第3話 雅貴のプレゼン side若菜


 昨日は、なかなか眠れなかった。


 大好きな吉野先輩に告白する前に玉砕して、大泣きして……。


 会社に通うのも辛くって、辞めたいな、なんて思ったりもしてた。


 そうしたら、隣の部屋の、雅貴が声を掛けてくれて。


 ……「好きだ」って、言ってくれて。


 優柔不断で押しの弱い私は、雅貴の言うまま、お試しで付き合うことになって。


 ドキドキが、止まらなかった。

 それに、罪悪感もずぅんと肩にのしかかった。


 雅貴は気にするなって言ってくれたけど、他に好きな人がいる状況で付き合ってくれるなんて、そのうえ、「お試しでいい」、だなんて私の我儘でしかないのはわかってる。


 どうしようどうしようってぐるぐると考えて、それで全然眠れなくって。

 気がついたら、朝になってた。


 ◇


「よし、これでいつもと一緒、かな?」


 鏡に映った自分をいろんな角度からチェックする。なんとかメイクで目の腫れも、クマもカバーできたはず。


 昨日迷惑かけた分、雅貴に心配させないようにしようって気合いを入れたところで、


 ーーピンポーン!


「……あっ」


 突然鳴ったインターホンの音で、ドクンと強く、胸が跳ねた。


 ーーよし、元気、出そう。


「はぁ〜い!」


「おはよ。準備できてるか?」

「おはよう、雅貴。昨日は、ありがと……」


 緊張したまま絞り出せた言葉は、これだけ。

 でも、「ごめん」っていう言葉は敢えて使わなかった。それこそ雅貴に失礼だと思うから。


「良かった。あんまり目、腫れてないな」


 と言って、軽く頭をポンポンしてくれた。


 ーーあ、シトラスの香りがする。

 雅貴が好んでつける香水の香り。


 今日も雅貴は、いつもどおり爽やかだ。

 ワックスで無造作に癖づけた無造作の髪。

 目鼻立ちがいい、整った顔立ち。

 それに、高い背。

 180㎝くらいって言ってたかな。

 青のストライプシャツに、グレーのネクタイ。


 雅貴は、事務室の女子からすごく人気がある。

 吉野先輩に並ぶくらい。


 そんな雅貴とは、今まで親友として接していて、同期や同僚から、「羨ましい」なんて言われることもたくさんあった。


 だから余計に、罪悪感が増す。

 私が「お試し」で付き合っていいのかなって。


 ぐるぐると考えている私を見て、雅貴は爽やかにクスリと笑った。


 ーーなんだろ。どこか変なところがあるのかな。


「ーーったく、朝から可愛すぎかよ?」

「ふぇっ⁉︎」


 とってもビックリした。

 昨日から雅貴は、すごく押しが強くって。

 からかわれてはケンカして、っていうのが多かった今までとは違って、ストレートにアピールしてくる。


「ちょ、ちょっと……恥ずかしいよぅ」

「仕方ないだろ? 本当のことだ」

「雅貴、Sなの? ドSなの?」

「そうかもな、ホラ、行くぞ」


 雅貴は半ば強引に私の手を引っ張って繋ぎ、指を絡めて優しく握った。


「きゃっ!」

「最寄駅までな? 電車に乗ったら、いつもどおりにするから」

「う、うん。わかった」


 ーーどどどどどどどうしよう!


 私、こういうの全然慣れてなくて。

 26歳にもなって、今まで誰とも、付き合ったことないから。


「あ、そうだ」


 雅貴は、私の目をジッと見てちょっと顔をしかめてる。


「若菜、カーディガン羽織って来い。何着か持ってるだろ?」

「うん、でも今日は暑いよ?」

「お前の白ブラウス、エロいんだよ。下着が見え隠れしそうで。下着のラインが見えてること、気づいてないだろ?」

「えっ、ホント?」

「気をつけてくれよな。『カノジョ』さん? 俺は他の男に、変な妄想されたくないんだ」

「うー。取ってくる〜!」


 ーーううううう恥ずかしい。


 私これでも、社会人4年目なのに、こういうの全然、無頓着で。


 急いで部屋に戻って、ベージュのカーディガンを羽織って……。急いでるけど、洗面所に行って、髪型なんか整えちゃってる私。


 ほんと、私って嫌な女。

 それは本当に、自覚ある。

 だって吉野先輩が好きなのに、雅貴にこんなに、ドキドキしてる。

 いくらなんでも、チョロすぎるよ、私。


 外に出る前に大きく深呼吸して、手汗を拭いて、汗の滲んだ顔をフェイスタオルで軽く押さえて。


「ふぅ」


 やっとの思いで、玄関を出る。


「お待たせ雅貴。行こう?」

「待ってましたよ、お姫様?」


 ーーお姫様⁉︎


「もっ、もう、からかわないでよ」


 そしてまた、雅貴が手を繋いできた。

 やっぱり指を、絡ませて。


「て、照れるよ……」

「存分に照れてくれ。離さないから」


 私の胸の音、まさか聞こえていないよね?

 心臓が、破裂しそうだよ。

 それに、緊張しすぎてまた手汗かいてきちゃったし。

 恥ずかしい……。


 優しい雅貴は、いつもどおり、私に歩調を合わせてくれてる。本当に雅貴は、いつも優しい。


「若菜、緊張しすぎ。いつもならぺちゃくちゃ喋ってるだろ?」

「だって……手、繋いでるし。いちお、緊張、するし」

「ふーん。俺のこと、意識してくれてるんだ」

「ずるいよ! そういう言い方」

「否定しないんだ?」

「むー」


 間が開かないように、雅貴がいろんな話をしてくれたけど、実はあんまり耳に入ってこなくて。

 心臓の音が聞こえませんようにって、さっきからそればっかり考えてる。


 それにしても。

 付き合った経験のない私とは違って、雅貴からはなんていうか、大人の余裕を感じる。

 

「あのさ……」

「どうした?」

「ねぇ、雅貴ってなんでこんなに慣れてるの? あっ、チャラいとかそういう悪い意味じゃなくて、素朴な疑問」

「ん? 若菜のことが、好きだからかな?」

「もー! またそうやって。……今までにも彼女さん、何人かいたよね?」

「あぁ、まぁ、な」


 なんとなくはぐらかされた気がした。

 今まで何人くらいの女の子と付き合ってきたんだろう。仲良くても、この手の話はしてこなかったなぁ。

 

 優しい気遣いができて、話術も長けていて。

 チラリと見る横顔からも、爽やかさが溢れてる。

 俗にいう、イケメン。

 道行く女子も、雅貴に目を奪われてる。


 ーーやっぱり、そうだよね。


「そうだよねぇ。雅貴、モテるもん」

「好きな子にモテなきゃ意味ねぇよ」


 えっと、これって、どう受け止めたらいいのかな。私にモテなきゃ意味がないってこと? それはさすがに、私、自意識過剰じゃない?


 あぁ、私は昨日から雅貴に翻弄されっぱなしだ。

 でも、それもこれも、優柔不断な、私のせい。


「それじゃ、ここまでだな」


 駅に着くや否や、雅貴はパッと繋いだ手をほどいた。


 そっか。

 会社の人にバレないようにするって、言ってくれていたもんね。


「ここからは、いつもどおり出勤するか」

「わかった。あの……配慮してくれて、ありがとう」

「お礼を言うのは、まだ早いぜ?」


 と言いながら、ちょっぴり恥ずかしそうに、私に黒いバッグを差し出した。


「え? これ……」


 多分これは、保冷バッグ。

 持ち手も少し、ひんやりしてる。


 ーーまさか……。


「これ、もしかして、お弁当?」

「そ。手製のな。安心してくれ。俺はいつもどおりコンビニ弁当か社食にすっから。同じ弁当食べてるーとかって、いろいろ勘繰られることはないだろ」


 そっぽを向きながら、答えてくれた雅貴。

 料理、そんなにしないっていつも言ってるのに。

 頑張ってくれたんだね。


「雅貴」


 感謝の気持ちが溢れ出して、私は雅貴の服の裾をキュッと掴む。


「ありがとう。嬉しいよ」

「やばいその顔。ていうか、反則」


 ーーえええ、反則ってなに?


 雅貴は私の髪をグシャグシャっと撫でて、一歩先に歩き出した。


「もー! セットした髪が台無しだよ」


 と言うと、雅貴はくるりと振り返った。

 しかもとびきり爽やかな、満面の笑みで。


「大丈夫。どんな若菜でも可愛いから」

「〜〜!」


 ーーもう、これ以上は、心臓がもたないよ……。

 

 そして私たちは少し間をとって、いつもどおり横並びで歩き、電車に乗った。

 吊り革に掴まる私たち。

 チラリと見た雅貴の横顔は、相変わらず爽やかで。電車の中でも目立ってて、すごいなって思う。


 ーー今まで気にしていなかったけれど、自然と視線が向いてしまいそうになる。それにーー


「次はどんなプレゼンをしようか」

「ええっ。そう、言われましても……」

「ははは」


 ーーそれに、ドキドキも止まらない。


 ◇


「あれぇ? 若菜、今日はお弁当? 作ってきて偉いね〜」


 食堂で同期のあおいとランチ。

 いつもは社食を食べる私がお弁当を持ってきたものだから、褒め上手な葵はすかさず私を褒めてくれた。


「……う、うん。褒めてくれて、ありがとう」


 ごめん、葵。嘘ついて。

 でも雅貴が作ってくれたなんて、言えないよ。


「あっ! 見てあそこ。鈴木君だよ」


 鈴木君とは、雅貴の名字だ。

 葵は少し恥ずかし気に、雅貴を見てる。


「はぁ。羨ましいなぁ、若菜は。鈴木君と仲良しで。一応私も、同期なんだけどなぁ」

「葵にはラブラブの彼氏がいるでしょ?」

「それとこれとは別なのっ! 鈴木君は、目の保養枠だもん」

「目の保養枠って」

「ふふふ」


 やっぱり雅貴、モテるよね。

 食堂を見渡してみれば、他にも雅貴に視線を向けている子がいる。


 ーー早めに白黒つけなきゃ、雅貴にも、周りの女の子たちにも、失礼だ。


 降り積もる罪悪感。


 ーーでも、雅貴さえよければ、もう少し付き合ってみたいって、思っちゃってる私がいる。

 本当、ずるい女……。



 雅貴が作ってくれたお弁当が、ほんの少しだけ苦く感じた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る