第14話 事件は突然に


「お疲れ様です! 鈴木、只今外回りから帰りました〜!」


 今日も新規営業ネタを掴んできた俺は、達成感があるものの、今の気持ちは事務作業に向いている。

 それも全て、若菜のため。今日も絶対定時で上がってやる。


 ーーだけれど俺のやる気とは裏腹に、俺の頭の中は今朝の出来事でいっぱいでもある。


 あの、吉野先輩の一言だ。


『「気になるのか? 進藤……っていうか星海ちゃんのことが」

「やっぱりそうだよな。頑張らないと」』


 俺も、ってどういう意味だ?

 普通に考えたら意味だよな。

 マジでどうなってんだ?


 あの新入社員の進藤ってヤツも癖強そうだけど、何より吉野先輩だ。若菜が吉野先輩に告白する前に玉砕したのが勘違いだったって線が濃厚になってきた。

 しかも。

 最悪なことに、今朝の口ぶりだと吉野先輩は若菜を狙っているのかもしれない。恋愛系で公然と俺をおちょくっても、先輩にはメリットないしな。おそらくあれは、牽制だ。


 ーー問いただしたいけれど、自爆しかねないし。どうしたもんか……。


 それにしてもこの営業課の騒がしさはなんだ?

 渦中の吉野先輩もいねぇし、外回りの報告したいのに課長もいねぇ。いつもなら静まってる部屋が、不自然に騒ついている気がする。




「失礼します。事務職の進藤です。お茶とコーヒー、どちらにされますか?」


 事務職の当番が来てくれたってことは、もう15時ってことか。


「ん? 進藤、1人?」


 何かひっかかる。

 若菜が、今日入社したばかりの新人を1人でこの部屋に寄越すだろうか。心配だからって、てっきりついてくるものかと思ってた。


「おう進藤、お疲れ。俺は鈴木。お茶汲み、ありがとうな。……ところで、若菜は? あー、星海若菜な」


 進藤は、顔色を変えて訴えた。


「大変なんです。若菜先輩倒れてしまって」

「エッ⁉︎」


 ここで口を挟んできたのは、吉野先輩の意中の人であるの佐々木先輩だった。


「そうなのよ。うちの課長の手伝いをしようとして走り出したら、そのまま倒れちゃったらしいのよ。だから今、みんな心配してて、事務室が騒がしいのよ」

「若菜は今、どこにいますか? 人事部の養護室ですか?」


 佐々木先輩は首を振る。


「いいえ。先程まではそこで寝かせていたんだけどね。熱もあったみたいだから、家に帰したらしいわ。今人事部に課長が説明してるところ。台車を扱ってたみたいだし、下手したら労災だからね」

「そんな……。それで、若菜はタクシーかなんかで帰ったんですか?」

「送って行ったわ。吉野くんが、自分の車でね。今日の午後、ちょうどスケジュール空いていたんですって」

「マジ……すか」


 ーー嘘、だろ……。最悪だ。


 俺の表情を見てか、進藤は非常に申し訳なさそうな顔をする。


「すみません、鈴木先輩。俺、倒れる若菜先輩を受け止めきれなくって」


 俺はポン、と進藤の肩を軽く叩く。


「お前のせいじゃねえよ。気にすんな」


 ーーそう。俺のせいだ。朝一緒に通勤したってのに、具合悪いことに気が付かなかった、俺の。思えば俺は、昨日一昨日と、若菜を色んな意味で無理させていた。


「佐々木先輩、俺、時間休貰って帰っていいっすか?」

「鈴木くんの気持ちはわかるけどね。私に聞かれても権限ないわ。それに、営業報告書あるでしょ。とりあえずそれを終わらせてから上司に掛け合ったらどう?」

「ーーはい」


 今となっては、営業で結果を出して帰ってきた俺自身を後悔してる。

 ……とか言ってても仕方ない。


 俺は全力で、パソコンと向き合った。


 ◆


 なんとか定時より1時間早く帰ることに成功した俺。電車の待ち時間も、電車内も。周りの人には悪いけど自然と震えてしまう貧乏ゆすりが止まらない。


 先輩は、若菜の部屋に入ったのか?

 まさか、手、出してないよな?

 結局は両思いだった2人が付き合った、なんてオチはないよな……⁉︎


 幸せだった昨日からの気持ちが一変、不幸のドン底にいる俺。


 電車がマイホへ着くや否や、全速力で駆けて帰る。


 ーー若菜、無事でいてくれ……!


 ◆


 息も絶え絶えに家についた俺は、なりふり構わずインターホンを連打する。

 駐車場を見渡せば、吉野先輩の白のワンボックスが置いてあるのがわかった。


 ーーまだ、いるんだ。……頼むから手を出すのだけはやめてくれ!


 インターホンに応えて、ガチャリ、と玄関が開く。出てきたのはやっぱり吉野先輩だった。


「先輩、お疲れ様です。……あの、若菜は?」

「今、ようやく寝たところだよ」

「そう、ですか……あの、俺……!」


 吉野先輩はフーッと一息ついて、髪をかき上げた。いつもの温和で爽やかな先輩は、ここにはいない。


「鈴木って、星海ちゃんの何?」

「……彼氏です。だから、入らせてください。そして先輩はお帰りください。今まで若菜を看てていただきありがとうございました」


 先輩の、声のトーンが下がる。


「彼氏って言っても、(仮)、だろ? 星海ちゃんから聞いた」

「そう……ですけど。彼氏は彼氏です」

「ま、確かにそうだな。一応、誤解がないように言っておくが、星海ちゃん、汗をものすごいかいているから、俺が着替えさせた。

 その時、見た。悪いけど。スカーフの下に貼ってあった絆創膏が気になってな。剥がして確認した。……お前だろ? あの首元のキスマーク」


 ーー着替え……させた?


「誤解のないように言っておくが、病人につけ込んで手を出すような真似は、俺はしない。……だから着替えさすにも一苦労だったんだけどな。俺も一応、男だから。」


 ーー俺はの心臓は、ズキン、と痛む。つまりは、先輩は若菜の下着姿を見たってことだ。


「鈴木」

「はい、なんですか?」

「お前に宣戦布告するよ。星海ちゃん、俺も狙ってるから」

「あの……佐々木先輩と付き合ってるんじゃないんですか?」

「なんで佐々木と? まぁ、色々相談に乗ってもらってはいるけどな。そういう、対象じゃない」


 ーーやっぱり、俺たちの勘違いだったのか……!


 口調を変えないまま、吉野先輩は言う。


「事務仕事残ってるし、今日のところは帰るけど、鈴木、病人には手を出すなよ?」

「わかってますよ」


 ーーていうか、先輩、午後フリーっていうのは建前だったのか。仕事ほっぽりだすほど、若菜のこと好きってことなのか。


 爽やかないつもの先輩と違って、先輩は男の顔をしてる。俺ももちろん、同じ顔になってるだろう。


「じゃあ、俺は帰るから。あっ、言っておくけれど、公私混同はナシな。そういうの、周りに迷惑かかるから」

「仕事は仕事、恋愛は恋愛ってことですね」

「そゆこと。じゃ、また明日職場で」

「お疲れ様でした。ありがとうございました」


 俺は先輩を見送ってから、若菜の部屋に入る。


 白を基調とした清楚な部屋。甘いバニラみたいな香りに、要所要所にいるぬいぐるみがまた可愛らしい。


「若菜の部屋って感じだな」


 ーーあぁ、心が落ちつかない。


 先輩がクローゼットを漁り、下着を見たり、パジャマを見たことが、今更だが怒りと焦りが入り混じって落ち着かなくなってきた。


「ん、んん〜。あれ? 雅貴……? 夢?」

「おはよ、若菜。ごめん。寝たばっかりなのに起こしちまったな。調子はどうだ?」

「ごめんね。みんなに迷惑かけちゃった。んとね、まだ多分、熱があると思う」


 若菜はハッとし時計を見る。


「あれ? 雅貴、仕事は?」

「片付けて定時前に上がってきた。若菜が心配だったから」

「ごめんね……。迷惑、かけて」

「迷惑じゃないよ。若菜がすることに、迷惑なんて、1つもないから」


 情けないけど、さすがに、俺の声はカタカタ震えて。心臓は、どんどんと、高鳴っていく。


 吉野先輩とのこと。

 俺から切り出そうか……、そう思ったら、話し始めたのは若菜だった。


「あのね、話さなきゃいけないことがあるの……」


 若菜は枕を抱きしめて、顔を半分隠しながら言った。


 ーーそう、だよな……。


「……うん、聞くよ」


 正直、心の準備なんてできちゃいない。

 けど、俺は……この場から逃げることもしない。

 まだ、諦めてはいないから。



 俺はただ、一縷いちるの望みに、縋るだけだ。



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