第2話

[家・自室]


「教科書はまだもらってないからなくて、必要なのはえっと──」


 ついに登校日がやってきた。

 前日にやっておけばよかったと後悔しながらも急いで今日の支度中。


 事前に学校側からもらったプリントを見ながら、持ち物を確認していく。

 

「とりあえずノートと筆記用具があれば良さそうだ。あと教科書を買うためのお金……は別の日でもいいんだな。まあ持って行くけど」


「──大体これで全部かな。最後に身だしをチェックしておこう」


 普段髪の毛をセットとかはしないけど、流石に第一印象が大切なことくらい理解している。

 登校初日に寝癖とかついていたら今後の学生生活に支障が出る可能性だってある。


 僕は机の上に置いてあった小さめの鏡を手に取った。


 引っ越す前からこの部屋にそのまま放置されていたものだ。

 掃除とかしていないので端っこが少し錆びているし鏡面は白くくもっていて結構汚い。


「ティッシュで綺麗になるかな。息を吹きかけて……はー、はー」

 

 若干湿ったところで、ティッシュで鏡面を磨いてみると──いい感じに綺麗になった。

 若干ダメ元だったけど上手くいってよかった。


 そうして綺麗になった鏡で寝癖などついてないかをチェックしてみる。

  

「おっと、危ない。普通に寝癖ついてた! 手櫛で……よし、オッケー。確認しておいてよかった……」


 髪の毛のセットが終わったところで時計を見る。

 時間もいい感じだ。そろそろ学校に向かっても良さそう。


 鏡を机の上に置き、スクールバッグを肩にかける。

 そうして部屋を出ようとしたそのとき──


 パリッ!


「な、何の音だ……?」


 何かが割れる音だった。 

 恐る恐る音のする方に視線を向ける。

 

 ──机の上に置いた鏡が綺麗に割れていた。


 なぜこのタイミングで? まさかこれは不吉の前触れ……


「……って、単に寿命かな。ずっと使ってなかったし」


 一瞬ホラーな展開になりかけたところを、僕は冷静にツッコミを入れる。

 

 割れてしまった鏡は丸6年間放置されていた。相当劣化していてもおかしくない。

 さっきティッシュで強く擦ってしまったことでトドメを刺してしまったのだろう。


「鏡さん、お疲れ様。これまで僕の部屋を守ってくれてありがとうね。行ってくるよ」

 

 僕は割れた鏡にお別れを言った後、ティッシュに包んでゴミ箱に捨てた。


 *


 [学校・校門]


 自転車を漕ぐこと15分。

 今日から通うことになる『白結第二高校』に到着した。


 地域の人からの愛称は『二高』

 偏差値はそこまで高くなくて、卒業生の進路は進学と就職が半々くらいらしい。


 校則はこのご時世にしてはかなり緩く、髪染め、着崩し、化粧なども特に問題がない。

 ただし超えてはならない一線はあるみたいで、他者を巻き込んだ問題行動に関してはかなり厳罰な処分をしているらしい。


 時刻は8時30分。

 一般の生徒はもう登校を終えて、1時間目の授業の準備をしている頃だろうか。


 自転車置き場にも、中央広場にも……目に見える範囲には生徒は1人もいない。

 まるで休みの日に学校にきた気分だ。


 静まり返った校門を通過しようとしたそのとき──

 

「……っ!? 頭がッ」


 不意に頭に痛みが走る。

 立ちくらみのように視界が真っ暗になり、一度その場でしゃがんだ。


 しばらくの後、段々と視界は元に戻って来る。

 頭の痛みもスッと引いていった。

 

「まさか風邪でも引いちゃったかな? ……いや、そういえば朝ごはんにプリンしか食べてないんだった」


 一瞬病気の線を疑ってしまったけど、冷静に考えて栄養不足の方が可能性としては高そうだ。


 慣れない環境で気が張っていたのもあるだろう。

 もっとちゃんと朝ごはんを食べればよかった。


「ちゃんとした食事は今からだと無理だけど、何か飲み物でも飲んでからにしておこう」


 自販機を見つけて少し休憩。

 体調が回復してきたところで職員室に向かった。



<歩く音>

 

[職員室]

 

 職員室では忙しそうに先生たちが行き交っていた。

 普段この時間に職員室に来ることはないから珍しい光景が見れてちょっと得した気分だ。


 職員室に入ると、1人の先生が僕に気が付いた。


 クラス担任の山口先生だ。

 眼鏡に白衣のいかにもって姿の通り化学の先生らしい。

  

「待ってたよ。1時間目に自己紹介をしてもらうからよろしくね」


「は、はい! よろしくお願いします!」


「そんなに堅くならなくてもいいよ。大丈夫?緊張してない?」


「緊張は……正直してますね。でもがんばります」

  

「君は昔白結に住んでたんだよね? いやぁ申し訳ないんだけど、同じ小学校出身の子がいるかは調べられなかったよ。ごめんね」


「い、いえ。ありがとうございます」


 僕はぎこちなく笑みを浮かべてそう返す。

 先生、同じ出身校の子がいると逆に気まずいです。


 しばらく待機した後、山口先生に連れられて教室へ向かうことになった。


 

 [廊下]

 

 別の学年の階を通っているときに、教室の中が少し騒がしくなる。

 転校生である僕は、嫌でも注目が集まってしまう。


「こういうのは最初だけだから安心していいよ」


「あはは……そうですよね。ありがとうございます」


 

 2年B組。

 ここが今日から僕が在籍することになる新しいクラスだ。


「それじゃあ、ここで待っていてくれ」


「はい。わかりました」


 山口先生は教科書を手に、2年B組に入っていった。


 中で何を話しているのか、教室の外からだとわからない。

 転校生についての説明をしていたりするのだろうか。


 少しして、先生が教室の外の僕に向けて手招きした。


 つ、ついに来てしまった……

 

 僕はゴクリと唾を飲む。

 額にかいた汗を拭って、教室の扉に手をかけた。


 <扉を開ける音>


 [教室内]


 教室内の視線が一点に注がれる。

 好奇、期待、警戒、不安……それらが混じったものを彼ら彼女らから感じた。


 再び僕は唾を飲み込む。

 緊張でギュッとシャツの袖を握った。


 値踏みされている。それはそうだ。突然クラスに不純物が来れば──いや、弱気になるな僕。

 そんなことを思ったって何にもならない。今は準備通り自己紹介するだけだ。


「それじゃあ自己紹介してくれ、落河」


「はい」


 山口先生にチョークを渡される。

 僕は黒板に大きく自分の名前を書いた。


「初めまして。落河寛といいます。今日からこのクラスでお世話になることになりました。よろしくお願いします」


 深々とお辞儀をするとパラパラとまばらな拍手が鳴る。

 き、気まずい……

 

「実は小学校までは白結にいました。白結第三小学校です。同じ小学校だったという人はこの中にいますか?」


 僕の問いかけに、クラスメイトたちはキョロキョロと互いを確認する。

 数秒待ったが、誰1人として手を挙げなかった。僕は心の中でガッツポーズ。

 

「ありがとうございます。もし、同じ小学校の子がいたら説明がスムーズだなと思っていただけなので気にしないでください」


「僕が白結を出ていったのは小学5年生のときでした。理由は両親の仕事の都合です。

 転校した後はそのまま小・中・高と東京の学校に通っていました。」


「だったんですが、高2になったときに両親が再び転勤になってしまいました。今後の転勤先は海外だそうで、

 流石に外国まではついていけないので地元の白結に戻って来ることになりました。今は実家である祖母の家に住んでます」


「まだ慣れないことが多いですので、皆さんに色々と頼ることになるかと思います。その際にはどうかお手柔らかにお願いします。

 逆に、僕に何か聞きたいという人もいるかもしれません。僕はいつでも大丈夫ですので、気軽に声をかけてください」


 一通り挨拶を終えたところで、僕は再び頭を下げる。


 先生に自己紹介が終わったことを目で伝えると、彼は咳払いをして立ち上がった。

 

「ありがとう、落河。それじゃあみんな、もう一度拍手」


 今度はまばらではなく全員で大きな拍手。

 さっきの微妙な拍手の感じは別に受け入れられていないとかじゃなかったみたいで安心した。


「落河、1番後ろの窓際に1つ机が空いてるのが分かるか? そこが落河の席だ」


「はい。ええっと……あそこですね。わかりました」

 

 言われた通り1番奥の席へと向かう。

 幸運なことに、所謂主人公席と言われる場所だった。

 

 席に着く途中、隣に座る女の子と目が合い軽く会釈する。

 すると向こうも会釈し返してくれた。

  

「よ、よろしくね。ええっと……」


「西園寺歩夢ですわ。こちらこそよろしくお願いしますわね」

 

 真っ白で長く、まるで糸のように細い髪。前髪は綺麗に切り揃えられている。

 指は細くまるで飴細工のように透き通るような肌をしていた。


 会釈の角度に速さ、それに自然な笑み……所作の一つ一つから優雅さを感じられる。

『ですわ』口調だし、どこかのお嬢様だったりして。


「寛さんとお呼びしてよろしいかしら?」


 いきなり下の名前!? 意外とグイグイ来るタイプの子だ。

 もっとこう男に慣れていないというかそういうテンプレお嬢様的なものを想像してしまったため面食らってしまった。

 

「うん。じゃあ僕の方は西園寺さんって呼んでもいいかな」


「構いませんわ」


 そう言って彼女は優しい笑顔を僕に向ける。

 

「わかった。それじゃあ西園寺さん、お隣失礼するね」

 

「そこまで畏まらなくてもいいですわ。寛さんとはこれから長い付き合いになるのですから、隣に座るくらい何も気にすることではありませんの」


「そ、そうだよね。でも、それをいうなら西園寺さんもかなり畏まった物言いじゃない?」


「わたくしはいいのですわ」


「そんな理不尽な……」


[教室・中] 

 

「よーし、自己紹介も終わったところで授業に入るぞ……っと忘れてた。西園寺、落河に教科書見せてやってくれ」


「はい。かしこまりましたわ」


 先生の問いかけに白髪美少女──西園寺さんが机を動かす。

 

 移動に合わせて彼女の繊細な髪の毛が柔らかく揺れる。

 椿の香りがふわっと僕の鼻腔を撫でた。


 ──それはどこか懐かしい匂いだった。

 この匂いを僕は知っている。昔……この町にいたことかいだことがある匂いだ。


 瞬間、僕の脳内に小学生の頃の思い出が駆け巡る。

 いつだ……いつこの匂いに出会った?


 僕の思い違い?いや違う。根拠はないけど、確信がある。

 絶対にかいだことがあるはずだ。


 しかし、いくら考えたところでその記憶には辿り着けなかった。

   

「どうかしましたの?」


「う、うん。えっと……西園寺さん、もしかして昔どこかで会ったことあったりするかな?」

 

「どうでしょう。わたしくは初めてだと思いますが、同じ町に住んでいたのですからどこかで会っていたとしても不思議ではありませんわね」


 確かに彼女のいう通りだ。面識がなくとも同じ町に住んでいれば会う可能性はある。

 ここまで考えても出てこないということは、その程度のことだったのだろう。


「そうだよね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」


「構いませんわ。今日の授業は……ここからですわね」


 西園寺さんは化学の教科書を広げて指差す。

 範囲を見てみると、僕が東京の高校で既に習った範囲、というか化学基礎だ。


「ありがとう。教科書買うまでは西園寺さんの教科書見せてもらうことになると思う。面倒かもしれないけどよろしくね」


「いいえ、そんなことありませんわ。困った時はお互い様ですもの」


 そういって西園寺さんは柔和な笑顔を浮かべる。


 すごい……人間ができすぎている。

 何かご利益がありそうなので、僕は心の中で彼女に手を合わせた。


 僕がノートを開いたのを見計らったかのようなタイミングで、山口先生は授業を再開した。

  

「気を取り直して今日の授業だが、お前ら中学で『中和』って習ったよな。そう、酸性とかアルカリ性──高校では塩基性だけどその反応のことだ。

 今日はその中和で出来た塩に酸性だったり塩基性だったりの液体をかけたらどうなるんだって話を──」


 *


[教室・中]


 <チャイム>

  

「今日の授業はここまで。日直の人は黒板よろしくな」


 チャイムと同時に授業が終了する。

 先生は忙しそうに教室を後にした。

 

「……今日の化学は難しかったですわね。わたくし途中から全然内容が頭に入っていきませんでしたわ」


「そうだよね。でも実は僕……前の学校でこの内容既に習ったんだ。僕でよければ教えるよ」

  

「まあ、それは心強いですわね。寛さんは放課後は空いていまして?」


「うん。空いてるよ。それじゃあ放課後教室に残ってもらって……」


<歩く音>

 

 そこまで言ったところで、僕は数名のクラスメイトに囲まれる。

 いきなりのことに、僕は驚きを隠せない。


 何かやらかしたか!?

 

「ぼ、僕何かした?」


「落河……」


 1人の男子がずいっと一歩前に踏み込む。

 そして、僕の肩を掴むと目を光らせながら彼は言った。


「なあ! 東京ってどんな感じだった!? 話聞かせてくれよ!」


「ずるーい、私にも聞かせて」


「私にも」「僕にもー」


「おい待て俺が最初だ! な、落河頼むよ〜」


 そ、そう言うことか……


 白結はお世辞にも都会ではない。だから都会に興味を持つのは自然なことだ。

 僕も白結から転校する時は、友達が作れるかという不安はあったけど、それと同時に都会へとワクワク感を持っていた記憶がある。


 初日から何かやらかしてしまったのかと心配して損した。

 僕は周囲を取り囲むクラスメイトを宥めながら言う。


「わかった、わかったから。順々に聞いてくれると嬉しいな」


 次から次へと僕を囲む人数は増えていく。

 あまりの人気に思わず圧倒されてしまった。

 

 今朝買って残っていたジュースを少し飲む。今日は大変なことになりそうだ。 

 覚悟を決めると、僕は級友からの質問攻めに丁寧に答えていくのだった。

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