合いの部屋だった。

 もしかしたら、先輩には姉妹がいるのかも、なんて考えながら荷解きをする。


「これから、どうしよう……」


 とポツリと呟いたところで、コンコン、とドアがノックされた。


「はぁい、どうぞ」

「若菜」

「雅貴……、荷解き、終わった?」

「ああ、俺は元々モノが少ないからな。どうする? 先、風呂入るだろ? 疲れただろ」

「もし、それでもよければ、嬉しいな。ありがとう」

「…………雅貴?」


 雅貴は、急に何も話さなくなった。

 ただ、ギュッと拳を握っている。まるで、爪で手のひらを切ってしまいそうなほどに。


「雅貴! 手が……!」

「あ、いけね。切っちまった」

「待ってて、絆創膏、絆創膏……」


 絆創膏を貼ろうとした瞬間、雅貴は私の手を引っ張ってギュッと抱きしめた。


「先輩のこと、好きだってわかってる。でも、俺を選んで欲しい。絶対大切にするから。だから……」

「……雅貴……」


 雅貴の心臓の鼓動が早い。

 ドクン、ドクンと波打つ衝動が、密着している私には聞こえてくる。


 ーーコンコン。


「あのさ、そーゆーとこだよ、鈴木」

「直樹先輩っ」

「すんません……つい」


 ドアが開きっぱなしなことにも気づかず、抱き合っていた私たち。様子を覗きに来た先輩が、思わずドアをノックしたみたい。


 先輩は、私の腕を掴んでギュッと先輩に引き寄せた。雅貴の腕から離れ、よろめく私を、優しく抱き留める先輩。


「先輩……?」


 いつもと違う、少し怒ったような先輩の顔。

 見てみろと言わんばかりに、雅貴の方を見てから、先輩は私にキスをした。


「んっ、んむっ」


 ーー大人のキスだった。

 雅貴とは少し違う、大人のキス。

 優しく、愛撫するような……。


「……ッ!」


 ーー雅貴、見たくないよね……。


 私が雅貴の方を見ようとすると、先輩は私の背中に手を回し後頭部を押さえ、もう片方の手で私の顎をクイッと上げた。


「あ……む……。せんぱ……。私、もう……」


 そう言うと、頭を撫でてから頬をするりと触り、私をキュッと抱きしめた。足の力が抜けそうになった私を、それはそれは優しく、まるで真綿で包むように。


「正直、こんな惨めな気持ちはないっすね」

「ごめん、とは言わないよ。鈴木。俺は若菜ちゃんに本気だから」

「俺もです」


「あの……私が耐えられない……です」


「だよな」 「そうだよね、ムキになった。ごめん」


「あ、の……、お風呂、入ってきてもいいですか? 私、恥ずかしいけど、身体が、あつくて……」

「いいよ、若菜ちゃん。ゆっくりね」

「湯船は俺が洗うから、そのままでいいぞ、若菜」

「は、はい」


 雅貴にまで敬語になっちゃった。

 いろいろなことがありすぎて、急展開すぎて。

 今を生きることに、ただ精一杯な私。


 ちゃぽん、とお風呂に浸かりながら、頭の中ではぐるぐると、考えることでいっぱいだった。


 出勤はどうしたらいいんだろう。

 帰宅は?

 ご飯は?

 お風呂は?

 ていうかお風呂入ったら私すっぴん……。


 たくさんのどうしようがいっぱいだけど、のぼせて倒れる前になんとか全身を洗い、お風呂から出ようと思ったら……!


「あ……タオル忘れた……」


 先輩のうちに来て、声を張った第一声がコレだなんて。情けなさすぎるし、恥ずかしい。

 でも裸じゃ上がれないし。

 見せられる裸でもないし。

 あああああああああああああ!



「あ、あのー! 直樹せんぱーい! 雅貴ー! タッ、タッ……タオルくださーーーーーい!」

「嘘だろっ⁉︎」


 雅貴の声がした。

 もしかして先輩は笑ってる?


 ーーあぁ、もう。

 私て嫌になっちゃうよ。

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