第14話 歩夢ルート
◯西園寺さんについていく
「西園寺さんと一緒に行こうかな」
「流石ですわ。寛さんには私の騎士の称号を差し上げましょう」
「それじゃあ分担も決まったところで、調査に入るっしょ」
「みんなくれぐれも気をつけてね。オカルト現象はウチらのすぐそばに……」
「ど、どうしてそんな怖がらせるようなことを言うのですの!」
「めぐちゃん先輩のあほー」
「今くらいオカルト要素を盛り込んだっていいじゃん! とはいえ変なことがあったらすぐに大声出して逃げるんだよ」
「なんでー?」
「ウチも見たいからに決まってるっしょ!」
「酷い理由ですわ……」
「とにかく、行くよ! しゅっぱーつ!」
「おー」
*
[音楽室]
暗い特別棟の廊下を進む。
2階の1番奥の部屋が二高の音楽室になっているようだった。
教室に入ると、音楽室特有の少し埃っぽい匂いが鼻腔を撫でた。
音楽室は他の教室と違ってカーペットが敷かれているからそこから埃が舞っているんだろうか。
音楽室に入ると西園寺さんが肩を抱えて小刻みに震える。
「す、少し寒くはありませんこと……?」
「そうかな? うーん確かに寒いといえば少し寒いかもしれないね」
「あっ、あそこを見て。窓がちょっと開いてる」
「あら、本当ですわ。それで夜風が入ってきていたのですわね」
「閉めてくるよ」
僕はそうして窓ガラスへと歩いていく。
音楽室は靴を脱いているため、カーペットの感触が足へと直に伝わる。なんだか不思議な気分だ。
窓を閉めて鍵を閉めた。ついでに他の窓も鍵がかかっているかチェックする。
もしかすると不審者はこの様な雑な戸締りの隙を狙って忍び込んでいるのかもしれない。
全て締め終わったところで、僕は窓ガラスに映った自分を見る。
せっかくだから髪型とかも確認しておこう。こういう機会じゃないと余りすることもないし。
窓に映るのは、いつも通り、変わり映えのない無難な僕だった。
「寛さん、まだですの?」
「ああ、ごめん。もう締め終わったよ」
西園寺さんに呼ばれて彼女の元へと向かう。
「それで、私たちの調査は何をすればよいのですの?」
「僕たちの担当は『音楽室のピアノ』だったよね。確認するね」
「先輩の指示によると、ボイスレコーダーを音楽室に設置するだけで終わりみたいだよ。ボイスレコーダーは明日回収するんだって」
「あら、それだけですの? ではすぐ終わりですわね」
西園寺さんはどこかほっとした様子で、小さくため息をついた。
「ボイスレコーダーの設定は……」
「私がやりますわ」
「西園寺さん分かるの?」
「ええ、よく使っていますもの」
そういうと西園寺さんは手慣れた手付きでボイスレコーダーをいじる。
ものの数十秒で設定は完了してしまった。
「ボイスレコーダーなんてどこで使うの? まさかその……法に触れるような……」
「バカなことを言わないでくださいませ。もちろんピアノのお稽古に決まっているでしょう」
「そ、そうだよね」
「自分が弾いているときに聴いている音と、後から聴く音ではかなりの違いがありますのよ。ですから、練習でよく使うのですわ」
「へー、そうなんだ。ピアノ……というか楽器なんて弾くことないから知らなかった」
「寛さんはピアノは弾けますの?」
「いいや全然弾けないよ。猫ふんじゃったぐらいなら弾けるけど」
「あら、それは素晴らしいことですわ。ではせっかくボイスレコーダーがあるのですから、少し実験してみますわよ」
そういうと西園寺さんはピアノの鍵盤の蓋を開ける。
白と黒の鍵盤がズラッと並んでいる。月明かりに照らされそれらは輝いていた。
「弾いてみてくださいまし。録音しておきますから」
「ええっ!? 今から!?」
「今からですわ。寛さんにも私と同じ景色をみてもらいたいですから」
「同じ景色って大袈裟な……でもわかったよ。何事も挑戦だね」
僕はそうしてグランドピアノの椅子に座る。
僕は昔から大抵なんでも楽しめてしまう性格だ。ピアノを弾く機会なんて人生で一度あったかないかくらいだけど、弾いてみたら案外面白いかもしれない。
「それでは弾いてみてください」
西園寺さんはボイスレコーダーのスイッチを入れるとそれをピアノの上に置く。
うっ……録音されていると思うとなんだか緊張してきた。ぶっつけ本番だけど頑張るぞ。
僕は幼稚園の頃に鍵盤ハーモニカで弾いた記憶を辿る。
確かあの頃は鍵盤の数が足りなくて猫ふんじゃったの一部の音が出なかったっけ。
目の前にあるピアノはそんなこと心配ご無用、88個の鍵盤がズラッと並んでいる。
一度深呼吸して心を整えてから、僕は鍵盤に指を走らせる。
──♪──♪──♪
もう何十年も前のことだろうに指は覚えているようで、無意識のうちに指は動いた。
ただピアノの鍵盤は鍵盤ハーモニカのそれと違いズッシリとしていて弾きにくい。ただ、その感触が新鮮で少し面白かった。
よし、良い調子だ。押し間違いとかもないし、テンポもずれてないと思う。
最後まで引き終えたところで、ホッと胸を撫で下ろす。
短時間だったけど、手に汗をかいてしまった。
「西園寺さん、終わったよ。どうだった?」
「さて、どうでしょう? 早速聴いてみますわよ」
西園寺さんはどこか悪い笑顔を浮かべてそう言った。
ボイスレコーダーを操作すると、先ほどの僕の演奏が流れ出す。
──♪──♪──♪
「えっ……こんな感じだっけ」
「ふふっ、意外ですわよね。自分で弾いているときにはあまり気が付かないものなのですわ」
僕はボイスレコーダーの前で目を丸くする。
録音された僕の猫ふんじゃったはお世辞にも上手とは程遠いものだったのだ。
テンポもおかしいし、音が大きかったり小さかったりかなりまばら。
弾いているときには何もおかしいところはないと感じていたけど、実際に聞いてみるとあまりに辿々しい演奏だったことを認めざるを得なかった。
「確かにその通りだね……なんだか恥ずかしくなってきた」
「初めてなのですからそこまで恥ずかしがる必要はありませんわよ。むしろ、寛さんの演奏は初めてにしては上出来だと思いますわ」
「あはは……ありがとう、西園寺さん」
「でも不思議だね」
「何がですの?」
「ほら、音源……つまりピアノから僕の耳までの距離とボイスレコーダーまでの距離って大差ないでしょ?それなのに聞こえ方がこんなに違うからさ」
「そういうことですの。私、あまり科学的なことはわかりませんが、違って聞こえるのは気持ちの問題だと思いますわ」
「気持ち……?」
「ええ。人間、誰しも頭の中の妄想を現実に重ねてしまうものなのだと思いますの。きっと寛さんは上手に弾けている自分……というよりも上手な『猫ふんじゃった』を想像しながら弾いていたのではなくて?」
「あっ……そういえばそうかも……」
西園寺さんの説はかなり的を射ていると感じた。
実際、ピアノを弾いているとき頭の中でそんなことをしていたと思う。
「だから思ったより下手だったんだ。すごく納得がいったよ」
「寛さんも練習を続ければ、頭の中にある綺麗な音楽を奏でられるようになると思いますわ。とにかく練習あるのみですわね」
「完全初心者だけど、僕も頑張ったら弾けるようになるかな?」
「ええ、人には叶えられる理想と叶えられない理想があると思いますが、『猫ふんじゃった』を上手に弾けるようになるというのは比較的叶えられる理想だと思いますわよ」
「あはは……それもそうだね」
僕は笑いながら相槌を打つ。
確かに猫ふんじゃったは叶えられる理想だろう。今でもそれなりに弾けるし、1ヶ月練習すれば他の人から聞いても上手なレベルにはなれそうだ。
「ちなみに叶えられない理想ってどんなのがあるかな?」
「音楽でいえば『絶対音感を身につける』とかはそれに当たると思いますわね。もちろん、練習を積んで身につけられる人はいるのでしょうけど、みんながみんな身につけられるとは思いませんわ」
「なるほど、絶対音感ね。確かにそれって才能ある人が持ってるものってイメージがあるよね」
「ちなみに、私は音楽のセンスはありませんので絶対音感、ついでにいえば相対音感もありませんわ。私がピアノを弾けるのは、単に譜面の暗記ですわね」
「ですから寛さんも、猫ふんじゃったとは言わず、もっと難しい曲も弾けるようになると思いますわよ。センスのない私に出来るのですから、寛さんならきっと余裕ですわ」
「そんな僕なんて……」
そこで僕は言葉を止める。
「どうかしましたの?」
「いや、もし本当に僕が西園寺さんよりピアノのセンスがあったとしたら失礼だなって思って」
「ふふっ……そこまで気にしなくてもよろしくてよ。私、センスがないことは悪いことではないと思っていますから」
「普通、人は手が届きそうな夢を見るものです。手の届かない理想は初めから諦めるものですわ」
「私がこうして楽しくピアノを続けられているのは、ある意味私自身のセンスのなさによるところが大きいと思いますの」
「私に才能があったらコンクールで入賞するなどの欲が生まれて、純粋にピアノを楽しめなくなっていたかもしれませんわね」
彼女の言葉はとても頷ける内容だった。
僕自身、西園寺さんと似たような考えを持っている。
ただ一つ違うところがあれば……
僕がそんなことを考えていると西園寺さんは何やら神妙な面持ちでピアノを見つめていた。
「そうですわ。もし寛さんが先ほどの発言を失礼に思うのでしたら、実際に練習してみて自分のセンスを確かめてみるのはいかがでしょうか?」
「センスを確かめる……?」
「私が今から課題曲を弾いて差し上げますわ。寛さんはそれが弾けるよう練習してみるのです」
西園寺さんはグランドピアノの椅子に座る。
月明かりで、彼女の細い髪が輝いた。
「私、寛さんにはとても感謝していますの」
「突然どうしたのそんなに改まって」
「皆さんには隠していたのですが、私、実は……怖いものがとても苦手なのですわ」
「そ、そうなんだ」
バレバレの事実を告げてきた。
「ですから今この瞬間、寛さんの存在は私にとって大きなものなのですのよ?」
「それに、それだけではありませんわ。勉強合宿では寛さんのお陰で赤点を回避しましたし、部活以外でも寛さんは普段から私とお話ししてくださるでしょう?」
「それはそうだよ。だって西園寺さんは僕の友達だしね」
「ありがとうございますわ。ところで寛さんは、私が寛さん以外と話しているのを目にしたことがありまして?」
「えっ……どうだろう。少なくとも僕の観測範囲では……ないかな」
「当然ですわ。私、クラスに寛さん以外の友人がいませんもの。どうして私に友人がいないのか……これこそ七不思議ですわ」
「えええ!? そうだったの!?」
そんな……まさか西園寺さんも僕と同じ状況だったなんて。
「ちなみに、寛さんも私以外のクラスメイトと話すことはありませんわね。転校生という目新しさを失った寛さんはクラスで微妙な立ち位置になりつつあることを、私は知っていますわ」
「最近の僕の悩みがバレてる!?ちょっと辛辣すぎない!?」
「ふふふっ……寛さんの悩みなどお見通しですわ。私、寛さんのことよく見てますもの」
ちくしょう……ちょっと気にしていたのに!
「ですから、これから寛さんに与える課題は、私からの日頃の感謝のお返しですわ」
西園寺さんはニコッと僕に笑いかける。
「だって寛さん──」
「何かに打ち込んだりしたことがないでしょう?」
そして西園寺さんはピアノに指を走らせる。
夜の音楽室に彼女の旋律が響く。
確かに音は聞こえる。だけど僕の脳内はそれどころではなかった。
彼女のいう通りだ。僕は……何かに打ち込んだことがない。
何をやってもそこそこにできる、そこそこに楽しめる。
だから何もかもほどほどに、そういう人生を送ってきた。
だって人生は全て……
戸惑いを心の奥に押し込めると、段々と西園寺さんの曲が身体の中に入ってくる。
西園寺さんの弾く曲は少し悲しげな曲だった。
悲壮感が漂いつつも、それでいて希望が垣間見える不思議な曲だ。
演奏が終わり、西園寺さんは席を立つ。そして、スカートの端を摘んでお辞儀をした。
着ているのは制服だけど、まるで純白のドレスを纏っているかのような存在感がそこにはあった。
「いかがでしたか、寛さん? 上手に弾けていたでしょう?」
「う、うん。すごく綺麗だった。思わず固まってしまったよ」
「あら、それは嬉しいですわね。練習した甲斐がありましたわね」
「なんて曲を弾いたの? 僕、こういうクラシック?みたいな曲は疎くて……」
「シューベルトの白鳥の歌より『セレナーデ』ですわ。ジャンルはタイトル通り小夜曲ですわね」
「小夜曲? 洋楽・邦楽とかじゃなくてそういうのがあるんだ」
「ええ。寛さんも交響曲とかは知っているでしょう?」
「ああ、そういうのあったね。ヴェートーベンの『第九』とかの話だったんだ」
「はい。実は小夜曲はそれとは全然違う概念ですわ」
「ええ!? じゃあなんで交響曲持ち出したの!?」
「印象に残りやすいと思ったからですわ」
西園寺さんはクスクスと笑った。
彼女は席を立つと、僕にピアノの前に座るよう促した。
「交響曲は楽器の編成や曲の型を示しているのです。小夜曲は最初に言った通りジャンルの話ですわ。鎮魂歌、夜想曲……夏曲やラブソングがこれに当たりますわね」
「あっ、それならわかるかも」
鎮魂歌なら僕もわかる。読んで字の如く魂を鎮める──つまり死者を弔うための歌だ。
夜想曲が何かは知らないけど、夏曲やラブソングの例はわかりやすい。
この曲はどのような状況で歌うものなのかというのがおおよそイメージされているということだろう。
「それで、その小夜曲……西園寺さんが弾いた曲はどんなジャンルの曲だったのかな?」
「簡単にいえばラブソングですわ」
「ラブソング!?」
思わず声が裏返る。
西園寺さんは夜の学校で……というか僕に向けてラブソングを弾いたというのか。
もしかして、もしかすると……僕は今……告白的なものをされているのだろうか。
どうしよう。好きか嫌いかでいえば西園寺さんは好き寄りの人間だ。だけど彼女と恋人になる想像なんて今までしたことない。
どうやって返せば……僕も何か洒落た方法でお返しをしないと……って無理だ。僕にはそんな知識はない。
月やら星やらが綺麗だったりそんな比喩で恋愛感情を表現する手法があるとか聞いたことあるけど、やんわりと断る方法なんて知らない。それに適当な知識をひけらかして間違っていてでもしたら赤っ恥だ。
「へ、へぇ……そうだったんだ。意外だね、西園寺さんがラブソングを弾くなんて」
「ん? もしかして、私が寛さんにラブソングを送ったと思っているのですか?」
「違うの!?」
わざとらしく驚くと、彼女はため息をついた。
「違いますわ。最初に説明したではありませんか。これは寛さんへの課題だと」
「そういえばそんなこと言ってたっけ……」
衝撃的なセリフで忘れていた。そうだった。西園寺さんは僕に何か打ち込むものを与えると言ってこの曲を弾いたのだった。
「ですから、私が寛さんに送るのではありませんわ。寛さんが、私に送るのです」
「これから私は寛さんの練習に付き合ってあげることになりますわ。半年……1年……いえ卒業までかかるかもしれませんわね」
「そしてそんな長い時間、一緒に時を過ごせば──きっと寛さんは私のこと好いてしまうでしょう?」
西園寺さんはそう微笑みかける。
月光に照らされた彼女の笑顔に、僕は思わずドキッとしてしまう。
恥ずかしくなり視線を逸らす。そらした先には鍵盤が並んでいた。
今まさに僕がピアノの前に向き合っているように──きっと近い未来、僕はこの曲を弾けるようになって西園寺さんに聞いてもらうことになるだろう。
ピアノの話は西園寺さんが善意で言ってくれているだけで、別にそれに従う必要はない。
かといって、この提示された課題に取り組まない理由もない。
何せ僕は『やってみればなんでも楽しめる性格』なのだ。
ピアノが弾けるようになるなんてどれくらいかかるかわからない。西園寺さんのいう通り、卒業までかかってしまうかもしれないし、それ以上かもしれない。
だけどそれでいい。無意味で非効率で報われるかなんてわからない。僕1人だったら、一生『挑戦』なんてものをしないだろうから。
「あはは……課題曲は別のにしてもらっても大丈夫? ほら鎮魂歌とかで」
「あらまあ、なんて失礼な! 寛さんは私にラブソングを送りたくありませんの!?」
「なんでそんな自身満々なの!?」
「とはいえ、考えておきますわ。私の気が変われば、寛さんに鎮魂歌を送って差し上げましょう」
「僕が弔われてる感じに!?」
全く。今日は最後まで西園寺さんに振り回されっぱなしだった。
ボイスレコーダーをピアノの上に置いて、僕らの『音楽室のピアノ』調査は幕を閉じるのだった。
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