第6話 2人だけの、秘密の付箋
「お疲れ様です! 鈴木、只今戻りました」
「お疲れ様~」
「おかえりなさーい」
「鈴木、ちょっと来なさい」
「ハイッ」
営業課に戻るなり飯野課長に呼ばれ、今日の営業成績を報告する。
「成果を聞かせてくれ」
「ハイッ。見積もり新規2件取れました。うち1件は継続施設様からのご紹介です。こちらは規模が大型なので、取れれば熱いと思います」
「さすがだな。下がっていいぞ」
「ありがとうございます」
部屋から湧く称賛の声。
みんなに褒めてもらえるのは、ありがたい。
今日みたいに、大口が取れそう場合は特に。
俺は壁面に設置された営業職共通のウィークリーボードに予定を記入していく。
「鈴木、さすがだな」
話しかけてきたのは、吉野先輩だった。
言われて俺は、吉野先輩が埋めていくスケジュール表に釘付けになる。
先輩も、ボードに予定を記入していっている。
ーー先輩は、4件か……。相変わらず、すごい。
「先輩のほうかすごいじゃないですか」
「そんなことないよ。俺の方は小口ばかりだったからね」
相変わらず、戦績を鼻にかけない謙虚さがある。
これが多分、大人の余裕ってやつか。
ーー負けてられねぇ。
それに、早く報告書を記入して、意地でも定時に上がらなぇと。
それには俺なりの、立派な理由がある。
◇
「お疲れ様です。お茶かコーヒーいかがですか?」
部屋に入ってきたのは、若菜だった。
事務職は15時になると、輪番制で飲み物とお茶菓子を用意してくれることになっている。
これが俺の、癒しの時間。
「お疲れ様。雅貴はブラックコーヒーでいいかな?」
「あぁ、いつもありがとう」
本当はもっと話したいところだが、さすがに勤務中は控えてる。それに俺が目指しているのは
定時に上がる若菜と一緒に帰るためだ。
ーーカタカタカタカタ……。
早く終わらせなければと、自然とキーボードに打ち込む指の力も力強くなる。
「吉野先輩は、ミルク多めのコーヒーでいいですか?」
「さすが星海ちゃん、わかってるね。ありがとう」
「恐縮です。今お持ちしますね」
ーーはぁ。吉野先輩と俺の席は離れてるっていうのに、どうしても聞き耳立てちゃうんだよな。業務上仕方ないとはいえ、俺って小さい男。
まぁ、後でお仕置きの続きするけどな。
◇
若菜がカートを押して戻ってくる。
全員の注文を聞いた後、飲み物やらお菓子を準備してカートに乗せてやってくるのだ。
「星海さん、ありがとう」
「疲れた身体に沁み渡るよ~!」
「そう言っていただけると、お飲み物ご用意する意欲が湧きますね」
「「癒しだわ~」」
「えっ、からかわないでくださいよ~」
ーーはぁ。ため息吐きたくなる。
若菜は気がついていないだけで、実は営業職からめちゃくちゃ人気があるんだ。しかも(建前上)フリーときてる。
あんな可愛さでフリーなら、狙わない男はいないだろう。俺
「はい、雅貴の分。お疲れ様」
「ああ、ありがとう。あとこれ、頼んでいいかな?」
俺は若菜にしれっと付箋を渡した。
若菜は付箋を見てギョッとする。
そして、「は、はい!」と言ってそそくさと事務室に戻って行ってしまった。
ーーちょっと意地悪がすぎたかな。
でもこれくらいしないと、若菜、鈍いから。
今頃若菜は付箋を握って顔を真っ赤にしている頃だろう。
「さてと! 後少し、頑張りますか!」
若菜の淹れてくれたコーヒーで気合いを入れてーー! ーー絶対定時に上がってやる!
◇
「よっ、お疲れ様。帰ろうぜ、若菜」
「う、うん……」
就業のチャイムと同時にパソコンを切った俺。
なんとか間に合って廊下で若菜を待ってた。
俺はよっぽどのことがない限り、定時に上がるようにしてる。それは、若菜と帰りたいからっていうことでもあるけれど、基本、仕事は仕事の時間中にしたい派な俺は、コスパの悪い仕事の仕方が嫌いなんだ。
同じく仕事上がりの人たちに声をかけつつ、2人並んで駅に向かう。付き合う前も、今も。これは昔から変わらない。
違うのは、いつもはお喋りが大好きな若菜が、俯いて黙っていることくらいかな。
「若菜、さっきの付箋のこと、覚えてるよな?」
「うっ、うん……」
「ベランダじゃ、ダメ?」
「ダーメ! 先輩とまた話してただろ?」
「でもあれは、業務上仕方なかったことでっ……」
若菜は不満そうに声を上げる。
そりゃそうだ。業務上仕方ないことだって俺もわらかってる。でも俺は卑怯だから、それすらネタにして、若菜の心をこれでもかと揺さぶるんだ。
それにしても。
なんなんだ? この可愛い生き物は。
俺は、抗議する若菜すら可愛くて、業務上だからとはいえ許してやれない(もともと許す気もないけど)。
「会議室で言っただろ? 先輩と話したら、お仕置き、するって」
「本当にするの? お、お仕置き……」
俺はポケットに手を入れて、少ししゃがんで若菜と目を合わせる。
「もちろん。するからな? 今日帰宅したら俺の部屋に来ること。いいな?」
目を見開いて、顔を染め上げる若菜。
俺は、こういう不意打ちに本当に弱い。
道中だっていうのに、抱きしめたくて仕方ない。
「え、えっt……なこと、……ごにょごにょ……しないでね? さっきみたいな、ああいうの」
「それはどうかな?」
「えええええ⁉︎」
「若菜次第かな」
「私次第っ⁉︎」
若菜が驚く顔すら、俺の心を揺さぶってくる。
「とりあえずご飯できたら呼ぶから。それまでに支度しておけよ?」
「う、うん、わかった」
俺は
といっても、料理下手な俺はカレーくらいしか作れないけど。
もっと練習しなきゃな。
◯ーグル先生に弟子入りしねぇと。
◇
俺たちの最寄駅に着いた俺たち。
俺が手を繋ごうとした瞬間、
「そうだ!」
と若菜が声を上げる。
「びっくりした! どうした? 若菜」
若菜は、俺のワイシャツの裾をキュッと掴む。
それで俯いて、目は合わせない。
「今日のお弁当、おいしかったよ。ありがとう」
照れくさそうに顔を上げて、ほんのりピンクに頬を染めた若菜の笑顔。
「(我慢)……できっかなぁ」
「ん?」
「いや、こっちの話」
「変な雅貴」
と言って、えへへと笑う。
わかってんだかわかってないんだか。
まぁ、そんなところも好きなんだけどさ。
俺は若菜の手を取り、指を絡める。
「ひゃっ! 恥ずかしいよ」
「そのほうが、俺のことで頭いっぱいになるだろ?」
「そ、だけど……」
「せいぜい俺のことで頭いっぱいにしてください。『カノジョ』さん?」
「う……ハイ……」
素直すぎかっ!
反抗しないんかいっ。
ーーあぁ、もう、本当に。
俺は若菜に翻弄されっぱなしだ。
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