第36話 急展開
始業のチャイムが鳴った。
若菜も水澤さんからしっかりこってり絞られてきたことだろう。
まぁ、水澤さんに絞られたからって、若菜のことだから、昨日の夜以上のことを求めるのは無理そうだけど。恋愛に疎い若菜が、俺たちのために進もうとしてくれてることはわかるから。つい「絞ってやってくれ」なんて言ったけれど、本当は頑張ってくれてるな、って思ってる。
「あー、みんな前に集まってほしい」
毎朝恒例の朝礼だ。
営業課長の号令のもと、俺ら営業職は席を立った。
「入りたまえ」
今日は営業職だけじゃないみたいだ。若菜たち事務職もズラズラと入ってきた。
すっきりした顔をしている水澤さんと対照に、ずーんとした表情をしている若菜。あんなに青ざめた顔しちゃって。ごめんな、若菜。
事務職がーーいや、若菜が部屋に入ってきたと同時に、いろめき立つ営業職のフリーども。
「チッ」
もう朝礼は始まってるとはいえ、気づいてしまった俺は舌打ちを我慢できなかった。最小限の音に留めたつもりだけれど。
おそらくは、若菜のパンツルックだろう。若菜は一際、注目を集めている。その気持ちもわかるけどな。……あれだけ可愛いんだから。
ーー本当は誰にも見せたくない。ベットフレームに手錠をつけて、部屋に閉じ込めてしまいたい……。そして無抵抗な若菜を、めちゃくちゃにしたい。
俺は気になり先輩の方を見てみるが、さすが先輩、ポーカーフェイスは崩さない。というよりかは、若菜ではなく課長を見ている。先輩を見て俺は
そうだ、今は朝礼だったのだと。
「今日はみんなに大事な発表がある。来なさい、吉野くん」
「はいっ」
「ついに昇進かな」
「営業成績トップだもんな」
とみんな好き勝手に騒いだが、俺もそう思った。なんせ俺も仕事のうえでは尊敬している
「残念なお知らせがある。吉野くんだが、明日をもって退職することになった」
「「「ええええええ」」」
部屋の中が、どよめき立つ。
「急な発表となってしまいすみません。急遽叔父の会社を継ぐこととなり、海外に行くことになりました。皆様には大変お世話になりました。もう明日しか一緒に仕事ができませんが、どうぞ仲良くしてやってください。よろしくお願いします」
ーー嘘、だろ?
昨日とか、何も言ってなかったじゃないか。
昨日話してくれた、ご両親を亡くされた時に助けてくれた叔父さんが体調でも崩されたんだろうか……。
俺は、いろいろな出来事に辻褄が合った。
(仮)とはいえ、俺という彼氏がいる若菜に強引に迫ってきていること。そのうえ告白したこと……。急に3人で住もうとか言い出したのも。昨日だって若菜をめちゃくちゃにしようとしてたこと。
気遣いができる先輩がたとえ若菜を愛しているからって、そこまでするのか、とも思っていたんだ。
心の片隅で……。
もしかして、叔父さんがもともと体調を崩していて、心の準備をしておいてくれ、と言われたから若菜へのちょっと強引とも思えるアピールを始めたんじゃないか?
そう考えれば、辻褄が合う。
逆の立場だったら、俺でも同じことをしたかとしれない。ーーだって、一度限りの人生なんだから。
ーー若菜、若菜は……大丈夫だろうか。
若菜は俯いているだけで、泣いてはいなかった。
そうだよな、若菜。
プライベートでは泣き虫だけど、仕事とプライベートは分けられるヤツだもんな。偉いよ。
「以上、朝礼を終わりとする。先に戻りたまえ」
「皆さん、お時間いただいてありがとうございました」
事務職の社員は、泣きながら事務室へ戻ってく人もいた。……多分、好きなんだろうな、先輩が。佐々木先輩も、泣いていた。
ーー佐々木先輩も知らされてなかったってことか。本当に急な出来事だったんだな。
自席に戻る過程で、俺は先輩にポン、と肩を叩かれた。
「ちょっと先外せるか?」
「もちろんです」
◇
俺たちは空いている会議室に入り、鍵をかけた。
「ごめんな、鈴木」
重たい空気の中、先に話し始めたのは先輩だった。
「仕事辞めること、話してくれなかったことですか?」
「それもそうだけど……若菜ちゃんのことだよ」
「先輩の境遇聞いて、何となく推測できちゃいました。叔父さん、もしかして少し前あたりから体調崩されてたんじゃないですか?」
先輩は、ポケットに手を突っ込み、フーッと息を吐く。
「ご明察。さすが、鈴木だよ。ちょっと前から体調崩しててね。経営して
ーーやっぱりそうか、と俺は思う。
先輩の家が、どう考えても大地主の家だったからだ。ご両親は会社経営者だったのか。しかも、海外の。
「本来は、(仮)とはいえ、彼氏のいる若菜ちゃんに迫っていい理由なんて、俺にはなかったんだ。……だけど、一度きりの人生だから、後悔したくなくてね」
「わかります。俺でもそうしたと思いますよ。だから、その話はいいんです。俺が聞きたいのは……」
先輩は壁に背をついて俺を見る。
「若菜ちゃんをどうするのかだろ? その話の前に言いたいことがあって。実は、課長には前々から話してあってね。叔父が倒れた場合、会社を急遽やめることになるって。社会人なら言うべきだろ? 最低でも1ヶ月前には」
「そうっすよね」
「でも、その頃はまだ実感がわかなかった。あの、若かった叔父さんが? ってね。でも、本格的に通院始めたって連絡があって。それからなんだ。若菜ちゃんにアピールさせてもらい始めたのは」
「そうだったんすね」
ーー一応、先輩の中にはあったんだな、やっぱり。俺や若菜への申し訳なさが。
「それで、いつ発つんですか」
「チケットが取れたんだ。3日後だよ」
「3日後⁉︎ 叔父さん、そんなに体調悪いんですか? ……あ、すみません」
「いいんだよ。驚くのだって当然だから。何せ一番驚いているのは俺だからね」
「もしかして、取ったチケット2枚、ですか?」
「そのとおりだよ」
「それを予め、若菜ちゃんに話す前に、鈴木に話させてもらった。聞いてくれてありがとう、鈴木。
……やめろって、止めないんだな」
俺は、少し間を開けて答える。
「仕方ないですよ。俺は若菜の幸せを優先したいですから。ついて行くのか行かないのかを、決めるのは本人だ」
「鈴木……ありがとう。若菜ちゃんのためにしてる鈴木の判断だっていうのは重々承知のうえだ。それでも、ありがとう」
「仕事は……どうするんすか。引き継ぎ諸々」
「俺はさ、極端な話するけど、いつ死んでもいいような仕事を徹底してるんだ。吉野が急に休んだ、死んだ、吉野がいなきゃわからないっていう仕事の仕方が嫌いでね。いついなくなったとしても、誰にでもわかるようにまとめてあるから、大きくは迷惑をかけないつもりだ。担当変えの際の顧客対応は迷惑かけるけど」
「それは誰にでもあることですから」
「まぁ、な……。それに、俺の背中を見て育ってくれた可愛い後輩が引っ張って行ってくれると思ってる。な、鈴木?」
「かいかぶりすぎっすよ」
俺は先輩がなでなでしてくれてる手をサッと振り払った。
「若菜にはいつ言うんすか? 今日の夜、鈴木の前で。嫌だろ? 自分の知らないところで進められるの」
「そうっすね……できれば」
「それでその後、家に送っていくよ。1日だけとはいえ、一緒に住めて楽しかった」
「荷造りがありますもんね。わかりました」
「じゃあ俺、先戻ります」
「ああ。……ごめん。ありがとうな」
俺は会議室を後にした。
多分、今先輩は泣いているから。
もっとずっと、ここにいたいっていう気持ちが嫌っていうほど伝わってきたから。
苦しい気持ちは、痛いほどわかるから。
それにーー俺は今、若菜がどういった決断を下すのかで頭がいっぱいだ。
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