第39話(終話)旅立ちの日 side若菜


「若菜ちゃん、来てくれたんだね!」


 先輩は全ての荷物をロビーの椅子の上に投げ出し、私をギュウッと抱きしめた。


「先輩……先輩……!」

「なあに? 若菜ちゃん。



 …………。



 ……若菜ちゃん、荷物は?

 それ……だけ……?」


「はい。……今までずっと待たせてごめんなさい。優柔不断なこといっぱいしてごめんなさい」

「ーー嫌だ、聞きたくないよ、若菜ちゃん」


 直樹先輩……。

 私ーー、それでも言わなくちゃ。


「お別れを、言いに来ました」

「……そん……な……」


 直樹先輩は、涙を流し始めた。

 見たこともない、辛い表情をして、顔をくしゃっと歪ませて。

 でも、私は、言わなくちゃ。

 気持ちを、伝えなくちゃ。


「私、入社してからずっと、本当にずっと、直樹先輩が大好きでした」

「じゃあ……」


 先輩は、いいじゃないか、と言おうとしているんだと思う。ーーでも。


「先輩に告白しようとした日に、佐々木先輩と一緒にいるところを見て、告白する前にフラれたと思って。そこから……私を懸命に支えてくれたのは、雅貴でした」


「……わか……な……?」


 私は雅貴を見る。

 雅貴も何故か、たくさん泣いている。


「自分の気持ちを犠牲にして、

 『お試しでもいい。

 合わないと思ったらフッてくれていい。

 若菜は、気分転換だと思ってくれればいい。

 罪悪感だって抱かなくていい。

 職場のヤツらにも、内緒でいい』


 って、全力で慰めて、励ましてくれたのは雅貴でした。


 自分の気持ちが迷子になることが多々あって、ご迷惑をお掛けしましたけれど、私は……雅貴が好き。大好きなんです。……だから、先輩とは行けません。ごめんなさい」


 先輩が天井を仰ぐと、涙が頬と顎をつーっと伝り、ぽたり、ぽたりと床に落ちてゆく。


「そう、か……。俺って本当、なんでもっと早く勇気出さなかったんだろう。自分が、憎いよ……」


 先輩は、見たこともない大粒の涙を流しながら、自分自身に恨みをぶつけるかのように呟いた。


「ごめ……」

「若菜ちゃん、もう、謝らなくていいよ。俺にも、チャンスをくれてありがとう。人を好きになる気持ちを教えてくれてありがとう。幸せになってね」

「……はい……」


 私も、涙が止まらなくなった。

 泣いていい立場じゃないけど、本当に、本当に、好きだった先輩と別れるのは、つらい。


「若菜っ!」

 

 私の手を引っ張って、抱き寄せたのは、雅貴だった。


「俺でいいんだな? 本当に、後悔しないな?」

「雅貴いいんじゃないの。雅貴、いいの」


 ギュッと抱きしめてくれる雅貴。


「ちょ、ちょっと待ってえ」


 止めに入ったのは、佐々木先輩だった。

 よく見てみれば、佐々木先輩は大きなスーツケースを持ってきている。


「直樹!」

「はいっ」

「私、言うつもりなかったけど、こんな結末なら、言ってもいいわよね? 私、ずっと前から直樹が好きだった……!

 星海ちゃんの代わりでいい。

 利用してくれていい。

 好きにしてくれていい。

 だから私を、代わりに連れてって!」

「佐々木……?」


 佐々木先輩は、顔を真っ赤にして言う。

 あのクールで美人な佐々木先輩が、少し涙を流しながら、しかもちょっと、半ギレで。


「もうっ! アンタ鈍いのよ! 鈍感なのよっ! 私、アンタのこと好きなのに、星海ちゃんの恋愛相談なんかしてきてっ、この無神経男ッ」

「ご、ごめ……」

「ごめんだけじゃ済まさないわよ! 私、めちゃくちゃ頑張って、どれだけ感情殺して、アドバイスしてきたと思ってんの?」

「わ、悪かったよ……」


 いつの間にか、直樹先輩の涙は止まっていた。

 それに、いつの間にか、周りには人だかりが。


「ちょっとでも悪いと思うなら、私を代わりに連れてってよ!」

「だってお前、会社は?」

「社会人としてサイッテーなことをするのよこれから! 今、ここで! 電話して謝るわよ! 課長に! 辞めて連いてきますって! 直樹のバカ! バカッ」


 直樹先輩はタジタジだ。

 それでも、先輩は、泣く佐々木先輩を見て、顔を綻ばせていく。それはきっと、親友が、親友とは少し違う関係性になった、その証。


「俺は今でも若菜ちゃんが好きだ。だから、本当に利用するかもしれないよ。なるべく早く思い出にできるように頑張るけど。その過程で、傷つけることもあるかもしれない。泣かせることもあるかもしれない。それでも、いいのか?」


 佐々木先輩は顔を真っ赤にして言う。


「何年片思い拗らせてると思ってんのよこのバカッ。私たちもう28よ? 利用するとかしないとかそんなのはね、どうでもいいの。直樹、『大人の恋愛』をしましょう? 私と」

「本当にいいんだな?」

「これ以上、恥をかかせないでちょうだい」


 直樹先輩は、佐々木先輩に手を差し出した。

 そして佐々木先輩は、その手を掴む。


 その瞬間、


 ーーワアァァァ!


 と拍手喝采が、空港中に響き渡った。


「は、恥ずかしいから、もう行くね。みんな。集まってくれてありがとう。進藤、マナちゃん、鈴木、それに、若菜ちゃん……。

 鈴木!」

「はいっ!」

「幸せにしてくれよ! 俺の分まで」

「もちろんです」



「じゃあ、行くよ。そして、これからよろしく。佐々木……いや、直子」

「ありがとう。連れてってくれて。本当は私に恥をかかせないために仕方なくでしょ? 相変わらず、優しいんだから」

「なるべく早く、思い出にできるように、努力するよ」

「ありがとう」



「かっこいいなぁ。これが『大人の恋愛』かぁ。マナにも、いつかできるかな」

「ああ、できるよ」


 進藤くんは、優しい顔をしてマナちゃんの頭をそうっと撫でた。


 ーーこうして私たちは、先輩達を見送った後、空港で別れて帰った。


 ◇


 最寄駅からの帰り道。

 あたりはすっかり夕焼け空。

 澄んだ風が心地よい。

 私たちは、手を繋いで歩いている。


「若菜、なんで昨日休んだんだよ」

「あのね、先輩が海外に行くっていう発表があった日、自分の気持ちに気がついたの。ーーあ、海外に行くの、雅貴じゃなくて良かったって。そしたら、先輩にどんな顔して会ったらいいかわからなくって。ズル休みしちゃった」

「じゃあ、なんで今日家を早く出たんだ? 俺、先輩に会うために早めに出たんだと、勘違いして、気持ちどん底だったんだぞ?」

「それはね……これを雅貴に、サプライズしたかったから。一緒に行ったら、バレちゃうもの」


 私は持っていた紙袋から花束を出した。


「はい、これ」

「え?」

「良かったら、私の正式な彼氏になってください」


 ネズミの国ランドの花束は、受け取れなかったから。今度は私から、雅貴に告白したくて。昨日会社をズル休みしたのは、このせいでもある。


「あの、さ、もしかしてこれ、花の茎に刺さってるの、指輪?」

「そう。よく気がついたね! 私から雅貴への、指輪です。つけてくれたら、嬉しいな。……結婚を前提に、お付き合いしてください」

「若菜っ……!」



 雅貴は私をギュウッと抱きしめた。

 そして私たちは、夕暮れ空の下、大人のキスをする。本当の恋人としての、初めてのキスをーー。



     ーーエピローグへ続くーー

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