第14話 ひなルート

◯ひなについていく

 

「ひなと一緒に行こうかな」


「あはー、センパイ大好きー」


「それじゃあ分担も決まったところで、調査に入るっしょ」


「みんなくれぐれも気をつけてね。オカルト現象はウチらのすぐそばに……」


「ど、どうしてそんな怖がらせるようなことを言うのですの!」


「めぐちゃん先輩のあほー」


「今くらいオカルト要素を盛り込んだっていいじゃん! とはいえ変なことがあったらすぐに大声出して逃げるんだよ」


「なんでー?」


「ウチも見たいからに決まってるっしょ!」


「酷い理由ですわ……」


「とにかく、行くよ! しゅっぱーつ!」


「おー」



 *



[理科室]


 調査に入り、僕とひなは理科室にやってきた。どうやら二高の理科室は1階にあるらしい。


 特別棟に入って左に曲がるとすぐに理科室に到着した。


 中に入ると、理科室特有の薬品の匂いが鼻の奥に突き抜ける。


「むー、ちょっと臭いねー。ひなあんまり好きじゃないー」


「そうだね。僕も好きではないかな」


「というか、それだったらひな理科室じゃないやつの方がよかったかもね」


「あはー、そうかもー」


「センパイくん、センパイくん」

 

 ひなはツンツンと僕の肩を突く。

 

「どうしたの」


「もしひなが美術室の調査だったら、センパイは着いてきてくれたー?」


「うーんそうだね。ひなが心配だから着いて行ったと思うよ」


 するとひなは嬉しそうに僕の腕にハグをした。

 

「ふふふー、ありがとー。それでこそひなのセンパイなのじゃー」


 ひなの柔らかな胸の感触が腕に伝わる。


 子供みたいな言動しながらなんて凶悪なものを……って僕も子供か。


 内心穏やかではないけど、女子3人の部活だ。あまり下心を見せてしまっては良くない。

 冷静を装って僕は彼女に応える。

 

「はいはい。そんなに褒めても何もでないよ。それより早く調査を始めよう」

 

「はーい」


 ひなは僕の腕から離れるとフラフラと理科室の棚を見に行ってしまった。


 全く自由奔放な後輩だこと。


 ひなのことはさておき、僕は理科室をぐるりと見渡した。


 広い机に、机ごとに設置された水道。棚にはビーカーなどの機材が詰まっている。至って普通の理科室だ。


 理科室というと怪しげな薬品とかがあるイメージだけど、実際には生徒の届く場所に薬品を置くことは稀。

 少なくとも、僕がこれまで見てきた理科室はそうだし、二高のもそうみたいだ。


 そして僕は、お目当てのあいつを発見する。


「人体模型……ちょっと不気味だな」


 半分肉体がついた怪奇なそれを見て、僕は背筋に寒気を感じた。


 別にオカルトの類いを信じている訳ではないけど、夜の学校というシチュエーションが模型の不気味さを後押しした。

 

「よし。それで調査の方法は……」 


 理科室探検をしているひなは一旦おいておいて、僕は先輩からもらった紙に目を通す。


「ええっと……調査方法はカメラの設置ね。カメラは……ああ、この袋の中身はカメラだったんだ」


 同じく先輩から手渡された袋を開けると、中には一台のカメラ。


 デジタルなカメラで電源を入れてみると充電はしっかりされていた。

 

「なるほど、録画時間の指定をするんだ。指定の時間は3時間……と」


 デジカメを触るのは初めてだ。


 しばらくデジカメと戦ってみたはいいものの、どうにもうまくいかない。


「あれ? 設定は開けたけど録画の設定が見つからない……」


「うーむ……どうしようか」


 このままデジカメをいじっていれば、いつかは設定画面が見つかるとは思うけど、効率は良くないだろう。


 ダメ元でひなに聞いてみようか。

 

「ひな、デジカメの操作について聞きたいんだけど……って何してるの!?」


 少し目を離した隙に、ひなはガスバーナーのセッティングに取り掛かっていた。

 

「あはー、バレちゃったー」


「バレちゃったじゃないよ。まさかお菓子でも焼こうとか考えてるんじゃないよね」


「ふふふ……センパイ甘いのだー。いつものひなだったら、確かにスモアとかで満足してたかもー」


「スモアって何……?」


「あのねー、焼いたマシュマロとチョコをビスケットに挟むお菓子だよー」


「何その美味しそうなお菓子は!?」


 マシュマロとチョコとビスケット普通に合わせるだけでも美味しいのにそれを焼いて挟むだって!?


 トロトロになったマシュマロが、そしてその熱で軽く溶けたチョコレートが、ビスケットと最高の調和を生み出す様子を想像し、僕は思わずゴクリと唾を飲む。


「美味しいよー。用意してあるから後でスモアもやろー」


「なんて良くできた後輩なんだ!」


 いや待て。そうじゃない。ひなのペースに乗せられているぞ。


 先輩としてひなの暴走を止めなければならないというのに、何を考えているだ僕は。


 そんな感じに自戒をしていると、ひなは次にどこからか金属のお玉を取り出した。

 

「ちょっと何でお玉なんて持ってきてるの! まさか味噌汁とか作ろうとしてる?」


「ひなそんなヘルシーなもの飲まないー」


「なんて健康意識の低い発言!」


「えへへー、嘘ー。ひな味噌汁も好きだよー。でも、このお玉は味噌汁用ではないのだよー」

 

 そして、ひなはポケットから白い粉の入った瓶を大小2つ取り出した。

 

「センパイ、これなんだと思うー?」


「えっ……何かヤバい薬……じゃないよね?」


「違うよー。これはねーお砂糖だよー。小さい方は重曹」


 ひなは悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう言う。

 

 砂糖と重曹……それに金属のお玉。ここまで情報が揃えば、彼女のやろうとしていることは僕にも分かった。


「ふふふー、センパイの考えてる通りだよー。ひなはねー、今日『カルメ焼き』を作りに来たのー」


 理科の授業の定番の実験『カルメ焼き』。これは重曹──つまり炭酸水素ナトリウムを加熱することによって二酸化炭素を発生させ、砂糖を膨らませる実験だ。


 定番とは言ったけど、最近ではカルメ焼きをする学校も減ってきていると聞く。僕の通っていた中学校ではたまたま中1で『カルメ焼き』を作って食べたからこの実験はかなり印象に残っていた。


「テスト終わってからねー、ひな理科の勉強しようと思って中学校の教科書読んだんだー」


「それでね、読んでたらこの『カルメ焼き』の実験が載ってー、すっごくやりたくなっちゃったんだよねー」


「だからー、七不思議調べるので理科室入れるって知ってから準備してたのー。ひな頭いいでしょー」


「なんて行動力! でもほら東風谷先輩は今回の調査は時間をかけないって……」


「えー! やだやだー! せっかく準備したからカルメ焼き食べたいよー」


 理科の教科書を見てそれをすぐに実践って、自由研究に奔走する夏休みの小学生もびっくりの行動力だ。


 ぐぬぬ……僕はただ、ひなにカメラの話をしようとしたのに、気付けばカルメの話になってしまった。


 こんなくだらない駄洒落を独白で語ってしまうのはきっと、僕もお菓子の魔力に勝てなかったからだろうか。


「はぁ……仕方ない。ちょっとだけだよ」


「やったー! じゃあセンパイ準備しておいてー。カメラやっておいてあげるからー」


「ありがとう……って、その話口に出てた!?」


「ふふふ……ひな、センパイのことずっと見てるからー。お見通しなのだー」


 とろんとした笑顔でひなは笑う。


 思いがけない言葉に、僕の胸の鼓動が早くなる。


 僕のことを見ているって……僕の勘違いじゃなければひなは……思えば妙にボディータッチも多い気がするし……


 ブンブンと頭を振り、雑念を振り払う。今は七不思議調査の時間だ。

 

「それじゃあカメラの方は任せたよ、ひな。こっちの準備は任せて」


「らじゃー」


 ひなからバトンタッチされた砂糖と重曹を手に取る。


 準備と言っても簡単。砂糖をお玉に盛り、少量の水でそれを溶いて濃い砂糖水を作る。それだけだ。


 後は加熱してから重曹を少しずつ加えて膨らませればカルメ焼きは出来上がるはずだ。

 

「ひな、こっちの準備はできたよ。デジカメの方はどう?」


「こっちも終わったー」


「えっ、あっさり行ったね」


「ひな、このデジカメ使ったことあるからー」


「そうだったんだ。だったら最初からひなに任せておけばよかったね」


「あはー、ひなを崇め奉るのだー」

 

「日南田様ー、ははー」


 わざとらしく首を垂れると、ひなは笑顔を見せる。


 そのまま、僕の手からお玉をさらった。


「センパイ、ガスバーナー付けてー。ひな苦手だからー」


「了解……って、マッチとかはないの?」


「あー、ひなのポケットに入ってるから取ってー」


「分かった。どっちのポケット?右?左?」


「左の内ポケットー」


「自分で取りなさい」


「えへへー、冗談冗談。センパイくん恥ずかしがり屋だねー」


「当然のモラルを備えてると言って」


「でもひな、センパイになら触られてもいいかもー」


「はい!?」


「それでー、センパイにセクハラされたーって言って、口止め料でセンパイにお菓子奢ってもらうー」


「タチの悪い冤罪を仕掛けようとしてる! 最悪だ!」


「あはー、嘘でござるー」


 ひなはそう言って左側の内ポケットからマッチ棒を取り出し、僕に手渡す。


「でもね、触られてもいいっていうのは半分くらい本当だよー。ほら、センパイってひなのことえっちな目で見ないでしょー? ひな可愛いのに」


「自信に満ち溢れておる……まあ確かにひなは可愛いけど」


 お世辞抜きに、ひなは可愛い。ひなの可愛さは、作られた可愛さというよりナチュラルな可愛さだ。

 ひなは多分、これまでの人生をありのまま生きていて、そのありのままで、とびきり可愛いいんだと思う。


 ひなは完全に満ち足りていて、自分に不満なんて持っていなさそうだ。ある意味、僕もそうではあるのだけど。


「ふふふー、センパイありがとー。だから、ひなが付き合うなら今の所センパイが第一候補かなー。下心で近付いてきた男と付き合っちゃだめってお母さんに言われてるしー」


「すごくひなのことを理解してるお母さんだね……というかひなは僕が断るとか微塵も考えてないんだ」


「えー!? センパイひなから告白されても断るのー!?」


「それは……ノーコメントで」


「あははー、センパイ顔真っ赤だよー」


「……うるさい」


「でも安心してねー。ひな、センパイと付き合いたいとか思ってないしー」


「なんかすごくフラれた気分! これまでの話なんだったの!?」


「これも実験だよ、センパイくん。だからひなに告白とかしちゃダメだよー。ひなのハートは鉄の防壁で守られているのじゃー」


「はいはい、分かったよ」

 

 全く、人騒がせな後輩だ。


 最近ひなが僕に積極的な姿勢を見せていたのは、僕がひなに下心を持っているかの確認だったのかもしれない。彼女の策略にハマり、危うく手を出すところだった。

 

 軽くフラれてしまった気分なわけだけど、返って今の気分は良いものだった。


 変に意識してぎこちない関係になってしまうのは、僕としても望んでいないのだ。



 ガスバーナーに火をつけ、ついにカルメ焼きの作製が始まった。


「あはー、カラメルだー。プリン作るときもこれするよー」

 

「あっ、そうなんだ」


 現在僕たちは砂糖と水を加熱中。


 砂糖水がブクブクと泡を立てて、軽く茶色に色付いてきた。確かにこのまま続けていたらカラメルソースになりそうだ。


 プリンなんて作ったことがないから知らなかった。


「ふふふ……ひな、結構お家でお菓子作るから知ってるんだー。センパイくんも勉強ばっかりじゃなくてお菓子もした方がいいよー」


「それもそうだ……ってそう言った台詞はちゃんと勉強も料理もしている人がするものなんだ……」


「色濃くなってきたー! センパイ、雑巾の用意はできておるかー?」


「って話聞いてない! 雑巾ね、準備できてるよ」


 雑巾を軽く触る。しっかりと濡れている。

 

 カラメルソースができたところで、ひなはお玉を火から上げる。


 そして、お玉を濡れた雑巾の上に押しつけた。


 シュー……


 水蒸気を出しながらお玉が急冷される。


 落ち着いたところで、最後の仕上げだ。

 

「そろそろいいかも! センパイ白い粉! 白い粉入れよー!」


「白い粉言わない! 色々危ないから!」


「じゃあ2番の粉?」


「そんな知育菓子みたいな。確かにこの後練るけども」


 よくよく考えたら実験で作るカルメ焼きというのは広義の知育菓子と言えるかもしれない。


 重曹を少しずつ入れながら、ひなはお玉の上のカラメルを混ぜていく。


 最初、液体の色が濃いめのカラメルソースの色だったものが、徐々に白みを帯びた茶色へと変わっていく。よく知るカルメ焼きの色だ。

 

「センパイもう重曹はいいかもー。あんまり入れすぎても苦くなっちゃうしー」


「へー、そうなんだ」

 

「ベーキングパウダーだったらあんまり苦くなかったかもだけど、今日は重曹だからねー」


「ひなはお菓子のことよく知ってるね」

 

 僕は首を縦に振って感心する。


 というか重曹って苦かったんだ。いや、重曹というか加熱後の炭酸ナトリウムが苦いのか。


 元から苦味のあるカラメルを、加熱後苦味が現れる重曹で膨らますというのはかなり理にかなっているのかもしれない。


「うおおおおー! 膨らんできたよー」


「本当だ。すごい、もうお玉から溢れそう!」


「センパイ、雑巾もう1枚欲しいかもー」


「了解!」


 雑巾が温かくなり、温度が上手く下がりきっていない。


 僕は急いで新しい雑巾を水で濡らした。


 すぐさま机にそれを設置して、ひなは新しい雑巾にお玉を乗せた。

 

「ふー、なんとか膨らみは止まったねー」


「危なかったね。あのままだったら砂糖が少し無駄になるところだったよ」


「だねー。センパイ……んー」


 ひなは無言で手をパーにして僕の前へ。丁度僕もそれをするべきだと思っていたところだ。


 無事に完成したカルメ焼きを前に僕たちはハイタッチ。


 こうして夜中の理科室で行われる秘密の実験は幕を閉じるのであった。



「いただきまーす」 


「しゃくしゃく……もくもぐ……んー! 美味しいかもー」


「お砂糖だけだけど、こんなに美味しいんだねー。ひなカルメ焼き初めて食べたよー」


「うん、やっぱり美味しいね」


 半分こと言いつつ5分の1程度の大きさを配給された僕は、小さなかけらとなったそれを一口。

 

 サクサクの食感で、ほろ苦い。程よい甘さのカルメ焼きに舌鼓を打つ。

 

「センパイはカルメ焼き食べたことあるのー?」


「うん。というか、中学でカルメ焼きの実験したよ」


「えー、ずるーい! ひなもセンパイと同じ中学通いたかったー!」


「んな大袈裟な」


 ひなは目をくの字にして駄々をこねる。


「でもあれだねー。この学校でこんな美味しい実験したの、センパイとひなだけだねー」


「あはは、確かにそうかも」


「だからー、今日のことは2人だけの秘密だよー。みんな放課後カルメ焼き作りに来ちゃうもん」


「二高生徒のカルメ焼き熱が強すぎる! そんなことにはならないから安心していいと思うよ」


「でも中学でこの実験知ってたらー、文化祭の出し物で誰か出してたかもー」


「割と現実味のある話だ」


 文化祭でお菓子を出すクラスもある。


 定番といえば鈴カステラやクレープあたりだろうか。カルメ焼きはそこに食い込むポテンシャルは十分に持ち合わせているかもしれない。 


 その後、カルメ焼きの不平等な配給量を訴えたはいいものの、ひなは結局残りのカルメ焼きをペロリと平らげてしまった。


 ううう……僕ももう少し食べたかった。家でやってみるか……


 そういえばひなはカルメ焼きの他にも『スモア』なるものの準備もしていると言っていたっけ。


 誰もいない夜の学校でこっそりマシュマロを焼く……シチュエーションだけで美味しさ8割増しになりそう。


 お菓子のことばかり考えていた僕の視界に、ちらりと時計が映る。


 時刻は……19時15分。19時20分には先輩たちと合流することになっていた。


「ひな、そろそろ片付けしなきゃ」


「本当だー、もうこんな時間ー」


「実験器具の片付けはしておくから、カメラのセット任せたよ」


「任されたー」


 *


「よし、なんとか間に合いそうだね」


「皆の元へ帰還するのじゃー」

 

 1番重要なカメラも設置し終えたところで、僕らは理科室を後にする。


 果たして人体模型は動くのだろうか。明日のカメラの回収が楽しみだ。


 帰り際、ひなは僕の袖を掴む。

  

「そうだセンパイ」


「どうしたの」


「今日は特別に、ひなの秘密を一つ教えてしんぜよー」


 ひなは少し間を空けて恥ずかしそうに頬を染める。

  

「ひなね、本当は怖いの苦手なんだー」


「……そうなんだ」


 バレバレの事実を告げてきた。


「だから、センパイがついてきてくれて……ひなを選んでくれて本当に嬉しい」


「センパイがいなかったら、今日も実験なんてしないですぐ帰っちゃったと思うー」


「ひな……」

  

「いっつもひなのこときにかけてくれてありがとねー、センパイ。ひな、本当にセンパイのこと好きになっちゃうかもー」


「……またからかってるの?」


「あはー、ばれちゃったー!」


 ひなはそう言って走り出す。


 結局、今日は最後までこの元気な後輩に振り回されてばかりだ。


 しかしまあ……それくらい僕のことを信用してくれてるということでもあるだろう。悪い気はしない。


 特別棟の廊下は暗い。そんな中でも一際輝く彼女の目印に、僕も歩みを進めるのだった。

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