第10話 止められない自制心


 本当は、ここまでする気はなかった。

 カレー食べて、談笑して。

 頬にキスくらいできたらいいなって思ってた。


 若菜は、吉野先輩が好きであって、俺はそこにつけこんでいるだけだし。


 ……でも、風呂上がりの香りとか、いつもの私服より気合の入ったワンピースとか、距離感の無防備さとか。そういうの全部ひっくるめて、俺の理性はぶっ飛んだ。


 さっきから、何度も、何度も。

 若菜と『大人のキス』をしてる。

 

 時々、苦しそうに、切なそうに、「んっ」って漏らす若菜の声が愛おしすぎて、また聞きたくて、止まらなくなっていた。正直言うと、もう少し自制が効かなかったら押し倒しているところだ。


 すると、急に若菜が横を向いた。

 若菜の口からは少し唾液が溢れ、完全に涙目になり、トロンとした顔でこちらを見ている。


 ーーだから、やばいんだって。その顔。


 俺の理性は持たなそうだ。

 このまま、ベッドの端ではなくちゃんと上まで連れてって、抱きしめながら、キスしたい。


 ーーと思ったら。


「はあっ、はあっ!」


 若菜の呼吸が乱れていた。

 ーーまさかと思うけど……


「若菜、息してなかったのか?」


 若菜は涙目で、コクンと頷く。

 俺は一気に脱力した。


「息してよ!」

「ど、どうやって……?」


「キスしながら、鼻で息するの。やってみて?」


 俺はもう一度、キスを始めた。

 若菜の手の拘束を解いて、片手を背中に回して。

 もう片方の手で頭を支えてやって、また再びキスをする。

 もっと若菜を感じたくて、俺は若菜を抱っこして膝に座らせ、身体を密着させて、もっと強く抱きしめた。


 ーーやばい、止まらねぇ。


「んっ」


 時々漏れる若菜の吐息に、俺は完全にメロメロだ。このまま先に進もうと思ったその時。


「んんっ。はぁっはぁっ。降参です……」


 と、俺の胸にポスン、と体重を預けてきた。

 若菜の白いうなじが見える。


 ーーまぁ、昨日の今日で、頑張ったよな。


 俺はなんとか自制して、そのまま抱きしめるだけで気持ちのたかぶりが収まるのを待った。


 ーーあぁ、幸せだ。


 若菜はというと、俺の胸の中で「はぁはぁ」と息をしている。本当に息ができなかったんだろう。俺はちょっと、ゴメンと思った。


「ま、雅貴のエッチ……」


 怨みのこもった、若菜の声。


「ゴメンゴメン。だってあまりに若菜が可愛いかったから」


 俺は若菜の口から垂れた唾液をティッシュで拭き取って、最後に軽くキスをした。


「んんっ!」


 ーーもう、だからソレだよ、ソレ。


 俺はなんとか、自制を効かせる。

 そして浮かんだある疑問を、どうしても聞かざるを得なかった。


「若菜、もしかして、キス初めて?」


 ーーコクン、と頷く。


「付き合ったことは?」


 ーーぷるぷるっと、顔を横に張る。


「まじか!」


 若菜はかなりショボンとして、「引くよね?」と聞いてきた。


 俺は若菜の頭をポンポンと撫でる。


「その逆だよ。俺今、すっごい幸せ」

「本当?」

「本当。……だって、若菜の『初めて』、だろ?」

「……うん」


 俺は胸が熱くなる。

 

「俺に『初めて』をくれてありがとう。大好きだよ、若菜」


 俺は強く抱きしめた。


「痛いよ、雅貴」

「ゴメンゴメン。冷めちゃったかもしれないけど、カレー、食うか」

「雅貴……は、『初めて』じゃないの? ……どれくらい? いっぱい?」


 ーーこの質問は。ちょっとは脈アリって思っていいよな?


「若菜、大好きだよ。カレー食べよ?」

「むー。はぐらかしたぁ」

「今俺が好きなのは、若菜だから。後でコンビニで好きなアイスかってやるから、な?」


 若菜の頬は少しぷくっと膨れた。


「じゃあ、マーゲンダッツのキャラメルサンドね?」

「ぷはっ! いいよ。一緒に食べような?」

「子供扱いしてー」

「違うよ、可愛いなって思ってるだけ」

「もー!」


 俺たちはようやく、カレーをゆっくり食べ始めた。


 

 吉野先輩にはまだまだ勝てないかもしれないけど、今日、俺は少しだけ確信を得た気がする。

 地道に頑張れば光は見えるかも。


 俺、頑張ろう。

 仕事も。恋愛も。

 吉野先輩より、好きにさせてやる。


 ーー全ては君を、手に入れるために。

 



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