第27話 帰りの車の中で side雅貴


「俺たち、一緒に暮らさないか?」

「「えっ?」」

「どこでですか?」

「俺のうちで」

「直樹先輩のおうちで?」

「そう」


 ーー衝撃の発言だった。

 よくよく聞いてみれば、俺と若菜が隣同士の部屋が気に入らないらしい。その気持ちは、よくわかる。逆の立場だったら同じことを提案していただろう。なぜなら、俺の知らないところで若菜とイチャイチャしたり、キスしたり……何をしてるかわからないからだ。


 先輩のご両親は、早くに亡くなられたらしい。そのため、一軒家に1人のみで住んでいる先輩の家にご厄介になることになった。


 ◇


 ーーコンコン。


「はぁい、どうぞ」

「若菜」

「雅貴……、荷解き、終わった?」

「ああ、俺は元々モノが少ないからな。どうする? 先、風呂入るだろ? 疲れただろ」

「もし、それでもよければ、嬉しいな。ありがとう」

「…………雅貴?」


 俺は急に何も話せなくなった。

 ギュッと拳を握り、苛立ちを抑える。しかし、おさまるどころか、爪で手のひらを切ってしまった。


「雅貴! 手が……!」

「あ、いけね。切っちまった」

「待ってて、絆創膏、絆創膏……」


 ーーあの短い支度時間で、絆創膏持ってくるなんて、さすがだよ、若菜。


 若菜が絆創膏を貼ろうとした瞬間、俺は若菜の手を引っ張ってギュッと抱きしめた。


「先輩のこと、好きだってわかってる。でも、俺を選んで欲しい。絶対大切にするから。だから……」

「……雅貴……」


 ーー若菜、愛してる、愛してるんだ……。



 ーーコンコン。


「あのさ、そーゆーとこだよ、鈴木」

「直樹先輩っ」

「すんません……つい」


 ドアが開きっぱなしなことにも気づかず、抱き合っていた俺たち。様子を覗きに来た先輩が、思わずドアをノックしたみたいだった。


 先輩は、若菜の腕を掴んでギュッと先輩に引き寄せた。俺の腕から離れ、よろめく若菜を、優しく抱き留めた。


「先輩……?」


 先輩の顔は、俺に見てみろと言わんばかりに、俺を方を見てから、先輩は私にキスをした。


「んっ、んむっ」


 ーー正直、悔しかった。俺だけの若菜だったはずが、2人の若菜になっていることが。


「……ッ!」


 若菜が俺の方を見ようとすると、先輩は若菜の背中に手を回し後頭部を押さえ、もう片方の手で若菜の顎をクイッと上げた。顎クイってやつか……。


「あ……む……。せんぱ……。私、もう……」


 そう言うと、頭を撫でてから頬をするりと触り、若菜をキュッと抱きしめた。足の力が抜けそうになった若菜を、それはそれは優しく、まるで真綿で包むように。


「正直、こんな惨めな気持ちはないっすね」

「ごめん、とは言わないよ。鈴木。俺は若菜ちゃんに本気だから」

「俺もです」


 ◇


 若菜には、風呂に入ってもらうことにした。

 若菜の部屋で2人、沈黙が続く俺たち。

 正直、あんなキスシーンを見せられたらなんて言っていいのかわからない。


「鈴木……」

「俺はずっとお前が羨ましかった。若菜ちゃんと同期で、仲良しで。お前以上に仲がいい男子は、あの職場にいないと思う。……俺を含めて」

「そう……かもしれません」


「今日は限界がきて、お前に見せつけるようにキスしてしまったけれど、いつああなるか俺もまだわからない。効かないんだ。自制が。若菜ちゃんのことになると」

「それは、わかります」

「だから……お互いに最後まで手を出すのは正式に付き合ってからにしよう? じゃないと俺はどうにかなってしまいそうだ。鈴木はどうだ?」

「同感です」


「でも……」

 と、先輩は続ける。


「キスや抱きしめたりするのは、止めない方向で。俺も、お前も。それも若菜ちゃんへのアピールだと、俺は思うから。……なのに、さっきは邪魔してすまなかった」

「いいですよ、またすればいいんですから」


 先輩はハァッとため息をついた。


「鈴木が羨ましいよ。そんな簡単に、若菜ちゃんのパーソナルゾーンに入れるんだから」

「はは。これでも俺だって、苦労してきたんです」


 ーーただの同期でいたくない、その一心で今までずっと頑張ってきた。マンションが隣の部屋だったのはラッキーパンチだったけどな。

 喋りかけたり、からかったり、慰めたり……それこそ、吉野先輩の件で若菜はかつてないほど苦しんだから。俺もかなり慰めた。慰めるたびに、自分が惨めになっていったけれど……。


「明日から、出勤は今までどおりだな。俺は車で。2人は電車で。誰かが残業するなら、俺が送るけどさ」

「そうですね。若菜のためにも。若菜が俺たちのせいでいびられるのは、見たくないですから」

「そうだよな……」




 ひと通り話し合ったところで、若菜の切羽詰まった声が聞こえてきた。


「あ、あのー! 直樹せんぱーい! 雅貴ー! タッ、タッ……タオルくださーーーーーい!」

「嘘だろっ⁉︎」


 俺は衝撃を受けた。拍子抜けってヤツだ。

 だって、……っていうことは若菜今裸ってことだろ?


 先輩は可愛いなぁ、なんて言いながらクツクツ笑っている。


 ーーあぁ、もう。どこまでも無防備なんだから。


「先輩、タオルの場所どこですか?」

「洗面台の後ろのクローゼットだよ」


「若菜ー! 洗面台の後ろのクローゼットだって!」

「わぁ、あった! あったよおおお良かったぁ」


 ーー全く、若菜は。


 いつの間にか先輩との間に流れていた冷たい空気も穏やかなものになっていた。先輩の顔もいつもどおり温和になっている。


 ーーやっぱり俺は、若菜が好きだ。


「着替え手伝ってやろうかー?」

「キャー! やめてやめて! もう出るからぁ!」


 あんなに断らなくても……と思ったが当然か。

 俺だって裸を見られるのはまだ恥ずかしい。


 ーーふぅ。次は俺が風呂の番だ。

 俺が風呂に入っている間に、何かあったら嫌だなぁとすごく思う。でもこの気持ちは、これから最低1週間は続くわけで。ーー早く慣れなきゃな、とは思いつつも。


 やっぱり2人きりにさせたくない俺は、全速力で風呂を上がった。


「セーフか? 一応……」


 上がって良かったと心から思う。

 また若菜が、先輩に髪を乾かしてもらっていたから。あの日みたいに、こっそりキスしてたのか? 抱きしめたのか? 俺の疑心暗鬼は加速するばかりだ。


 ーーでも。


「おかえり、雅貴。早かったね」


 と笑う若菜の笑顔を見ただけで機嫌がコロッと治ってしまう俺は、相当なチョロ助だ。


 ーー君の笑顔が見られるなら、ちょっとくらい、俺は我慢をするよ。


「先輩、冷蔵庫から適当に食材もらって調理していいっすか?」

「すごいな鈴木! 料理できるのか」

「雅貴のご飯は、お母さんのみたいに美味しいもんね」

「せめて彼氏って言ってくれよ!」


 先輩の家に、橙色の灯りが灯る。

 今日は一旦、戦闘中止だ。


 それでも寝る前に、部屋の前で若菜の頬にキスしたけどな。先輩も俺も。

 抜け駆けされては堪らないから。俺はしばらく早起きになりそうだ。



 ーーそれにしても、お母さんって、言うなよ若菜。

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