破れた鏡のセブンワンダーズ

長雪ぺちか

第1話

<電車の音>

 

[電車内]


 窓際の席に座って外の景色を眺めると、そこには緑豊かな景色が広がっていた。


 見渡す限り、緑、緑、緑……それと、たまに集落。


 もうかれこれこんな光景が1時間は続いている。


 退屈と言われればそうだけど、僕にとってはこの退屈さがどこか懐かしかった。


「次は終点、白結〜。終点、白結〜。お降りの方は……」

   

「──そろそろ乗り換えか。準備しておかないと」


 広げていた荷物を鞄に入れていく。そして、一度大きく伸びをした後、靴を履いた。


 東京から電車を乗り継いでおよそ10時間。鈍行列車の旅は終わりを告げる。

 

 長かったのやら、短かったのやら、今となっては感覚が鈍って分からなかった。

 

 終点に着き、僕は電車を降りた。


[駅前]


 駅前にはバスのロータリー、小さな売店、そして自販機、これくらい。


 この町に来るのは6年ぶりだというのに、駅からの景色は記憶のままだった。


 遠くを眺めると、視線の先に高い山が聳えていた。あの山の麓が目的地だ。


 大きく深呼吸する。近くに山があるからか、空気が澄んでいて美味しい。

 

「えっと、バスの時間は……まだ時間があるな」


 仕方ないので自販機で何か飲み物でも買って時間を潰すことにした。

 

 自販機は見た目こそ変わっていなかったが、ラインナップは当然ながら変わっていた。


 昔よく飲んでいた緑色の謎のジュースがない。


「あれなくなっちゃったのか……好きだったんだけどな」


 僕は肩を落としながらも他の飲み物を探していると、何やら見覚えのあるものがあった。


「いちごミルク……そういえば小学校のときにこれも飲んでたっけ。懐かしい」


 僕は迷わずボタンを押した。ピンク色の缶がガコンと落ちてくる。


 パッケージは変わらない。飲んでみると味も昔のままだった。薄味で偽物っぽい味。正直にいうとあまり美味しくない。


 そんな薄いいちごミルクを口に含んだところで、昔の記憶が薄らと蘇ってきた。


 そうだ。確かこの味が好みだとかいう友達がいたんだ。

 その子に影響を受けて、僕もたまに飲んでいたんだっけ。


「やばい、顔も名前も思い出せない……同じ学校だったらどうしよう」


 記憶力はそこまで悪くないとは思うんだけど、人の名前はどうにも覚えるのが苦手だ。


 自分の名前は漢字が簡単で覚えやすいってこともあって忘れることはないけど、他人のとなると中々難易度が高い。


 そもそも普段使わない漢字だったり、簡単そうにみえて読みが合ってないとか。

 世の中全員『太郎』『花子』くらいの簡単な名前になってくれたらいいのにな……って、それだと逆に不便か。


<バスの音>

 

 そんなことを考えている内に、バスが到着した。


 僕は残ったいちごミルクを飲み干してゴミ箱に捨てると、バスに乗り込んだ。


<バスの音>


[街の風景]


<バスの音>

 

<歩く音>


 バスから降りて10分ほど畑道を歩くと、一軒の日本家屋が視界に映る。


[自宅・外]

  

「やっと着いた……」

 

 ほとんど電車の乗り継ぎだけだったというのに、想像していた以上に精神がすり減っていたようだ。

 倦怠感を覚え、途端に鉛のように重たくなる。これまでの旅の疲れがどっと襲いかかって来た。


 玄関の前で、深呼吸し一度足を止める。

 安心した。引っ越す前と何一つ変わっていない。


 ここは僕が昔住んでいた家だ。今ではお婆ちゃんが1人で住んでいる。

 そして今日からは……僕が住む家でもある。

 

 裏庭の植木鉢の下に隠してある鍵を取って、扉を開けた。


[自宅・中]

 

「ただいまー」


 家の中は灯りすらついていない。

 静まり返った家の中に、僕の声だけが響いていた。


「あっ……そういえばお婆ちゃん旅行に行ってるとか……言ってたっけ……」


 疲れが最高潮に達し、僕はその場で膝を折る。


 懐かしい匂いに安堵した僕は、そのままゆっくりと瞼を閉じた。



 *

 


 <電話の音>


「うわ! びっくりした!」

 

 けたたましく鳴る着信音に、僕の意識は強制的に現実へと引き戻される。

 寝ていたところを無理やり起こされたので頭が痛い。

 

「はい、もしもし……」


「やっと繋がった。あんたもう家には着いたけ?電話しても出んさかい心配したがやぞ」


 電話の相手はお婆ちゃんだった。 

 相変わらず方言が強いけど普通に聞き取れた。

  

「ごめん、お婆ちゃん。家に着いたら疲れて寝ちゃったんだ」


「そうけ、危険な目に遭うとらんならよかった。せっかくこっちに来てくれたがに、お婆ちゃんほっちにおれのうてごめんね」

 

「ううん、いいんだよ。お婆ちゃんは旅行楽しんで来てね」


「来月には帰るから、それまで1人で頑張るんだよ」


 最後にそう伝えてお婆ちゃんは電話を切った。


 重い身体を起こして、スマホで時間を確認する。


 時刻は午後の8時……ここに来た時間を正確に覚えてはないけど3時間くらいは寝てしまったかもしれない。


<腹のなる音>


 思えばお昼から何も食べていない。

 流石にお腹がすいた。

 

 家に何か食べ物は……あるわけないか。

 あったとしても流石に腐っているだろう。

 

 この時間ともなると空いているお店も限られる。

 レストランとかは軒並み閉まっているし、スーパーも同様。


 残された選択肢は……


「記憶通りなら、家から自転車で15分くらいの距離にコンビニがあったような……一応調べてみるか……」


「あった! よかったぁ……なんとか明日まで生きられるぞ!」


 こうしてはいられない。自転車に空気が入っていることを確認して、すぐさまコンビニへと向かった。


 <歩く音>

 

[コンビニ]


 張り切って自転車を漕いだので10分ほどで到着してしまった。

 食欲の力ってすごい。


 額にかいた汗を拭いながら店内に入ると、こんな時間だというのに店内には結構な数の客がいた。 

 

 やっぱり他のお店が閉まっている分、人が集中してしまうのかもしれない。

 僕だって、他の飲食店が空いてたらそっちに行っていたかもしれないし。

 

<腹のなる音>


 ううう……早く何か食べたい。


 本能の赴くまま、僕はお弁当コーナーへと向かった。


「さて……何を食べようかな」


 僕は普段コンビニのお弁当を食べることは滅多にない。

 なんだか値段と量が釣り合っていないような気がして手を出しにくいのだ。


 だけど、今この空腹状態で他に選択肢がないという状況だと話が別だ。

 並んでいる弁当たちはどれも魅力的に写っていた。


「うむ……唐揚げ弁当がいいかな。いやでも焼肉弁当も捨てがたい……」


 どうしよう……どっちにする……


「あっ……」


 そうこうしている内に、横からきた他の客に唐揚げ弁当を取られてしまった。

 ぐぬぬ……さらば唐揚げ弁当。

 

 とはいえ、逆に考えるとこれで迷う必要がなくなったことになる。

 焼肉弁当を今度は迷わず手に取った。


 茶色のタレがかかった焼肉弁当……見た目だけですでに美味しい。

 早く食べたい。せっかくならお茶も買ってしまおう。


 お弁当とお茶を手に取り、僕はレジへと向かう。

 数人の会計列の1番後ろに並ぼうとしたところ……スイーツコーナーで一際目を引く少女がいた。

 

「なめらかカスタードプリンにイタリアンプリン……あは〜どっちも美味しそうで迷っちゃうよ〜」


 まるでぬいぐるみのようにふわふわな髪の毛の女の子。

 身体はすごく小さい。中学生くらいだろうか。


 少女は2つのプリンの間で視線を行ったり来たりさせて幸せそうな表情を浮かべていた。

 

 カゴの中身をチラッと見ると、中にはすでに大量のコッペパン、それにプリンが詰められている。

 まさかこれを1人で……? 小柄であることも相まって、なんだか冬籠りに備えるリスのように感じた。

 

「こっちのプリンは舌に乗せるととろ〜ってとろけて、こっちのプリンはこう食べてる〜って感じがするんだよね〜

 むむむ〜迷うなぁ。どうしよ〜」


 ゴクリ。


 なんだか話を聞いていると無性に甘いものが食べたくなってしまった。


 一度食後のデザートを意識してしまうと、もう焼肉弁当とお茶だけでは満足できないと脳内の悪魔が訴え始める。

 くっ……余計な買い物をしてしまいそう……この少女まさか店側のスパイか?


 しかしあれだ。今日はその……長距離の移動で中々に頑張ったわけだし、引越し初日の記念日的な側面もあるだろう。

 甘いものの一つや二つ買ってもいいじゃないか。


 こうして僕は脳内の天使をねじ伏せると、スッと期間限定と書かれた『さくらエクレア』なるスイーツに手を伸ばした。

 その瞬間……


 スイーツ少女の右手と、僕の右手がぶつかった。

 

「あっ、ごめん」


「あーごめんなさい〜。あれ〜お兄さんもこれ欲しいの〜?」


「えっ、まあ……そうだね」


「いいよね〜エクレア美味しいもんね〜。ひなもついつい目移りしちゃった〜」

 

 少女は僕のことを見上げるようにしながらにっこり笑った。

 随分マイペースな子だ。ゆったりとした口調でなんかだ眠くなってくる。


「あーお兄さん? お兄さんが手に持ってるのと……こっちのプリン2つ買うとちょうど1000円になるよ〜?」


「そ、そうなの? こっちが153円で、こっちが168円……本当だ。計算速いね」


「えへへ〜それほどでも〜。はい、お兄さんプリンあげる〜」


「う、うん。ありがとう」


 少女は元々持っていたプリンを僕に渡してくる。

 マイペースな子かと思っていたけど案外周りがよく見えているみたいだ。


 金額がぴったりで買い物ができたときってなんだかスッキリする。

 彼女のおかげでいい買い物ができ──


「……ってエクレアは!?」


 気付けば少女はすでにレジのカウンターで会計中。

 や、やられた。罠だったというのか!

 

「あは〜、お兄さんじゃあね〜」

 

「くっ……計算高い子だったか……」


 ゆるふわリス少女は手を振りながら余裕の退店。


 くそぉ……地元に帰省して早々、白結の人からの洗礼を受けてしまった。


 敗北を喫した僕は涙を堪えながらお店の人に1000円を渡すのだった。


 *


 [自宅・中]


 コンビニから帰ってきた後、僕は無心で焼肉弁当に食らいついた。


「美味しい……コンビニの弁当ってこんなに美味しかったっけ……」


 やはり空腹は最高のスパイスだったようだ。

 なんてことないお弁当なのにまるでプロの料理人が作った料理かのように思える。

  

「ふぅ……ご馳走様でした。次は……」


 お茶で口の中をリセットした後、冷蔵庫に入れておいたプリンを取りに行く。


 少女に乗せられて買ってしまった代物ではあるが、経緯はどうあれ甘味は甘味。

 食べる前から期待が最高潮になっていた。


 スプーンで慎重にその黄色いスイーツをすくう。そして一口……

 

「と、とろける……このプリン……舌に乗せただけでとろける……!」


 口に含んだ瞬間にほどよい甘味が口いっぱいに広がる。

 あまりの柔らかさにとろけてしまうそれに、まるでプリン味のジュースを飲んでいるかのような錯覚を覚えてしまう。


「あの子の言うとおりだったな。エクレア諦めて正解だったかもしれない」


 確かに隙をついてお目当てのものは持って行かれてしまったが、なんだかんだプリンは美味しい。

 甘いものは正義なのだ。


 まあでも、あの『さくらエクレア』といか言うのもすごく美味しそうだったし機会ががあったら食べたいな。


 一口、また一口とプリンは僕の口の中に運ばれていく。

 

「あっ……もうなくなっちゃった」


 蓋に残った最後の一滴を名残惜しく舐める。

 ううう……後3個は食べれたな。


 ──いや、待つんだ僕。確かになめらかカスタードプリンはなくなってしまった。

 だけど僕は少女に押し付けられたもとい託されたもう1つのプリンがあるじゃないか。

   

「イタリアンプリン……この跳ね返るような弾力……ゴクリ」


 先ほどのと対照的にしっかり硬めの食べ応えのありそうなプリンに唾を飲む。


 蓋を開けスプーンを入れようとした瞬間、僕はあることを思い出しその手を止めた。


「あれ……? ちょっと待てよ。明日の朝食……買ってない!」


 完全に失念していた。これだと明日の朝に何も食べるものがない。


 今からコンビニにまた戻るのは……すごく面倒だ。


「くっ……明日の朝までお預けか……シャワー浴びて今日はもう寝よう……」


 僕は肩を落として冷蔵庫へ戻る。

  

 お婆ちゃんが帰ってくるのは1ヶ月後とか言っていた。

 つまりそれまでは一人暮らし。

 

 食事に洗濯、掃除にゴミ捨て……やらないといけないことはたくさんだ。

 それに、明日からは高校が始まってしまう。

 

 今日みたいな晩御飯の買い忘れみたいな失敗は起きないようにしないと。

 特に食事は生死に関わるし……

 

 新生活……今のところ期待と不安が2:8くらいで心配事の方が多い。


 ──本音を言えば、転校なんてしたくなかった。

 向こうの学校で友達がいたと言うのもあるし、一度白結から出ていった手前……ばつが悪いのだ。

 

 だけどそれは、今を楽しもうとしない理由にはならないと僕は思う。

 不安があっても、今の状況を受け入れてその中で楽しみを見つけていく……それが健全だ。


「よしっ、頑張るぞ」


 パチンと頬を叩き気合いを入れ直して、シャワーへと向かうのだった。 

 

 

 

 


 

 

 

  

 

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